毒の花
観葉植物の、チャーリーくん。
千尋がいなくなってしまってから、それを枯らさないようにと、成歩堂は日々奮闘していた。
普段なら絶対に見ない、植物についての図鑑を借りて来て、毎度熱心に読みふけっていた。
水のやり加減とか、他に気を付けるべきことはないか、とか。
やがて、パラパラと何気なく本を捲っているうちに、綺麗な花のページに差し掛かった。
成歩堂が名前も解からないような沢山の花が、写真と一緒にぎっしりと載っている。
(いつも思うけど。何でこう、難しい名前のが多いんだろう)
うーんと唸って、ページを進める手を早めていると、ふと、ある写真に目が留まった。
「あれ…?これ…」
何か、見たことがある。
それに、この名前、何だか聞いたことがあるような。
でも。成歩堂は、チューリップとヒマワリしか知らない。
綺麗な花だけど、名前なんて…。
そこまで思い巡らしたところで、ふと、頭の中にぼんやりと声が聞こえた。
『金鳳花よ…』
「……?!」
『ご存知かしら…?リュウちゃん』
「……!!」
(…ああ…)
懐かしい、声。
忘れたくても、忘れることなんて出来ない。
そうか…。彼女だ。
もう今は、成歩堂の中に遠い面影を残すのみになった、彼女。
美柳ちなみ。
彼女の姿は、今でも成歩堂の目の奥に、残像のように焼き付いたままだ。
瞬きをする度にちらつく彼女の笑顔は、いつでも綺麗で可憐で…。
確かあの時も、こんな顔で笑っていた。
「何してるの、ちいちゃん」
「リュウちゃん」
資料の為に借りた本を図書室に返却に来て、成歩堂は思わぬ人物を見かけた。
遠めでもよく目立つ、大好きな彼女。
声を掛けると、彼女は優しい笑みを浮かべた。
「珍しいね、ちいちゃんがこんなとこに来るなんて。何見てるの?」
「植物の図鑑ですわ、リュウちゃん。俳句や川柳の参考に見ておりましたの」
川柳はともかく、俳句は季語に花の名前を入れたりもするから…。
そう言うと、ちなみはにこりと笑って、本を成歩堂に見えるように半分差し出してくれた。
隣に腰掛けて、興味深そうにそれを覗き込む。
「花か…。へぇ、色々な名前があるんだね」
「リュウちゃんは、どんなお花がお好きなの?」
「え…?ぼくは…ヒマワリとチューリップしか解からないんだよ。ごめんね、ちいちゃん」
「まぁ…そうですの」
ふふ、と口元に手を当てて、彼女は微笑んだ。
思わず見惚れてしまうほど、愛らしい、天使のような笑顔だ。
一瞬、吸い込まれるように魅入ってしまい、成歩堂は少しだけ頬を染めた。
ややして再び図鑑に目を向けると、ある花が目に留まった。
「あ、でも…。この花なんか、ちいちゃんにぴったりだね」
「わたしに…ですの?」
「うん、可憐で可愛くて、守ってあげたくなるような…」
「まぁ、リュウちゃんたら…」
肩を小さく揺らして、ちなみは楽しそうに笑った。
彼女の白い指先が、写真の隣に書いてある、文字の部分をなぞる。
「これは、金鳳花って言うのよ。ご存知かしら、リュウちゃん?」
「ううん、初めて聞くよ」
「これが、ちなみみたいだなんて…。嬉しいわ、リュウちゃん。ぴったりですもの」
「うんうん、そうだよね!ちいちゃん」
回想から引き戻されて。
成歩堂は、あの時彼女がしたように、写真の横の文字をすうっと指先でなぞった。
つらつらと書かれた長い説明。
金鳳花。(きんぽうげ)学名ラナンキュラス。アルカロイドなどの毒性を持つ…。
成歩堂の指先はそこで止まった。
(毒の花……か)
でも、本当に綺麗だ。見るものを惑わす、毒の花。
(確かに、きみにぴったりだよ、ちなみさん…)
その日は、それ以上何も調べる気にならず。
成歩堂は分厚い植物図鑑を閉じて、本棚の奥へと押し込んだ。
END