Date
何度かそれとなく誘ってみたことはあったけれど、その度に曖昧な笑みで誤魔化されたり、終いには”じゃあ、皆も誘って”なんて言葉ではぐらかされたりして来た。
でも、どうしても諦められなくて、その日、茜はまた彼に思い切って声を掛けた。
「あの、成歩堂さん!」
ぎゅっと、両方の拳を握り締めて、パーカーに包まれた背中に呼び掛けると、彼はくるっとこちらを振り向いた。
「茜ちゃん、どうしたんだい」
「成歩堂さん」
優しそうだけど、何だか掴めない、気だるい笑み。真っ直ぐ見詰めると、すぐニットで表情を隠してしまうから、彼が何を考えているのかよく解からないけれど。
(でも、今日こそは!)
周りにあの王泥喜法介も、愛娘のみぬきもいないことは、カガク的に証明済みだから。今がチャンスだ。
茜はすぅっと深呼吸して、それから一気に告げた。
「あ、あの!今度の日曜に、良かったらデートして下さい!二人っきりで!!」
もう何度目になるか解からない、はっきりと単刀直入なデートの誘い。
いつもは、ちょっと困ったように、でもまんざらでもないような笑みを浮かべながら、曖昧にされて来た。けれど、あまりに必死な茜に流石に気圧されたのか、ほだされてくれたのか、その日の返事はいつもと違っていた。
「ああ、別に構わないよ」
「ええっ!ほ、本当ですか!!」
自分で誘っておいてなんだけど、まさか了承してくれるなんて思っていなかった。
初めてOKして貰って、その日は嬉しくて仕方なかった。日曜までが楽しみだ。
難しい仕事だって、何故かてきぱきこなせる。かりんとうだって十倍は美味しく感じる。苛々することも減って、美容にもいい。良いことだらけだ。
そんなことを考えながら、茜は日曜が来るのを心待ちにしていた。
そして、待ちに待った当日。
新調した白衣を身に纏って、いざ、出陣!と言うところで、突然携帯電話の着信音が鳴った。
こんな日に、なんだろう。何だか、嫌な予感がする。案の定、携帯のモニターには上司の名前が書いてある。
まさか、と思いながら恐る恐る通話ボタンを押して、急な仕事が入ったと聞かされると、茜はがっくりと肩を落とした。
「解かりました。今すぐ行きます」
そう言って、携帯をしまって、急いで警察署に向かう。途中の電車の中で、もう一度携帯を取り出して、成歩堂の番号を呼び出した。
昨日の夜、”明日ですね、楽しみです!一緒に行きたいお店があるんです”なんて会話を交わしたばかりだったのに。早く済めばいいけれど、わざわざ呼び出されると言うことは、結構大変そうだ。
(成歩堂さん……)
何だかちょっと泣きそうになってしまったけれど、仕事を放っておくなんて、出来るはずない。それこそ、成歩堂に怒られてしまう。
茜はやたらと重い手つきで、断りのメールを打った。
予想していた通り、仕事の内容は結構手間の掛かることだった。
週末はあんなにてきぱきこなせたのに、何だか上手く進まないし、それなのに気持ちばかり焦って、ミスばかりしてしまった。こんなはずじゃなかったのに。
全部片付ける頃には、すっかり日も暮れて、夕方の空気が辺りに広がっていた。
「はぁ〜」
デスクに突っ伏してぼーっとしていると、急に悲しさが込み上げて来た。
携帯を取り出してみたけれど、成歩堂からは返信のメールすらない。着信なんて、勿論ない。
もしかして、怒ってしまったんだろうか。あんなに必死に誘ったのに。
「刑事くん、帰らなくていいのかい」
「あ……、牙琉、検事……」
警察署に用事だったのか、たまたま会った響也に話掛けられて、茜はハッとした。
「い、今帰るところです。もう、終りましたから」
「何か約束があったんじゃないのかい。残念だったね」
「……!あ、あなたに関係ないですから!!」
思わずカッとして、そんなことを言ってしまった。
荷物を纏めてばたばたと警察署を出ると、罪悪感でいっぱいになってしまった。
響也は、何も悪くないのに。完全に八つ当たりだ。子供みたいだ。
(だから、成歩堂さんだって……、いつもあたしのこと、子供扱いして……)
こんなんじゃ駄目だ。もっと、しっかりしたいのに。
こう言うことも、お得意のカガクですっきり解明出来れば、何にも困らないのに。
すっかり落ち込んでしまった茜は、とぼとぼと歩きながら、何気なく、成歩堂と待ち合わせするはずだったひょうたん湖公園へ向かってみた。
ちょっと女々しいけど、今日くらいは少し落ち込んだっていい。本当なら、あそこで待ち合わせして、今頃……。
(………って)
「あ、あれ?」
ふと、ある場所に目を留めて、茜は目を丸くした。
街灯の下で座り込んで、ぼうっと湖の方を見詰めている、水色のニット帽の人物。
あれは、間違いない。
(な、成歩堂さん!!)
