AlleyCat
夜遅く、検事の仕事を終えてようやく自室に帰り、響也はホッと一息吐いた。
「随分、遅かったね」
「……!」
途端、薄暗い部屋の奥から聞こえて来た声に、ぎくりとする。
「……成歩堂さん!」
聞き慣れた声に目を見開いて、響也は部屋の奥へと足を進めた。
まさか、彼が来ているとは思わなかった。いつでも好き勝手に部屋に上がっていいようにと、合鍵を渡してある。だから、彼がここにいるのは可笑しなことではないけれど。
「どうしたんだい?まさか、待っててくれたとか?」
「うんそうだよ。きみがなかなか帰って来ないから、退屈だったなぁ」
「……ふーん。何か、用?」
少し早まる鼓動を抑えてとぼけた言葉を返すと、拗ねたような気配が広がった。
「冷たいねぇ、牙琉検事」
溜息混じりに言葉を返す成歩堂は、大きなベッドの上にだるそうに横になっていた。この光景も、最近ではちょっと見慣れたものだ。
昨日も、そしてその前も、彼はこうしてやって来たのだから。
でも、まさか三日連続とは。本当に珍しい。どう言う風の吹き回しだろう。
彼の思惑を確かめようと、響也はすぐ側まで足を進めて、軽い調子で声を上げた。
「昨日だって、ちゃんと抱いてあげたじゃないか。その、前も。ぼくも流石に疲れて……」
揶揄するように言い掛けた言葉は、ぐい、と下から腕を引かれて途中で途切れた。
無理矢理引かれた体が大きくバランスを崩して、彼の上へ倒れ込む。
ドサッと言う音と共に、響也は成歩堂の肢体の上に思い切り圧し掛かっていた。
「成歩堂さん、あんた、……っ」
驚いたように上がった声は、強引に後頭部を抱えられて引き寄せられ、それ以上口に出来なかった。ぶつかるように触れたのは、成歩堂の唇だ。
「ちょっ……と、……っ」
彼は響也の首筋に腕を回して、甘えるようにキスを強請って来た。
まるで、発情した猫だ。性質の悪い野良猫。
たった今なぞらえたとおり、彼は足元に纏わり付く猫のように、体のあちこちを摺り寄せながら、何度も唇を甘く噛んでキスを仕掛けて来た。
そうまでされると、流石に響也も彼の思惑などどうでも良くなって来る。
冷静さはあっと言う間に失われて、そっと手を伸ばすと、彼の体を抱き抱えてキスに応えた。
「……ふっ」
どの位か経ってか。ゆっくりと唇を離すと、吐息のような声がどちらからともなく零れた。
それでも名残惜しそうに絡み付く舌先に、響也は微かに溜息を漏らした。
「どうしたんだい、本当に。あんたらしくないよ」
いつもは、どんなに捕まえようとしてもいつの間にか手の中から擦り抜けてしまうのに。まさか、本当に発情期だとでも言うのか。
「いけないかい」
「いけなくはないけど……ちょっとね」
開き直ったような台詞に、響也は苦い笑みを浮かべた。
悪くはない。悪くはないけれど、こう毎晩だと、ちょっと面食らってしまう。仕事は深夜近くなることもあるし、朝は朝で早い。彼みたいに、気ままに生活している訳ではないのだ。
けれど、そんなこちらの様子に気分を害したのか。
突然、成歩堂は絡めた腕をあっさりと解いた。上に圧し掛かった響也から抜け出そうと、肢体を捩り、胸板を押し上げた。
「それならいいよ。別に、きみじゃなくてもいいんだ」
「……え?」
「嫌ならいいって言ったんだよ、牙琉検事」
「……!」
冷めた口調に冷めた台詞。
響也が驚いて目を見開くのを横目で見やって、彼は続けた。
「そうだね……。オドロキくんなんてどうかな。結構、脈ありだと思わないかい?誘ってみる価値はあるよね」
「な……っ、あんた!」
「それに、別に男じゃなくたってね……。茜ちゃんもいいかな、あの子は可愛くて優しいし、それに……」
「成歩堂さん!」
不謹慎な言葉を紡ぐ唇に苛立って、響也は彼の襟元を乱暴に掴み上げた。手加減する暇がなかったせいで息が詰まったのか、彼は少し苦しそうに眉根を寄せた。
けれど、少しの間の後、すぐに気だるい余裕に満ちた笑みが浮んだ。
「……冗談、だよ」
「……」
「ぼくはきみがいいんだ」
「……全く、あんたは」
何度目かになる溜め息を付いて、遂に響也は諦めたように肩を竦めた。
「ぼくだって、あんたがいいよ」
「うん、ありがとう」
「でも、煽った責任は取って貰うからね」
「お手柔らかにね、もう若くないんだから」
「……解かってるよ」
茶化すような台詞に反論したくなるのを堪えて、響也はふっと笑みを浮かべた。
「あんたの言う通りにするよ、成歩堂さん」
襟元を掴んでいた指先からは力が抜けて、成歩堂の背はどさりとベッドに埋もれた。
甘やかすだけ甘やかしてやろう。この気まぐれな男がいつか戯れに飽きたとき、逃げようと思っても、逃げ出せないくらいに。本物の猫だって、帰る場所は知っているから。
胸中でそんな呟きを漏らして、響也は改めて彼の肢体に圧し掛かるように身を沈めた。
終