Fortune
(これ、誰だっけ……)
暢気にそんなことを考えながら、成歩堂は見知らぬ人物の肩越しに事務所の天井を見上げていた。
さっきから訳の解からないことを言い続けていたと思ったら、デスクに押し倒されて、何だか色々されている。これって、結構まずい状況なのかも知れない。先ほどまで手にしていたグレープジュースのボトルが床に転がって、中身が零れているのが見える。
(勿体無い)
そんなことを思うと、勝手に眉間に皺が刻まれた。
でも、そんな暢気な感想を抱いている状況じゃないことも何となく解かっている。そう言えば。好きだとか、言っていたような……。覚えがある。ボルハチのときから何度か接触して来た男だ。でも、あの牙琉霧人に睨みを効かせられて、それ以来会うこともなかったのに。霧人がもう側にいないことを知って、再びこんな行為に出たと言うことか。
思い巡らしている間にも、衣服が捲り上げられそうになって、成歩堂は目を見開いた。
どうしよう、こう言うときは、あれに限る。急所を思い切り蹴って、さよならだ。でも、そう言うことをするには、それなりの気合が必要だ。まぁ、幸い相手は油断しているし、落ち着けばなんとかなる。
そう結論を下して、すぅっと深呼吸をして、足に力を込めようとした直後。
「何をやってるんですか!!」
辺りの空気をびりびりと揺るがすほどの、物凄い怒鳴り声が聞こえた。
成歩堂の上に圧し掛かっていた人物はびくりと肩を揺らし、脱兎の如く逃げてしまった。
顔を上げると、そこには怒りで肩を震わせている王泥喜の姿がある。
「オドロキくん」
何て大声だ。でも、助かった。
「助かったよ、ありが……」
「あ、あなたって人は!」
「……?」
ゆっくりと身を起こして言い掛けた言葉は、続く怒鳴り声に掻き消されてしまった。
彼はまだ怒りに肩を震わせたままで、つかつかと歩み寄ると、ドン!と成歩堂の肩を押した。
「え……っ」
瞬き一つする間に、起き上がったばかりの体が、再び凄い勢いでデスクに押し付けられる。
何事かと顔を上げると、上に圧し掛かっている王泥喜の顔が見えた。
「何勝手にやらせてるんですか!」
「うんっ?!」
そのまま、物凄い勢いで唇を塞がれて、成歩堂は変な声を上げてしまった。
いや、別に、勝手にやらせてた訳じゃない。そう言い訳しようにも、声が出ない。それに、勝手にって、王泥喜がそう言うことを言うのは可笑しいじゃないか。彼に許可を取る必要なんて、ないのに。
素朴な疑問も、当然の弁解も、口を塞がれていてはすることも出来ない。
「んん……、んっ」
その内、唇を割って侵入して来た舌先が、遠慮の欠片もなく口内を侵蝕しだした。荒っぽく吸われ舌を絡められて、息が上がる。乱暴な訳じゃなくて、余裕がない。それだけは伝わって来るから、跳ね退けることも出来ない。
やがて、散々味わった後でようやく解放される頃には、成歩堂も王泥喜もすっかり呼吸が上がってしまった。
でも、それだけでは気が済まなかったらしい。ぐい、と濡れた唇を手の甲で拭った王泥喜は、尚も必死な形相で、成歩堂の衣服を捲り上げた。
「ちょ、ちょっと、きみ、何して……」
「どこまでいったのか、確認させて下さい!」
「えっ……」
バン!と両の拳をデスクに叩き付けると、王泥喜はそんな宣言をして、成歩堂の肩をぐっと押さえ付けた。
見下ろす目は、どこか殺気立っている。怒りのあまり我を忘れているようだ。
何をそんなに、必死になっているのか。
(面白いなぁ……)
暢気にそんな感想を抱いているうちにも、王泥喜は尚もパーカをシャツごと捲くり上げ、肌の上を凝視している。妙な痕がついていないか、確認しているんだろう。
それにしても、成歩堂のことで、こんなに必死になるなんて。
一通り見終わって、ほうっと安堵の息を吐き出した王泥喜に、成歩堂は意味有り気な笑みを浮かべながら声を上げた。
「ねぇ、オドロキくん」
「なんですか」
「きみ、もしかして、ぼくのこと好きなの?」
「………え」
直後、ボンッ!と音がしそうなほど、彼の顔は真っ赤になった。
まるでゆでだこだ。トレードマークの前髪も、力をなくして項垂れるていて、なんてあからさまな。
でも、彼は必死に首を左右に振った。
「そ、そ、そんなことないです、だって、成歩堂さんは、男じゃないですか!」
「うん、そうだけど……。今、したじゃない、キス」
「え、あ、はい……、それは、そうですけど……」
しどろもどろになりながら、王泥喜は俯いてしまった。
何だか苛めているみたいで気が引けるけど、反応を見るのが楽しいから止められない。よく言うじゃないか、好きなこほど苛めたい。昔は解らなかったけど今なら解るかも……。
あれ、ってことは自分は王泥喜のことが好きってことか。そうか、そうかも知れない。
すんなり納得してしまうと、あとは勝手に言葉が出た。
「好きでもないのに、あんなことされたんだね、ぼくは……」
「え……っ」
そこで、ハッとしたように彼が顔を上げる。あと、もう一息だ。
「きみも、さっきのヤツと同じだなんて……、ショックだね」
物凄く落ち込んだ素振りでそんなことを言うと、王泥喜はちぎれんばかりに首を横に振った。
「お、俺は!そんなんじゃないです!成歩堂さんが好きですから!」
「……へぇ、そうなんだ」
「あっ!!」
しまったと言うように彼は口元を手の平で覆ったけど、もう遅い。
全く、何でそんなに真っ直ぐで馬鹿正直なんだ。
でも、それだけじゃない。意志が強くて、勢いがあって、引き込まれてしまう。
「オドロキくん、きみ、可愛いね」
「ええっ?!」
ぱち、と目を見開く王泥喜に顔を寄せ、成歩堂はそのおでこにそっと唇を押し付けた。
「な、成歩堂、さん……」
ゆっくりと唇が離れて行くと、彼はおでこを押さえながら呆然と呟いた。そうして、そのまま放心している。
「もしかして、嫌だった?」
顔を覗き込んで尋ねると、彼はまたハッとしたように顔を上げた。
「いえ……、そうじゃ……なくて」
「うん?」
「もっと……」
「………?」
「もっと、色々したいです、俺は!!」
「……え」
(もっと、って……)
からかおうとしただけなのに、そんなことを言われるなんて思わなかった。手玉に取ろうなんてしたら、こっちもただじゃ済まないかも知れない。
でも。
(ま、いいか)
「ぼくも、きみのこと好きだからね、多分」
「………!!」
好きだからと言う言葉にか、多分と言う言葉にか、過剰なまでに反応した王泥喜は、真っ赤になって目を見開いたまま、黙り込んでしまった。
大胆なのか、奥手なのか、一体どっちなんだ。
そんなことを思いながら、成歩堂は彼が正気になるのを待った。
そして、数分後。
「い、いいんですか、本当に」
ようやく顔を上げた王泥喜は、じっとこちらを見詰めながら、遠慮がちに口を開いた。
「うん、いいよ」
こく、と頷くと同時に、今日三度目になる固いデスクの感触が背中に当たった。
終