Final Attack
こんな風に覚悟を決めて彼の前に立つのは、何度目だろう。
一番最初の裁判のときとか、この前、うっかり結婚なんて決意する羽目になったときとか。
そして、今。とにかく、これで最後にするんだ。
「あの、成歩堂さん」
王泥喜はぐっと拳を握り締めると、暢気にグレープジュースを飲み干している成歩堂龍一の前に立ちはだかった。
「何だい、オドロキくん」
あんなことがあったのに、この人は本当にいつもと変わらない。何を考えているのか解からなくて、気だるい眼差しでこっちを見詰めてくる。
王泥喜はごくりと喉を鳴らして、再び口を開いた。
「あ、あの、この前のって、どういう意味ですか」
「この前って?」
ふ、と口元を緩めて聞き返す彼に、思わず怯みそうになったけれど、ここで引く訳にはいかない。
「だから、俺の方が上だったらいいと思うって、そうだったらいいって、言いましたよね」
何だか急に恥ずかしくなって、語尾はどんどん小さくなってしまったけれど、ちゃんと言い終えた。
そのまま視線を逸らさずにじっと見詰めると、ややして彼はゆっくりと首を縦に振った。
「ああ、覚えてるよ、ちゃんとね」
「……!」
(よ、良かった)
これで第一段階はクリアだ。
思わずホッと吐息を吐き出して、王泥喜はもう一度拳を握った。
全く。どうしてこんなに必死になっているんだろう。誤解はもう解けたのだし、何もないならそれでいいじゃないか。
でも。
(でも、そうは思えないんだよな……)
振り回されているうちに、気になって仕方なくて、気付いたら何て言うか……。悔しくて口にはしたくないけれど、きっと。
頭の中に思い浮かんだ感情をやり過ごして、王泥喜はぐっと彼に詰め寄った。
「それって本気、なんですか」
「さぁね……」
「さ、さぁって…ちゃんと答えて下さいよ!」
思わず声を荒げてバンとデスクを叩くと、彼はなにやら考え込むように視線を逸らした。
また、見当違いのことでも吐くつもりなのか、煙に撒こうと言う寸法か。
息を詰めて見守っていると、少しの間の後、彼はゆっくりと視線をこちらに戻し、そうして口を開いた。
「じゃあ、確かめてみるかい」
「は……?」
「本当かどうか、直接さ」
「……え」
(えええ……?!)
意外過ぎる言葉に、王泥喜の心臓の音は凄い勢いで跳ね上がってしまった。
何でいきなり、そんな展開に!
「あ、あの、でも、俺……その……心の準備が……」
もう準備なら十分過ぎるほどしたつもりだったのに。
この期に及んで慌てふためくと、成歩堂は大きく息を吐いて、それからすとんとソファの上に座った。
そして、いつにも増して意味有り気な微笑を浮かべると、優しい声を発した。
「おいでよ、オドロキくん」
「……!!」
誘い掛けるような声に、どくんと鼓動が跳ねる。
「な、るほどうさん」
思わず彼の名前を呟きながら、王泥喜はふらふらと成歩堂の側へと身を寄せた。
隣に腰を下ろすと、王泥喜はそっと手を伸ばして、ぎゅっと成歩堂の肩を捕まえた。思わずこちらに向かって引き寄せると、気だるい目と視線が合う。
もう頭の中にまで鼓動の音が響き渡って、何がなんだか解からない。緊張のあまり、彼の肩に触れた手が小さく震えている。
王泥喜の様子に気付いて、成歩堂はからかうように口元を緩めた。
「やっぱり止めるかい?オドロキくん」
「え……っ」
「それとも、ぼくが上になる?」
「……!い、いえ!」
それは、それだけは譲れない。
改めて腹を括ると、王泥喜は彼の肩を捕まえた手にぐっと力を込めた。
「あの、俺……あなたを抱きたいです」
「オドロキくん……」
はっきりとそう告げると、成歩堂が少しだけ意表を突かれたように目を見開いた。
はっきりと口にしてしまうと、物凄く恥ずかしいようなことを言った気がするけれど。もう止まるなんて出来ないし、その気もない。
半ばヤケになったように、王泥喜は顔を寄せ、そっと成歩堂の唇を塞いでみた。
(うわ……)
思っていたよりも柔らかくて、温かい感触にじわっと頭の奥が熱くなった。何だか心地良くて、思わず羞恥さえ忘れてしまう。
一度少し離してもう一度触れると、今度は吸い付くようにしてみた。
「ん……っ」
反応するように小さく上がった声に、ぞく、と背筋に痺れが走る。
煽られるまま、王泥喜は目の前の甘い感触に夢中になってしまった。
何と言うか、ここまで来たら本当になるようにするしかない。
(よ、よし……!)
王泥喜は更に覚悟を決めると、思い切り成歩堂の体をソファの上に押し倒した。そうしてその上に圧し掛かり、強く身を寄せた。
そのつもり、だったのだけど。
「わ……っ?!」
「うわ……っ?!」
あまりにも勢い余ってしまったせいか、二人とも体勢を崩して、ずるりとソファから滑り落ちてしまった。
そして。
ゴィン!
