ドレスコード
某月某日。
成歩堂芸能事務所前。
「成歩堂?何処かへ行くのですか」
少し浮き足だった様子で事務所から出て来た成歩堂は、そこで聞き覚えのある声に呼び止められた。
声のした方を見やると、親友…牙琉霧人の姿があった。
「ああ、今日みぬきの授業参観日なんだ。まだ時間はあるんだけど、何だか落ち着かなくて…」
だから、きみに構っている暇はないんだよね。
さらりとそう言い捨ててその場を去ろうとすると、腕が無遠慮な仕草で掴まれた。
「待ちなさい、成歩堂。きみは、まさかその格好のままで行くつもりですか」
「え…何か問題でもあるのかい?」
「流石に…その格好はいただけないと思いますが…」
「そう…かな…」
霧人の言葉に、成歩堂は首を傾げて足を止めた。
確かに…自分はいつもの格好のままだ。
授業参観て、そんなに気張っていくものなんだろうか。
これじゃあ、まずいのかな…?
無言で考え込んでいると、霧人が何かを思いついたように声を上げた。
「もし良ければ…私のスーツを貸してあげましょうか」
「ええ〜きみの?似合わないよ、きっと」
「…今の反応は、もっといただけませんね」
すぅっと周りの空気が冷え込んで、ブリザードが吹き荒れそうな雰囲気になり、成歩堂は少し慌てた。
「い、いや、きみにはよく似合っているよ、牙琉先生」
「まぁ…それは当然です」
(や…やり辛いなぁ…)
「とにかく、事務所まで来なさい。何とかしましょう」
少し引っ掛かるところはあったものの…その言葉に従って、成歩堂は霧人に腕を引かれたまま、彼の事務所へと足を運んだ。
そうして、いざ、事務所に着いて。
「成歩堂、では…これをどうぞ」
「……?!」
徐に差し出された衣服に、流石の33歳成歩堂も度肝を抜かれてしまった。
「な、何でこんな服をきみが持ってるんだ?」
「何か問題でも?」
「どう見てもその……女物だけど」
成歩堂の言う通り。
牙琉霧人の差し出した服は、オレンジと白が基調の、フリフリが沢山付いた、所謂ウエイトレスのような制服。
それに、これはどうも…見覚えがあるような。
そう、遥かムカシに、何かの事件で…。
ぐるぐる思考を巡らせる成歩堂に、霧人は眼鏡を直しながら冷静な突っ込みを入れて来た。
「可笑しいですね…。きみは…ウエイトレスの格好をするのも厭わない人間ではなかったのですか?」
「……?!」
「全観衆の前で叫んだそうじゃないですか、ぼくにだって着れます、と」
「なっ!何でそれをきみが知っているんだよ?!」
「きみのことなら何でも知っていますよ、成歩堂…」
「……」
あっさりと返されて、二の句が継げなくなる。
法廷記録にだって、そんな発言が載っているとは思えないのだけど?!
「それで、こんな日も来るかと思って用意させておきました、王泥喜くんに」
「……」
(オドロキくん…)
ああ、あの…。
こんな雑用までさせられているとは、気の毒に。
「まぁ、冗談はさておき…」
(なんだ、冗談だったのか)
少しホッとして、親友を見直した成歩堂に、霧人は次の服を持って来た。
「今日はこれを着るといいでしょう」
「こ、これは…!!」
(ぼくの、弁護士時代のスーツに…、そっくりだ)
青いスーツに、ピンクのネクタイ、白いシャツ。何もかも、そのまま。
違うのは胸に弁護士バッジが付いていないと言うことだけ。
「な、何できみがこんなものを…」
まさか、彼が着る訳でもないだろうし。
訝しげな顔で尋ねると、霧人はにこっと完璧な顔で笑った。
気のせいかも知れないけれど、何だかやたらと嬉しそうだ。
「さっきも言いましたが…もう一度聞きたいのですか?やれやれ、仕方ありませんね…。私はきみのことなら何でも…」
「わ、解かった、もういいよ、牙琉」
「……」
もう一度聞いて、ちゃんと自分を保っていられるか解からなかったので、成歩堂は慌てて遮った。
途端、再び空気が冷え込む。
「き、聞かなくても、解かってるつもりだからね」
又慌ててフォローすると、霧人はゆっくりと二の腕を持ち上げて腕組みをした。
「まぁ、ともかく…さっさと着替えて頂きましょうか」
「あ、ああ…うん…」
やっと機嫌が直ったようで、良かった。けれど…。
「じ、自分で脱げるよ、牙琉」
こちらに伸ばされた霧人の手がいきなりパーカーのジッパーを下ろして、成歩堂はぎょっとして身を引いた。
「それは…残念ですね…」
(本当に残念そうに言わないで欲しいな…)
内心で不満を漏らしつつ、パーカーを脱いでTシャツ一枚になったところで。
カシャ!カシャ!
