友人との恋バナなどで。
恋人の浮気現場に遭遇したという、何とも気の毒な体験談を聞いた事はあったが。
過去の恋愛において、相手の心変わりが原因で破局した例のない響也は、同情はできても心底の同調までには至らなかった。
しかし。
今日、初めて。
彼等の気持ちが、その衝撃が、理解できた。
ポタ、ポタ、ポタ、と立ち尽くす響也の身体から落ちた水滴が、床へシミを作る。
まさか涙じゃないよな、とメットに保護されて濡れていない筈の頬を拭いたくなった。
事務所へ向かう途中、突然のスコールに遭遇した響也は、ずぶ濡れになる事も厭わず、雨宿りをする事もなくアクセルを全開にして目的の場所へ駆けつけた。
ブランド物のお安くない服が濡れる事など、響也にとって大した事ではない。それよりも、1分でも早く会い、1分でも長く会っていたいのだ。
そんな気恥ずかしい程の純情を携えて、事務所を訪れた響也を出迎えたのは。
愛しい成歩堂が王泥喜と抱き合っているという、衝撃的なシーンだったのである。
「な、成歩堂さん・・」
入り口で声をかけると、王泥喜がいれば100%王泥喜が。誰もいなければ、のっそりと成歩堂が出迎えてくれるのに、何の応答もなかったのが最初の違和感。留守かと思いノブを捻ったら鍵はかかっていなかった為、ますます疑念を抱きつつ中へ入ったら―――成歩堂と王泥喜はソファにいた。
二人ともソファへ横たわって。
お互いの腰に腕を廻し。
しかも、成歩堂が王泥喜の上に被さってしがみつく構図で。
「どういう、事かな・・?」
絞り出した声は、常より1オクターブは低かった。
生活の殆どをダルダルモードで過ごすと決めている響也の恋人が上に乗ってくれる事など、焦らして焦らして追い詰めて、強要・懇願してようやく、なのだ。
稀少価値が高い故に、表情だとか声だとか反応は格別だが、同時にリスキーでもある。大抵、その後2週間は乗車拒否される。
欲しいんだ、と目の前の情景のように押し倒された事など、過去1度として、ない。
育ちの良さを反映し、基本温厚で中庸な響也も、キレるというものだ。
「オデコくん・・?」
成歩堂が王泥喜の胸に顔を埋めたままなので、自然と説明はばっちり目があった、ツノの付け根まで真っ赤になってアワアワしている王泥喜に求める事になる。
「あの、オレ、いや、違くて・・!」
「何を言っているんだか、さっぱり分からないよ。正確に、筋道をたてて、僕にも納得できる説明をしてくれないかい?」
「ひィぃぃ! 成歩堂さん、オレ、大丈夫じゃありませんっ! お願いですから起きて下さい!!!」
焦っているし酷く後ろめたい表情をしているものだから、響也のトーンは地の底まで下がる。さぞかし表情も声質に見合う暗黒オーラを漂わせていたに違いない。震え上がった王泥喜が、ようやく成歩堂の腰を抱いていた腕を外し、肩を揺すった。
「・・・ん・・・耳元で怒鳴らないでくれよ、オドロキくん・・」
「っ!?」
響也は、またしてもショックをうけた。今の成歩堂の台詞は、成歩堂が寝ぼけてたまたまそこにいた者に抱きついたのではなく、王泥喜と認識した上でこのような形になった事を指し示していたから。
最後の望みを絶たれた響也が固唾を呑んで見守る中、もぞりと成歩堂が首を巡らせた。
いかにも眠りを中断された時のように眠たげな眼差しをしていたが、その縁は少し赤く腫れていて。響也がギブアップするまで成歩堂を啼かせた時に、似ている。
「おや、響也くん。いらっしゃい」
しかも、成歩堂は響也の姿を視界に入れてもゆっくり瞬いただけで、慌てて王泥喜の上から起きあがる素振りも罰が悪そうな表情もしない。
響也に見せつけているのではないかと、勘ぐりたくなる。
「成歩堂さん、は、早く、どいて下さいって!」
1人焦る王泥喜が、妙に浮いている。
「ああ、ごめん。すごく気持ちよくて、ついウッカリ」
「っ!?」
「な、ななな成歩堂さんっっ!?」
雨で色を失った響也の面が、紙のように真っ白になる。正反対に再度茹で蛸になった王泥喜ではあったが、その表情も響也とは対照的に満更でもなさそうで。
カチン、とくる。
「説明して欲しいな」
滅多にない事だが、法廷詰問モードで成歩堂に対峙する。
その権利は、ある筈だ。曲がりなりにも、響也と成歩堂はそのような関係なのだから。
「説明するも何も・・・見たまんま、寝てただけだよ」
引っ剥がしたい響也の気持ちを知っていて、わざととしか思えない鈍さで王泥喜から離れニット帽を被り直す成歩堂は、王泥喜と違って動じた様子は全くない。
こういう時、響也は二人の格の違いを痛感する。
「おデコくんと、かい?」
言葉にはしたくなかった事実を敢えて口に出させるなんて、本当に響也の想い人は意地が悪い。
「だから、オレはですね! その、あの・・」
「オドロキくんは、巻き込まれただけだよ。関係ないからね?」
成歩堂としては王泥喜を擁護するつもりだったのだろうが、王泥喜が成歩堂の言葉を聞いた瞬間、安堵の中に無念そうな複雑な色が混ざった事に、成歩堂は気付いているのだろうか。
つくづく、男心を無惨に打ち砕くのが得意な成歩堂だ。
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