Black Night




絶体絶命と言う言葉は、まさしくこの状況のことを言うんだろうか…?

「これは一体…どう言うことなのだ?」
「み、御剣!これはだな…」
「…お前には聞いていない。ちょっと黙っていろ、矢張」
「あ、ああ…。はは…」

決して、激しい口調ではないのに…。
何故だか有無を言わさない強さがある御剣の言葉に、矢張は乾いた笑いを漏らした。
そんな矢張の隣で、肩を竦めた成歩堂の方も…。
ピンチの時ほどふてぶてしく笑う、の格言を何度思い出してみても、頬の筋肉が引き攣ってしまってどうにもならない。
矢張と共に、今自分は、とても追い詰められた状況にあるようだった。



ここは、成歩堂の自宅の寝室で、部屋にはベッドが一つ。
そのベッドの上に、矢張と二人、実に窮屈そうに座らされている。
ベッドがそんなに狭い訳ではないのだけど、何と言うかそう、肩身が狭いのだ。
今日の夕方頃、矢張が遊びに来て、何だかんだと話に夢中になっているうちに、夜中近くになってしまった。
それなら泊まって行けばいいと、何の気なしに部屋に泊めた。
それ自体は、何も不自然なことではないけれど。
勿論、御剣が怒っているのは、そんなことではなかった。
深夜になってここを訪れた彼が、ベッドに一緒に横になっている自分たちを見てしまったのだ。
それが逆鱗に触れてしまい、今に至る…と言う訳だ。

とは言え、別に…何か良からぬことがあった訳じゃない…筈だ。
今晩はとても肌寒かったので、寒さが苦手な二人同士が、ちょっとくっついていただけ、と言うか…。
正確に言うと、成歩堂の知らないうちに矢張が潜り込んで来ただけ、と言うか…。
でも、そんな言い訳が御剣に通じないことは、成歩堂も良く解かっていた。

「で、どうなのだ、成歩堂」
「え…?!い、いや…」

急に追求されて慌てた成歩堂は、矢張を肘先で突いて、小声で囁き掛けた。

「おい、矢張…!何とか言ってやってくれよ…!」
「え…?!いや、そうは言ってもよ…俺だって全く下心がなかった訳じゃないし…」
「は……?!!」
「…全部、聞こえているぞ、矢張」
「…っ!!」

矢張の思惑など寝耳に水だった成歩堂は目を丸くし、当の矢張はじわじわと漂い出した負のオーラに、ごくりと生唾を飲み込んだ。
室内は、一気に異様な空気で溢れ返ってしまった。
そんな…針の筵のような状態が、暫く続いて。

「成歩堂…。私は真実を知ったからと言って、別に怒ったりはしない…。だから、正直に起きたことを言ってみたまえ」

不意に、御剣が大胆不敵な笑みを浮かべてそう言った。
法廷で成歩堂を追い詰めている時のような、完璧で自信に満ちた笑顔。

「……」
「……」

成歩堂と矢張の二人は揃って黙り込み、ごくりと生唾を飲み込んだ。
けれど・・・、いつまでもこのままでいる訳に行かない。
ややして、成歩堂は意を決したように口を開いた。

「御剣…。お前、本当に怒らないんだよな?」
「…?!おい、成歩堂!」

成歩堂の台詞に、矢張が慌てて小声で呼び掛ける。
今の状況では何を言っても火に油だと、数々の男女の修羅場を抜けて来た矢張なら、少しは解かるのだが・・・。
成歩堂は、どうも…こう言うことは苦手なのだ。
けれど…。

「し、仕方ないじゃないか…!じゃあ、お前…アレをどうにか出来るのかよ?」
「無理に決まってるだろ!あんなおっかねーの…」
「そうだろ…?じゃあ、取り敢えず何か喋るしかないよ…!」

際どいところは隠せばいいだろ?
そう説得されて、矢張は結局、成り行きを見守るしかなくなってしまった。
その後、成歩堂が腹を括って顔を上げると、相変わらず余裕に満ちた顔の御剣がいた。

「も、もう一度聞くけど、何を聞いても怒らないんだよな?」
「ム…勿論だ。きみが、何故か偶然、どう言う訳か矢張と一緒にベッドに寝ていようが、弾みでキスの二つや三つくらいしていようが…絶対に怒ったりはしない」
「ふ、二つも三つもなんてしてないよ!!」
「ほう…?では…一度はしたと言うことだな…?」

(し、しまった!!)

