FAKE
「牙琉…ぼくの一番嫌いなもの、知ってるかい?」
「嫌いなもの…ですか?」
ボルハチの、いつもの席で食事を終えた後。
向かい合って座っている成歩堂が、突然そんなことを言い出した。
いつも彼の話は突拍子がないのだけれど、こんな風に尋ねてくることは珍しい。
少し興味をそそられつつも、霧人はあくまで軽い調子で口を開いた。
わざとらしく、考える素振りを見せることも忘れない。
「確か…高いところ、だったような。それから機械にも弱いですね」
「当たりだけど、ちょっと違うかな。それは苦手なものだろう?」
「では、何ですか?」
霧人が聞くと、成歩堂は一端会話を止め、手元にあったグラスの中のジュースを喉の奥へ流し込んだ。
続いて、グラスを置いた彼がようやく発した言葉は、いつも動じない霧人を、僅かにだがぎくりとさせるものだった。
「裏切りと…、毒薬だよ」
「……!?…毒薬?」
「……?そんなに驚くことかい?」
少しだけ過剰な反応をした霧人に、成歩堂は純粋に不思議そうな顔をして、首を傾げた。
「いえ、失礼…。意外だったものですから」
彼の態度に、すぐ落ち着きを取り戻し、霧人はいつもと変らない笑みを作った。
「それにしても又…物騒なものですね」
「…ムカシ色々あってね、どうしてもこれだけは許せないんだ」
そこで再び言葉を切り、成歩堂は顔を伏せた。
今日はどうも、いつにも増して歯切れが悪い。
「牙琉…」
「……?」
少しの間の後。
突然、こちらに向けて伸ばされた手が、捩れた霧人の髪の毛をぎゅっと掴んだ。
そのままぐい、と引き付けられて、成歩堂の顔が間近に迫る。
「ぼくを裏切らないでくれよ」
「面白いですね…。もし裏切ったなら…どうしますか?」
「そんなことを聞いてどうするのかな」
「興味深いと思っただけです」
「……。そうしたら、そうだな…」
言いながら、成歩堂は何処か遠くを見るような目つきになった。
きっと、彼の言う…昔のことやらを思い浮かべているのだろう。
けれど、沈黙はほんの僅かなもので、ややすると、彼はこちらに真っ向から向き直って来た。
「絶対に許さないよ。何年掛かろうが諦めずに追い掛けて…必ず報いを受けて貰う」
「何年掛かっても追い続ける…?まるで恋のようですね」
表情を読み取られないように、眼鏡を片手で直しながら…。
揶揄するような口調で言うと、意外にも彼は更に何処か苦しそうな…真剣な顔になった。
「そうだよ、恋だった」
「……?」
「お陰で、5年間…ぼくは苦しむことになった」
5年間…。
一体どんな思いで過ごしたのかは解からないが、それは決して短い時間ではない。
「だから…きみは裏切らないでくれよ、牙琉」
言いながら、成歩堂が髪に絡めた指先をゆっくりと引き抜く。
「……」
するすると彼の手から流れ落ちる髪の毛を、感情の殆どない目で、じっと見詰める。
そうして。
最後の一束が擦り抜けると同時に腕を上げ、その手を掴んだ。
「私はきみを裏切らない。約束しましょう」
「…それは、本気で言っているのかな…?牙琉先生」
成歩堂の唇が、笑みの形に少しだけ歪む。
でも、二つの目は決して笑っていない。
暫く、無言のまま視線を合わせて。
「勿論ですよ、成歩堂」
仮面を被ることには慣れている。
穏やかな顔で残酷な嘘を吐き、霧人は目の前の男の手を握り締める指に、そっと力を込めた。
END