12/24
うろうろうろ。
かれこれ、もう五分くらいにはなるだろうか。
先ほどから自分の周りを行ったり来たりしている尖った頭の彼に、千尋は深い溜息を吐いた。
知らないフリを決め込もうと思ったけれど、嫌でも視界に入って来て、全然集中出来ない。
まだ綾里事務所にやって来て日が浅い彼、成歩堂龍一。
彼が一体何を言いたくて周りをうろうろしているのか、はっきり言って丸解かりだ。
本人は、あくまでさり気無いつもりなのかも知れないけれど…。
何となくデスクの上のカレンダーを見やって、千尋はもう一度深い溜息を吐いた。
明日は、クリスマスイブだ。
それはいい、それはいいのだけど。
何で、カレンダーの24の数字の上に、赤い丸がついているのか。
千尋がつけた覚えはない。
と言うことは、彼がやったに決まってる。
きっと漠然と、何かを期待しているんだろう。
まぁでも、それは仕方のないことかも知れない。
あの事件以来、彼はすっかり千尋を慕っていて、千尋さん、千尋さんと、気付けばそう口にしてる。
慕ってと言うより、雛鳥に懐かれたような気分だけど…。
全く……。
(わたしは、なるほどくんの親戚のお姉さんじゃないのよ!)
それでも、もし自分たちが普通の関係なら、それでもいいのかも知れない。
頼りないけれど可愛い弟が出来たみたいで、千尋だって悪い気はしない。
でも。
今の自分はこの弁護士事務所の所長で、彼はまだ一人前と言うには程遠い。
そんな甘ったれた気持ちじゃ困る。
ここは一つ、彼の為にもガツンと言ってあげなくては。
意を決して顔を上げると、千尋はすぅっと深呼吸をして、厳かな口調で呼び掛けた。
「あのね、なるほどくん」
「…!は、はい!何ですか、千尋さん!」
途端、彼はパッと顔を輝かせ、何だか凄く期待に満ちた目をこちらに向けた。
声を掛けて貰えて、すごく嬉しそう。
何だか尻尾まで振っているみたいな。
(う……っ)
千尋は思わず、続けようとしていた言葉をぐっと飲み込んでしまった。
そ、そんな。
(そんな、あからさまに嬉しそうなきらきらした目で見ないで!)
これから言おうとしている言葉で、この顔が曇ると思うと、何だか罪悪感が…。
でも、言わなくては。
厳しくするのだって、彼の為だ。
クリスマスだからって浮かれている場合じゃない。
さし当たって、何か難しい仕事でもして貰おう。
千尋は気を取り直して、もう一度口を開いた。
「なるほどくん」
「は、はい!」
途端、彼が又あの目を千尋に向ける。
でも、ここで怯んじゃ駄目だ。
「ええとね…」
「はい!」
「…!だ、だから、その、明日って…クリスマスイブよね」
「…そ、そうですよね!」
って、何を言ってるの、わたしは!
そうじゃないでしょ!
がつんと厳しく言ってやるんでしょ!
「そ、そうじゃなくてね、つまりは…」
「は、はいっ」
「…!だ、だから、プレゼントは何がいいのかしら、と思って」
「ち、千尋さん…」
ち、違う!そうじゃないんだってば!
甘やかしてどうするの、千尋!
思わず口から出てしまった言葉に激しく後悔したけれど、もうどうしようもない。
しかも、成歩堂はいたく感激したように、何だかジーンとしている。
ここで前言撤回したら、ただの意地悪だ。
仕方なく、千尋は彼の答えを待った。
「ええと、その、どこかに行きたいです、千尋さんと」
「……え?」
ややして、遠慮がちに返って来た答えは、ちょっと意外なものだった。
「どこかって?どこ?」
「どこでもいいです、この辺なら」
「え?この辺て、どうしてなの?」
「その…ぼく、まだここに来たばかりで、綾里事務所以外の場所はあまり知らないんです。だから、千尋さんが案内してくれれば…」
「そう、なの……」
そう言うことか。そう言えば、そうかも。
まだ引っ越して来たばかりなのに、朝早くから夜遅くまでここにいる訳だし。
休日もあまり出掛けていないのだろうか。
まぁ、そんなことで良いなら。
「どこかって行っても、ひょうたん湖公園くらいしか知らないわよ?」
「は、はい!十分です!」
「じゃあ、一緒に行きましょうか、なるほどくん」
「はい、千尋さん!」
「でも、その代わり仕事はきっちりやって貰うわよ?色々と容赦しないからね」
「勿論です。頑張ります!」
はっきりそう答えた彼は、何だか前より少しだけ頼もしい気がする。
初めて会った頃よりは、ちゃんと成長しているのかも知れない。
そう思うと、ちょっとホッとした。
でも、こう言うことは今回限りにしなくては。
「わたしも、まだまだね」
「……?何ですか、千尋さん」
「…何でもないわ」
それから。
その日一日、終始上機嫌で浮き足立った様子の彼を見る度、千尋は何だか複雑な気分になった。
END