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「何やってるんですか?あなたは」
自宅への帰り道。
夕方のスーパーにふらりと足を踏み入れた王泥喜は、何の違和感もなくその場に紛れ込んでいる男を見つけて、思わず変な声を上げてしまった。
例えば、ここにいたのがあの牙琉響也なら、きっと物凄く違和感がある。あの検事と普通のスーパーはどうも似合わない。
でも、目の前にいる、響也いわく”薄汚いきみの先生”は、いつものパーカーにサンダル、そして何とも言えないだるそうな駄目そうな格好に、カゴを腕からプラプラと下げて立っていた。違和感がないならそれでいいはずなのに、何だか無視出来なかった。
いや、別に彼が買い物したって何も可笑しくない。現に自分だってここにいるのだし。でも、似合い過ぎてむしろ怖いと言うか。
この人があの、かつては世間を騒がせた成歩堂龍一だなんて、皆気付きもしないんだろう。
それはともかく、王泥喜の呼び掛けに目を上げた彼は、やぁ、奇遇だね、なんて暢気な挨拶を口にしながら、すたすたとこちらへ足を進めて来た。
「決まってるじゃないか、買い物だよ、夕飯のね。あと、その他もろもろ……」
彼の言う通り。買い物カゴの中には、人参やらじゃがいもやらネギやら、そんな生活感溢れる食材が沢山入っていた。
「成歩堂さん、買い物なんてするんですね」
「うん?決まってるじゃないか。みぬきが生活費を稼いでくれるんだ。ぼくはこう言う雑用をしなくちゃね」
「そう言う役回り、一応ちゃんと決まってたんですね」
事務所でただだらだら過ごし、気ままに出て行っては帰って来るを繰り返し、ご飯の時間になるとどこからともなく現れてどこかへと消えて行く。そんな野良猫みたいなイメージしかなかったから、意外だ。王泥喜が感心すると、彼は少し得意になったように続けた。
「勿論だよ。みぬきが偉大なマジックでお金を稼いで、ぼくは食材の買出しに。そしてきみが料理と洗濯と掃除だよ」
「なるほど、そうですか、……って!何で俺がそこに組み込まれてるんですか!」
と言うか、この人の役割は買い物のみか!
尤もな突っ込みだと思ったのに、彼は顔色一つ変えずに言い放った。
「仕方ないじゃないか、ぼくの労力は通常の人間の0.5倍だから」
「…………」
(何て駄目な大人なんだ)
心の中で呟きながら、王泥喜は溜息を吐いて頭を抱えた。
結局、王泥喜も何だか釣られるようにして事務所へ戻ってしまった。
「ただいま!パパ!あれ、オドロキさん、どうしたんですか」
「お帰り、みぬき。ちょっとスーパーで会ってね。折角だから夕飯作って貰おうと思って」
「お、俺はまだ了承してませんよ」
「お腹空いたよ、オドロキくん」
「みぬきも空きました!早くオドロキさんのご飯が食べたいです」
「ぼくも食べたい」
「あなたたちは……」
はぁ、と深い溜息を吐きつつも、何だか勝手に体が動いてしまって、王泥喜は渋々簡単な料理を作り始めた。
狭くて物が溢れる事務所で何とか三人食事するだけのスペースを確保して、ようやく夕飯にありつけたのは、約一時間後のことだ。
何だか、やたらと疲れた。戻って来ないで、真っ直ぐに帰ってしまえば良かった。
一瞬、そんなことを考えてどっと疲れが出たけれど。
「いただきます!オドロキさん!」
「いただくね、オドロキくん」
「あ、はい……、どうぞ」
心底嬉しそうな親子にそう言われると、少しだけ疲れも吹き飛んでしまった。
その後。一口二口食事を頬張ったところで、みぬきが思いついたようにマジックパンツの中から茶色い封筒を取り出した。
「パパ、これ忘れない内に渡しておくね。今月のお手当て」
「……?!」
「ありがとう、みぬき」
「今月はショーがいっぱいあったから、いつもよりきっといっぱい入ってるよ」
「嬉しいなぁ、みぬき、よくやったね」
「えへへ!」
「……」
(何だ、お手当てって、給料のことか)
愛人に対するみたいな言葉を使わないで欲しい。しかも、何だって成歩堂が愛人のポジションなんだ。胸中でそんな突込みを入れていると、くるりとこちらを見た成歩堂は、意味有り気な微笑を浮かべた。
「オドロキくん。きみも早く大きくなって、ぼくのこと養ってね」
「……!こ、子供扱いしないで下さい!俺はもう大人です!第一っ俺はみぬきちゃんと違って、あなたの、あなたの子供じゃありませんから!」
思わずムキになって、そんな風に言い返してしまった。
彼に子供扱いされるのは、何だか面白くないのだ、やたらと。
けれど、王泥喜が大声で怒鳴り終えると、二人は無言になってしまった。
(……あれ?)