どうして、まだここにいるのだろう。
認識すると同時に、今までの重い足取りが嘘のように、茜は思い切り走り出していた。
「成歩堂さんっ!!」
大声で呼び掛けると、彼だけじゃなく周りの人も何事かと振り返ったけど、そんなことは気にしていられない。
たたっと音を立てて側まで走り寄ると、間違いなく、とっくに帰ってしまった筈の彼が、その場にいた。
そうして。
「やぁ、茜ちゃん。随分遅かったね」
「……え」
怒るでも何でもなく、あっけらかんとした台詞を吐く彼に、茜は呆然としてしまった。
「遅かったって……あたし、行けなくなったってメールを……」
「えっ?」
「見て……ないんですか」
「気付かなかったよ、ごめん」
そう言いながら、成歩堂はポケットから携帯を取り出して、あ……本当だ、と呟いた。
「仕事、もう終ったの?」
「はっ、はい。何とか……」
「そっか、お疲れさま」
「は、はい……」
にこ、と微笑まれて、ぼうっと頬が赤くなるのが解かる。いや、でも、暢気に赤面している場合じゃない。カガク的に。
「あ、で、でも!」
「……うん?」
「ど、どうしてこんなに待てってくれたんですか?!怒ってないんですか?!」
当然の疑問を口にすると、彼は気だるい眼差しを送って、それからゆっくり首を横に振った。
「怒ってなんかいないよ。そんなに待ってるって実感もなかったし。会えたから、それでいいよ」
「な、成歩堂さん……」
そう言う……ものなのか。それって、単に暇人って言うか……。
七年前に比べて、ちょっと変わったと思っていたけど、本当に変わっていたみたいだ。
そう思ったけど、そんなところまで今日は凄く嬉しい。
会えただけでも、本当に良かった。でも、もう夜も遅いし、予定もあるだろうし。
「じゃあ、今日は……本当にすみませんでした。あの、気を付けて……」
帰って下さいね、そう言おうとした言葉に、成歩堂の声が重なった。
「じゃあ、どこに行こうか」
「え……っ」
「行きたいところがあるんだよね?」
「で、でも、こんなに遅くなっちゃったのに、大丈夫なんですか?!」
「ああ、時間なら気にしなくていいよ。折角だし、一緒にご飯食べよう」
「……な、成歩堂さん」
まさか、そんなこと言ってくれるなんて。
嬉しさやら感動やらで、茜は思い切り成歩堂に飛び付いて、ぎゅっと腕を掴んでそこに自分の腕を絡めた。
「行きましょう!!成歩堂さん!!」
「あ、茜ちゃん……」
流石にちょっと驚いたらしい成歩堂が、抗議するような声を上げたけれど、もうそれも気にならない。
「成歩堂さん、あたし、嬉しいです。ありがとうございます!」
「解かったから、ほら、離れ……」
「じゃあ、行きましょうか!!」
「茜ちゃ……」
「やたぶき屋さんにだって、負けてないと思うんです!成歩堂さん、きっと気に入ってくれると思います!」
「うん、それは楽しみだけど、手を……」
「今日はあたしが奢っちゃいますね!」
「………」
最後はついに諦めたのか、単に呆れたのか、成歩堂は茜の手を振り解こうとはしなかった。
そのまま、茜と成歩堂は二人で腕を組んで、足早に夕方の街を歩いた。
終