Cry Baby




「泣かないで、リュウちゃん」

そう言うと、目の前の彼は涙がいっぱいに溢れかえった双眸をこちらに向けた。
瞬きすると、その目から透明な水の粒がぽろぽろと零れ落ちる。
男の子の涙なんて、初めて見た。
彼が目を閉じたり開いたりする度、それは目尻に留まりきらずに溢れてしまう。
何て綺麗なんだろう。零れるのが勿体無い。
でも、触れようとしたら、あっと言う間に壊れて散ってしまう。
見ているだけしか出来ない、綺麗なもの。
暫くの間、あやめは言葉も忘れて、彼の泣き顔に魅入っていた。



「ちいちゃん、この映画一緒に観よう」

待ち合わせ場所に現れた成歩堂は、何だかうきうきとした態度で、あやめに一枚の映画のDVDを出して見せた。

「これは、どう言う映画ですの?リュウちゃん」
「友達に貸して貰ったんだよ。凄く面白いんだって」

彼が言うには、胸が締め付けられるほど純粋で切ないラブストーリー…なのだとか。
確かに、題名もそれっぽいし、パッケージを飾っている男女もまるで世界は二人の為にと言わんばかりに抱き締め合っている。

(お姉さまがご覧になったら、何とおっしゃるかしら)

一瞬、そんなことを考えたあやめだけど、彼と見る映画の内容を想像すると胸が躍った。
元々、そう言うものは嫌いではない。
今自分が置かれている身の上を思うと、もしかしたら、切なくなって泣いてしまうかも知れない。
ぐしゃぐしゃになったみっともない泣き顔なんて、彼にはあまり見られたくない。

(ど、どうしたら良いの…)

泣き崩れた顔を見たら、成歩堂は自分に幻滅してしまうかも知れない。
そうなったら、ちなみに何と言われるか。
いや、それよりも何よりも、成歩堂に嫌われてしまうなんて、耐えられそうにない。
何だかんだと考えている間に、あやめの胸は不安で膨れ上がってしまった。
でも。
いざ映画が始まると、それは本当にいらない心配だったことに気付いた。
映画の登場人物に感情移入し過ぎたのか、嗚咽まで上げながら盛大に泣き出したのは、成歩堂の方だった。
薄暗い部屋の中で、嗚咽を堪えるように衣服をぎゅっと握り締める指先が見える。
ほんのりと頬が赤く染まって、その上を彼の涙が零れ落ちる。
何度も何度も。
テレビの画面などそっちのけで、横目で彼を見ていると、胸の奥がきゅっと痛くなってしまった。
どうしよう…。
こんなに綺麗なものが沢山出て行ってしまったら、彼の中はあっと言う間に渇ききってしまう。
何とかして、止めないと。
彼の涙は、彼の中に閉じ込めておかないと。
そう思っているのに、すぐには行動に出ることが出来ない。
姉のちなみだったら、どうしただろう。
驚くほどに巧な言葉と仕草で彼を癒して、小さく上がる嗚咽も涙も、ぴたりと止めてしまうに違いない。
でも、そんなこと、自分にはとても出来そうもないから。
代わりに、せめて彼を抱き締めてあげたい。そう思った。
けれど、そんな大胆なこと、もっと…出来るはずない。

「泣かないで、リュウちゃん」

ようやく出て来たのは、おずおずとした頼りない感じの、たった一言だけ。
あやめが言い終えると、彼は今こちらに気付いたとでも言う様に、ハッと我に返った。

「ご、ごめん…!ちいちゃん…」

成歩堂はそう言って、慌てたように涙を手の甲で拭った。
あやめも慌ててハンカチを取り出すと、頬についた涙の跡をぎこちない仕草で拭き取ってあげた。

「もう大丈夫だから。ごめんね」
「いいのよ…リュウちゃん」

あやめが首を振ると、成歩堂は少しホッとしたように笑顔を浮かべて、それから又映画に釘付けになった。
真剣そのものになった彼の横顔を、再び見詰める。
彼の涙は、こうしてずっと、止まったままでいて欲しい。
ずっと側にいて、彼を守ってあげたい。
でも、それは許されないことだと解かっている。
だから、せめて今だけでも、彼が泣き止んだままでいてくれますように。
そう願わずにはいられなくて、あやめはそっと腕を伸ばして、成歩堂の手を握り締めた。



END