Destiny2
その後。
食事をしながら何だかんだと話をして、それからファミレスを出た。
春美は基本的なことはしっかりと覚えているようだった。
この分だと、真宵に会えば何か変化があるかも知れない。
「じゃあ、まずは事務所に帰ろうか」
「はい、なるほどくん」
再び手を繋いで、事務所への道のりを歩き出す。
「わたくし、殿方とこんなに沢山お話したのは、初めてのような気がします」
少し歩くと、やがて春美がそんなことを言い出した。
「そっか・・・。そうだよね」
そう言えば、倉院の里には男の人があまりいないんだった。
それに、今までのことも忘れているのだとしたら、初めて打ち解けてくれたのは自分だと言うことか…。
何だか、いつも以上に保護者気分だ。
何と言うか、親戚の子を預かっているような…そうでもないような。
「あの、なるほどくん」
そんなくすぐったい感傷に浸っていた成歩堂に、突然、やたらと改まったような春美の声が掛かった。
「ん、何?春美ちゃん」
くるりと顔を向けると、春美は今まで見た中で一番うっとりした表情を浮かべて、大きな目をきらきらと輝かせていた。
「……?」
(な、何だろ…)
何となく、嫌な予感が成歩堂の胸を掠める。
そして、それは気のせいではなかったらしく。
続けて口を開いた春美は、とんでもないことを言い出した。
「決めました。わたくし…あなたさまに嫁がせて頂きます」
「……?」
(……え)
あまりのことに、咄嗟に声が出ない。
今のは…空耳だろうか。
この子は一体、何を言って…?
「なるほどくんのようなご立派な殿方は、他にいらっしゃいません。なので、良ければ…わたくしと…」
「え、え…?」
「ふつつかものですが…どうぞ宜しくお願い致します」
「えええ?!!」
深々と頭を下げられたところでようやく我に返り、成歩堂は引っくり返った声を上げた。
「は、は、春美ちゃん!な、何を言って…!!」
気が動転して慌てふためくと、春美は照れたように手の平で頬を覆った。
「そんなに喜んで頂けるなんて…。わたくし、嬉しいです」
「い、いやいや!違うんだよ、そうじゃなくて!」
「そんなに赤くなられると…わたくしまで釣られてしまいます」
「は、春美ちゃ…」
「奥ゆかしいところも、とても素敵です」
「……ぐ」
「では、なるほどくん。早速、わたくしと誓いの口付けを…」
「……っ!!」
く、口付け!?!
(ど、どうすれば良いんだ?!)
突然の展開と、目の前で仄かに頬を染めた春美と、妙な照れ臭さが相まって、成歩堂は殆どパニックになってしまった。
(な、何でこんなことに…!)
本当に、何が不味かったんだろう。
成歩堂は何度か瞬きをしてみたけれど、目の前の状況が変わる訳ではなかった。
とにかく、口付け…それだけはする訳にいかない。
ここは、他に好きな人がいるとでも言った方が良いのだろうか。
傷付けるのは本意ではないけれど、早めに手を打たないと、とんでもないことになりそうだ。
もう既に、とんでもなことに片足を突っ込んでいるようなものだし。
成歩堂は必死に自分を取り戻すと、大きく深呼吸をした。
「あのね、春美ちゃん」
「はい、なるほどくん」
「ええと、その…。実はね、ぼくにはもう好きな人がいるんだよ」
「え……っ」
「春美ちゃんのことは勿論好きだけど、結婚は出来ないんだよ。ごめんね」
「な、なるほどくん」
(こ、こんなんでいいかな)
成歩堂の言葉が終わると、春美は少しショックを受けたのか、俯いてしまった。
(き、気まずい…)
何で二十歳過ぎにもなって、こんな校舎裏の甘酸っぱい告白のような体験をしなくてはいけないのか。
でも、春美には悪いけど、仕方ない…。
(ごめんね、春美ちゃん…)
心の中でそっと謝った直後。
てっきり落ち込んでいると思った彼女から、凛とした声が上がった。
「なるほどくん!!」
「は、はい?!」
何事かと目を向けると、小さな顔に怒りの表情を浮かべて、眉を目一杯吊り上げた春美の顔が見える。
(…ま、まずい!)