「……?!」
背後からカメラのシャッターを切るような音が何度も聞こえて来た。
「こら…そこ、カメラを構えるんじゃない」
「ああぁぁ!すみません、成歩堂さん!つい、手が勝手に…!」
振り向いて声を上げると、いつの間にか二人の様子を覗いていた王泥喜が飛び上がって言い訳を始めた。
でも、カメラは離そうとしない。
「きみ…」
もう一度咎めようとすると、霧人に片手で静止された。
ここは、先生である彼からバシッと言って貰った方が良い。
そう思ったのだが。
「王泥喜くん…」
「は、はい!?」
「私が許しましょう。撮り捲くりなさい」
「は、はい!先生!!」
成歩堂の希望は無残にも蹴散らされてしまったようだ。
「…ぼく、もう帰るよ、牙琉…」
「ま、待って下さい!成歩堂さん!」
「待ちなさい、成歩堂!」
「待てないよ!」
少し眩暈を感じながら、事務所を出ようと後ずさると、二人が猛烈に追撃して来た。
必死で、何とかパーカーだけ掴んで外に出たはいいものの、これではいずれ捕まってしまう。
途方に暮れたところで…急にどこからか走って来たバイクが、目の前でぴたりと止まった。
そこに乗っている人物には、見覚えがある。
あれは、牙琉響也…。
「きみは…!」
「あんた…?何で兄貴の事務所に…」
「話は後だ!ちょっと、すまないけど…乗せてもらえないかな、牙琉検事」
言いながら、降りようとしている彼の後ろに強引に乗り込む。
「え、な、何だい?!」
「訳は後で話すから!早く!でないとこの排気口にたっぷりグレープジュースを流して…」
「わ、解かったよ。しっかり捕まってなよ」
半ば脅すような形ではあったが、響也のお陰で、何とか成歩堂はその場を脱出することが出来た。
「何かと思ったら…。つまりは、参観日に遅れそうってことかい?」
「そう言うことなんだよね」
「オーケイ、仕方ないなぁ。しっかり捕まってなよ、飛ばすからね」
ざっと事情を説明すると、響也は意外にも快く引き受けてくれた。
けど、先ほど、彼の兄に言われた言葉を思い出して、探るように背後から声を掛けた。
「…きみは、ぼくの服装については何も言わないのかい?」
「ああ、確かに。あんたの着ている安っぽそうな服、ぼくなら絶対に着ないけど。それがあんたのスタンスなら、それでいいんじゃないかな」
「ふーん…そう言うものかなぁ」
流石、あんな格好で検事席に立つ男は、言う事が違う。
成歩堂は感心したように呟いて、少し響也のことを見直したけれど。
そこで彼がスピードを上げたので、恐怖で身が竦んでしまい、すぐさま前言撤回することにした。
「じゃあ…助かったよ。ありがとう、牙琉検事」
「成歩堂龍一、あんた…顔がミドリ色だけど、大丈夫かい?」
「ああ、生きた心地がしなかったけど…とにかく、感謝するよ」
響也に礼を述べて、成歩堂はバイクを降りた。
何だか嫌な汗も額に浮き出ているけど、とにかく急がなくては。
ふらつきながら、ようやく辿り着いた校舎の中に入ると、玄関の前ではみぬきが待っていた。
「みぬき…?」
「あ、パパ!遅かったね!」
目を輝かせた彼女が、成歩堂の方へ走り寄って来る。
「パパだったら、時間より早く来てくれると思ってたのに」
「…そのつもりだったんだけど、すまないね、みぬき」
本当に申し訳なさそうにそう言うと、彼女は首を振って、にこりと満面の笑みを浮かべた。
「いいの!それより…はい、パパ!これ!」
差し出されたものを受け取って、目が丸くなる。
「え…これ。ジャケットかい?」
「そう、みぬきがこっそり買っておいたの。その、パーカーの上に着れるでしょ?今日みたいな日にはいいかな、と思って」
「そうだったのかい…ありがとう」
彼女が選んだジャケットは青色で、サイズも何もかも成歩堂にぴったりだった。
「本当にみぬきはよく気が付くね。その他の、役に立たない…モロモロの人たちと違って」
「えへへ、そうかな?」
「ああ、全く…みぬきには本当に敵わないよ」
他のモロモロの人たちが聞いたら(特に響也は)猛烈に憤慨しそうだけど。
のどかに会話を交わした、数分後。
成歩堂は無事、愛娘みぬきの授業参観に出席することが出来たそうな…。
END