何だ、この空気。もしかして、言い過ぎただろうか。
こんな風に食卓を一緒に囲んで、自分たちは家族みたいだね、なんて軽い冗談だったのかも知れない。それなのに、大人気ない言い方をしてしまった。
「あ……、成歩堂さん……」
今のは、本気じゃありません。
そんな風に弁解しようとした、直後。
「子供じゃないってことは、あれですね」
「うん、あれだね」
やたらと神妙な様子の二人の会話が聞こえた。
あれって、何だ。子供じゃないと言うことは、家族でもなんでもない。
王泥喜なんかただのマスコットだとか、またそんなことを言われるのだろうか。
「な、な、何ですか」
そう思って一瞬身構えると、にこりと笑ったみぬきがとんでもないことを言い出した。
「オドロキさんが、パパをお嫁に貰ってくれるってことですね!」
「はぁぁ?!」
「だって、みぬきたち、もう家族みたいなものですよね!」
って、どうしてそこまで話が飛ぶんだ。それに仮に自分たちが家族みたいなもだとしても、王泥喜のポジションが子供じゃなかったら、次の候補は成歩堂の婿なのか。訳が解からない。
「よろしく頼むよ、オドロキくん。至らないとこもあるけど、頑張るね、それなりに」
「至らないところもって言うか、至らないとこだらけですよ!」
いやいや、その前にそう言う問題じゃない。
何を言っているんだ、この三十三歳の無精髭の男は。
ただの冗談なのだから、笑って流すか、適当に相槌を打っておけばいいのに、何だか必要以上にうろたえてしまった王泥喜に、みぬきは楽しそうに続けた。
「大丈夫です、オドロキさん!こう見えてパパ、トコジョーズなんです」
「……?!み、み、みぬきちゃん、な、なんてことを!!」
「……?どうかしました?オドロキさん」
そのきょとんとした顔、どう考えても意味を間違って覚えてるに違いない。
それを知ってか知らずか、成歩堂は実に人の悪そうな笑みを浮かべて頷いた。
「そうそう、ぼくは意外に床上手だから、きっと夫婦関係は円満だよ」
「あ、あなたまで、悪い冗談は止めて下さいっっ!」
「オドロキさんっ!パパの、パパのどこが悪いんですかっ」
「そうだよ、オドロキくん。ぼくのどこかいけないんだい」
「と、取り敢えず、全部です!」
「酷いなぁ、そんな……」
握り拳を固めて叫ぶと、成歩堂はしゅんとしたように肩を落とした。
それを見たみぬきが、必死に彼を慰めようと明るく声を掛けている。
「大丈夫だよ、パパ!誰も貰ってくれなかったら、みぬきがパパを貰ってあげるから」
「うん、ありがとう、みぬき」
一体どこまで本気なんだ、この人たちは。
両手を取り合って愛情を確認しあった親子を見て、王泥喜は疲れがぶり返して来るのを感じた。
その後。
みぬきが洗いものをしている間に、王泥喜はその辺りを掃除して、ついでに洗濯物も畳んでおいた。
ようやく落ち着いて帰り支度を始めていると、パーカーに手を突っ込んだ成歩堂がすたすたと歩み寄って来た。
「今日はありがとうね、オドロキくん」
「え、あ……、はい」
「楽しかったよ。また、いつでもご飯食べに来てね」
「食べに来てって言うか、作っての間違いじゃないですか」
「はは、そうだね」
彼の満面の笑みに、何だか知らないけど、どくんと心臓の音が大きくなってしまった。
でも、それには知らないふりで、王泥喜は荷物を手にして扉へ向った。
それから、うろたえてしまったことがちょっと悔しかったので、くるりと振り返って、真っ向から彼を見詰めながら口を開いた。
「あなたが、もうちょっとだらしなくなくなったら、さっきのこと、考えておいてもいいです」
「……え」
「……上手なんでしょう、色々と。期待してますよ」
「…………」
王泥喜の意図していたことが、彼にちゃんと伝わったのかは、解からない。
でも、意表を突かれたようにぽかんとした成歩堂龍一の顔を見て、少しだけ溜飲が下がったような気がした。
終