この顔は、見覚えがある。
息を飲む成歩堂に、春美は和服の袖をぐい、と捲り上げると、声を張り上げた。
「わたくしと言うものがありながら、他の女の方にお目移りされるなんて……許しません!!」
「……!!」
パン!
続いて頬に走る凄まじい痛み。
「い、いや、目移りも何も、ぼくたちはまだ…」
「言い訳はおよしなさい!」
「……!!」
パンパン!
弁解しようとすると、更に容赦ないビンタがもう二発。
(う、うう…)
当然だけど、物凄く痛い。
少し涙を浮かべながら、成歩堂は両方の頬を手の平で擦った。
何だろう、これは。話が通じないし、頬も痛いし、いつもと変わらないような。
いや、確実にいつもより酷い。
ひりひり痛む頬をさすりながら、成歩堂が絶句していると、再び春美の呼び声が聞こえた。
「あの、なるほどくん」
「こ、今度は何?」
思わずぎくりとして身構えると、春美はいつなく厳かな様子で、真摯な眼差しをこちらに向けて来た。
「わたくしたちがこうして出会えたのも、きっと何かの運命だと思うのです」
「え……?」
(う、運命?)
何だか不思議な力のあるような大きな目に見詰められて、思わず動きが止まる。
「なるほどくんにとってはわたくしが、わたくしにとってはなるほどくんが…。ですから、どうか受け入れて下さい」
そう言って、春美は小さな両手をそっとこちらに向けて差し出した。
「は、春美ちゃん…」
視線を逸らすことが出来ないまま、成歩堂は呆然と春美の名前を呼んだ。
今日はとにかく、とんでもないことに巻き込まれたと思っていたけれど。
そうか…。もしかしてこれが、運命と言うものなのだろうか。
受け入れてみれば、解かるのだろうか。
「春美ちゃん…」
言いながら、ゆっくりと差し出された彼女の手を取ろうとした、その時。
「あー!もう!こんなところにいた!」
「……!!」
背後から聞き覚えのある声が掛かって、成歩堂は飛び上らんばかりに驚いた。
「ま、真宵ちゃん!」
振り向くと、少し怒っているのか、頬を膨らませた真宵が立っていた。
「凄い探したんだからね!全然連絡取れないし!」
「ご、ごめん。真宵ちゃん。でも、こっちも大変だったんだよ、実は春美ちゃんが、記憶…」
事情を説明しようとした、その時。
「真宵さま!真宵さまぁぁ!」
「……?!」
(・・・え?)
ドン!と言う衝撃の後、成歩堂の目には、すぐ隣にいたはずの春美が真宵に向かって駆け寄っていくのが見えた。
「は、はみちゃん?どうしたの?」
突然泣き付かれて、真宵もかなり驚いたようだった。
小さな春美の体を受け止めながら、困惑したように成歩堂を見る。
「なるほどくん!どうしちゃったの、はみちゃん」
「多分、安心したんだよ。それに全部思い出したみたいだね」
「え?何?どう言うことなの!」
目を見開く真宵に、成歩堂はことの成り行きを話し始めた。
勿論、プロポーズ云々の話は省いて。
「そうだったんだ…。大変だったんだね」
「申し訳ありません…。なるほどくんにも、真宵さまにも、ご迷惑をお掛けしました」
「い、いや。いいんだよ。元に戻れば、それで」
記憶が戻った後、物凄い勢いでかしこまる春美を、何とかなだめて元気付ける。
何となくしっくり来ないこともあるけれど、何と言うか…もう忘れよう。
がっくりと肩を落とす成歩堂に、真宵は無邪気な目を向けた。
「そう言えば、なるほどくん。さっき、運命が何とかってブツブツ言っていたけど、何のこと?」
「……。何でもない…」
「真宵さま!なるほどくんの運命と言えば、真宵さまに決まっているではありませんか。そうですよね、なるほどくん!」
「……」
(運命って…)
運命って一体、何なんだ。
改めてそう思って、成歩堂はこの日一番深くて長い溜息を吐き出した。
END