「いや…、そ、その…ちが…」

慌てて口を覆ったが、時は既に遅い。
発した言葉は戻らず、仁王立ちのように立ちはだかった御剣に、更に厳しく追求される羽目になってしまった。
最早、取調室で自白させられているような気分だ。

「答えろ、成歩堂」
「う、うん…」

御剣の言葉は、既に威圧的な命令口調になっているが…成歩堂には、それに意義を申し立てる余裕はない。
目を合わせていることも出来ずに、下を向いたまま、しどろもどろになってしまった。

「す、すまない…。何て言うか、その、本当に弾みで…。ええと、勿論その、他意はないんだけど…」
「……」

ピキ!!!!
直後、御剣の顔から瞬時に笑顔が消え、額には凄い青筋がくっきりと浮かび上がった。

((怖ェェェ……!!))

成歩堂と矢張の二人は、思わずお互いに抱き合ってしまいそうなほどに怯えたけど・・・。
ここでそんなことをしては、増々相手の怒りを煽るだけなので、何とか踏み止まった。

「それならば…ベッドに寝ていたのは何故だ?」
「ふ、深い意味はないよ!ただ、寒い日とかはよくこうしてくっついたり…」
「…よく?では…今日だけではないと言うのだな?」
「……!!そ、それは…っ!!!」
「バカ!成歩堂!お前もう黙ってろって!」
「むぐぐ…っ」

御剣の額にもう一つ青筋が浮かび上がったのを見て、矢張が成歩堂の口をがばりと手の平で覆った。

「ところで矢張…」
「な、な、な、何だよ?!」

そこで、今度は矛先が矢張へと向く。
厳しい声で名前を呼ばれて、矢張は引き攣った声を上げたが、流石修羅場に慣れているだけあって、すぐに何事もなかったような顔に戻った。
が……。

「本当に成歩堂と…キスしかしていないんだろうな」
「え?勿論だぜ?キ、キ、キスだけに決まってるだろ?」
「……。矢張、もう一度言ってみろ」
「ええと…キ、キ、キスだけしか、してないぞ」
「……」
「矢張!!お前、何でそこで引っ掛かるんだよ!」

矢張の掌から逃れた成歩堂が、今度は慌てて矢張の口を塞ぐ。
けれど、もう全ては遅かったようで。
ふと気付くと、先ほどまで部屋中に充満していたどす黒い空気は、いつの間にか底冷えするような殺気に取って変っていた。
とにかく、物凄く居心地が悪い。
一体どうしたものかと…二人が怯えたままで頭をフル回転させていると、やたらと厳かな御剣の声がした。

「よく…解かった、成歩堂龍一、矢張政志」
「……(ごくっ)」

被告人の名前でも読み上げるような、重々しい口調。

「当然…覚悟は出来ているのだろうな?」

続いて、じり…と一歩足を進めて来た御剣に、二人は思わずズザザと部屋の隅まで後ずさりした。
御剣が一本ずつ指を鳴らす音が聞こえて、血の気が失せる。
彼が無表情なのがまた恐ろしい。
二人はさながら、蛇に睨まれた蛙のような気持ちになってしまった。

「…み、御剣!お前、さっきは怒らないって、言ったじゃないか!」
「そうだぞ、御剣!約束は守れよな!」
「何のことだろうか…?」
「……!!」
「……!!」

ささやかな抗議の言葉もあっさりと切り捨てられてしまい、物凄く嫌な汗が二人の背を伝う。

「ちょっ、ちょっと、待った!い、異議あり!」
「異議は、却下する」
「……!!!」

(そ、そんな!!)

矢張と一緒に部屋の隅に追い詰められながら、成歩堂は最後の抵抗を試みたのだが。
がしっと腕を掴まれ、それ以上の言葉は完膚なきまでに封じ込められてしまった。
そうして…。
その日の深夜、成歩堂の部屋には二人分の断末魔が響き渡った。



END