と……何だか妙な音がして、次の瞬間、見開いた王泥喜の双眸には、思い切り床に頭を打ち付けている成歩堂の姿が映った。
「だ、大丈夫ですか?!成歩堂さん!」
「……うん、まぁね。平気だよ。ちょっと意識が遠退いたけど……。前に車に跳ねられても平気だったし、案外丈夫なのかな」
「そ、そうですか、良かった」
はぁーと安堵の吐息を吐き出すと、王泥喜は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「あの……本当に俺、すみません!」
「いや、いいよ。それより、悪いんだけど……確かめるのは又今度でいいかい」
「は、はい」
危惧はしていたけれど、やっぱりそうか。確かにここから仕切り直すのは何と言うか微妙な感じだ。
折角心を決めたと言うのに、がっかりだ。
でも。キスは出来た。それだけで、十分かも知れない。
けれど、万感の思いでキスの感触に浸る王泥喜に、成歩堂は少しだけ勘繰るような目を向けて来た。
「でもさ、本当に大丈夫なのかい」
「へ、何がです」
きょとんとした顔をして聞き返すと、成歩堂は先ほどぶつけた後頭部をさすりながら溜息を吐いた。
「きみが上でさ、ちゃんと出来るのかい」
「……!!」
(うっ……)
確かに。
さっきみたいなことがあっては、成歩堂が安心して身を任せてくれるはずない。これじゃあ、確かめるどころか、更に事態は悪化して、なかったことになんてされるかも知れない。
(いやいやいや、それだけは!)
王泥喜はすうっと息を吸い込むと、大真面目に大声で叫んだ。
「あ、あの、大丈夫です!!愛がありますから!!」
「……」
あまりに直球な台詞に、成歩堂の目が点になる。
けれど、彼はすぐに表情を緩めて、弾かれたように笑い出した。
「あははは、それは頼もしいね」
「……っ!!」
確かに今のは、あんまりな台詞かも知れないけど。
でも。
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
「はは、すまないね」
尚も肩を揺らして笑う成歩堂の腕を掴むと、王泥喜はそこにぎゅっと力を込めた。
こっちはいたって本気なのだから、そんな……。
「笑わないで下さいよ、成歩堂さん」
顔を寄せて囁くと、先ほどそうしたみたいに、またそっと唇を塞いだ。
「ん……」
柔らかい感触を味わうように深くキスを続けて、それからそっと顔を離すと、成歩堂は何だか見たこともないような優しい目でこちらを見た。
「うん、ごめんね……。もう笑わないよ」
そう言うと、彼は二つの腕で王泥喜を引き寄せて、ぎゅっと抱き締めてくれた。
「な、成歩堂さん……」
思わぬ行動に、またしてもどくんと鼓動が跳ねる。
彼から、こんな風にしてくるなんて。
間近にある彼の体温と、首筋に掛かる息遣いにぞくりとする。
そうだ。仕切り直す必要なんかない。今だって、こんなにドキドキしているし、きっと大丈夫。
王泥喜は湧き上がって来る感情に煽られるまま、再びガバっと成歩堂を組み伏せた。
「な、成歩堂さん、俺、やっぱり!」
「あ、ちょっと、待った!オドロキくん、この体勢は……!」
何かに気付いた成歩堂が切羽詰った声を上げたけれど。もう、既に遅い。
再び、ゴン!と鈍い音がして、今度は上に乗っかっていた王泥喜にまで衝撃が伝わった。
「……」
「わぁー!!成歩堂さん!!」
引き攣った王泥喜の声が成歩堂事務所に反響したけれど。
それに応える成歩堂の声は、いつまで経っても聞こえて来なかった。
終
+
おまけ
「結局さ、やっぱりぼくが上になるしかないと思うんだ」
「え、え?」
「また頭ぶつけるのは嫌だしね」
「す、すみません、すみません!」
「いいけどさ、痛いのは嫌なんだよね」
「あ、あの、大丈夫です!俺、ちゃんと頑張って成歩堂さんを滅茶苦茶気持ち良くさせますから!!きっと痛いのは最初だけです!!」
「……」
「成歩堂さん?」
「きみ、ときどき凄いこと言うよね」
「え?」
「いや、何でも。とにかく…決めたから。ぼくが上になるよ」
「えええ、ちょっと待ったぁぁ!!い、異議あり!」
「何で?駄目なのかい」
「いやあの、だから、その!俺は絶対上がいいんです」
「ああ、だからそう言うことじゃなくて」
「は?」
「ぼくが上に乗っても、きみが実質こう、すればいい訳で、よいしょっと……」
「わぁぁぁぁ!何するんですか!」
「何って、だから……。きみね……」
「す、すみません、びっくりして……つい。わ、解かりました!つまり上は上でも乗っかるだけってことですよね!」
「そうだね、ズヴァリ、騎乗……」
「なななな何てこと言うんですか!あなたって人は!」
「……。さっき、きみもそんなようなこと言ったんだけど、まぁ、いいか」
「……はい!俺、頑張ります!」
「……お手柔らかにね」
「はい!!」
おわり