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「すまなかったな、一条」
「あ……馬堂さん」
重々しい声に顔を上げると、もうよく見慣れた男の姿が見えた。
思わずほっとして、一条は無意識の内に強張った肢体から力を抜いた。
「馬堂さんが謝ることじゃない。あんたこそ、無事で良かったですよ」
「だが、テープは奪われてしまったな」
「ええ……、すみません」
黒服の男たちに囲まれてしまって、どうしようもなかった。大事な証拠品だったのに、あってはならないことだ。
苦い表情のまま黙り込んで俯くと、不意に馬堂の指先が肩に食い込んだ。ぐっと力を込められ、驚いて伏せたばかりの顔を上げると、馬堂の鋭い目の奥に苦悩するような色が浮かんでいた。
彼の気持ちは、きっと自分と同じだろう。今まで、彼と組んで沢山の事件を扱って来た。全て思い通りに進んだわけではない。時折苦い思いもしたし、ままならない状況に歯噛みしたこともある。
それでも、こんなにやり切れない思いを抱いたことはなかった、後悔してもし足りない。犯人は解かっている。それなのに。あのテープさせあれば、あの男を有罪に出来るはずだったのに。
悔しげに唇を噛むと、ぽつりと低い声が掛かった。
「お前は、俺が守るつもりだった」
「……馬堂さん」
確かに、彼に護衛して貰うはずだった。誰より頼もしい、馬堂刑事。でも、彼は一条との待ち合わせの場所に来れなかった。
「仕方ないですよ」
彼だって、自分と同じように襲撃されたのだから。しかも、又コートに穴を開けられてしまった。怪我がなかっただけでも本当に有り難い。
けれど、そんなことを言っても彼の気は済まないのだろう。責任感が強いだけに、自責の念も強いに違いない。
そんな彼の内心を軽くするように、一条は疲れた顔に無理に笑みを浮べた。
「止めて下さいよ、守るだなんて。美雲に笑われちゃいますよ」
軽い調子で言いながら、一条は長めの髪の毛を無造作に指先で掻き混ぜた。
途端、その指先が横から伸びて来た手に掴まれたのは唐突のことだった。
「……っ」
捕まえる手の力があまりに強くて、痛みが走る。そう華奢でもないはずの腕なのに、危うく折られてしまうのではと言うほど、馬堂の力は強い。触れている部分から、彼の静かな怒りと堪えているのに滲み出ている激情が伝わって来るようだった。
「馬堂さん?」
ただならぬ雰囲気に驚いて、目を見開いた途端。
「んっ、……んぅ?!」
ぐっと口元に生温かいものが押し付けられ、一条は息を飲んだ。
ぼやけた馬堂の姿で、視界がいっぱいになっている。彼があまりにも近い距離にいる証拠だ。
同時に、唇に触れているものがなんなのか悟って、頭の奥に衝撃が走った。
「ん、……ぅっ」
咄嗟に押し返そうともがいた途端、乱暴な仕草で髪の毛を握り締められる。
「……っ」
茶色の髪の毛を容赦なく絡め取る指先の力に、一条は眉根を寄せた。離れることは許さない。馬堂の鉄壁の意志が伝わって来る。その迫力に飲み込まれて、抵抗を忘れた。彼のもう片方の腕は、相変わらずこちらの手を痛いほど掴んだまま。
その上、呼吸まで塞ぐような口付けに酸素が足りなくなり、苦し紛れにゆるりと開いた唇から、馬堂の熱い舌が潜り込んで来た。
「ん、むっ……、んっ」
慌てて自身の舌で押し返そうとすると、それが無理矢理絡め取られる。ねっとりと絡み付く感触に、状況も忘れてぞくりと肌が粟立った。息も止まるほど貪られ、甘く強く吸い付かれる。濃厚な、とも言えるような口付けは、思考を停止させ、抗うことを忘れさせた。
「なっ、何を、するんですか!」
ようやく解放され、一気に流れ込んで来た酸素にむせ返った。それでも何とか呼吸を整え、抗議の声を上げた瞬間。掴まれたままの腕がぐい、と引かれ、一条の体は大きくバランスを崩した。
直後、どさっと音がして、側にあったソファに馬堂と二人、倒れ込んでいた。二人分の重さでソファが軋む。
押し倒されたのだと気付いたときには、彼の体が上に圧し掛かり、身動き取れなくなっていた。何が起きているのか、痺れたままの思考ではよく理解出来ない。ただ、圧し掛かる肢体がやたらと熱い。これ以上ないほど詰められた距離は、息苦しさを生む。
どく、と鼓動が不自然に早まった。
「馬堂さ……」
双眸は狼狽に揺れ、ようやく発した声は喉の奥に張り付いたように掠れていた。
けれど、自分を見下ろす彼の視線は、場違いなほどに落ち着いていた。
「暴れるな、怪我をする」
「な……っ」
告げられた台詞に、目を見開く。
彼は、何を言っているのか。
意図を読み取ろうと表情を伺うと、もう見慣れ過ぎている男の顔をまじまじと見詰める。そうして、ぎくりとした。
自分を見詰める馬堂の目に、微かな欲のような色が煌いている。にわかには信じられないけれど、恐らく、間違いない。彼の持つ雰囲気のようにどっしりと構えた動かしがたい欲情が、一条の肢体に注がれていた。
「馬堂さん」
思わず、呆然としたまま名前を呟く。その唇はすぐに近付いて来た強く温かいものでぐっと塞がれてしまった。
「ん……っ」
再び絡み付く温かいもの。明確な意思を持って一条の唇を甘く噛み、絡んだ舌が吸い上げられる。彼がいつも口にしている甘いキャンディの味が舌先に滲みた。
止めてくれと、きっぱりと抵抗すればいいのだろうが。信じられない状況に、一条の思考は半ば停止していた。だって、有り得ない事だ。どんどん深くなる口付けのことだけではない。馬堂の、ゆっくりと年を重ねた大きく節くれだった指先が、やや乱暴に白いシャツの前を割っている。肌の上を弄り、何の遠慮もなく腰を撫で、下肢へと降りる。
「……っ」
何とか顔を逸らして強引な行為から逃れると、今度は露になった無防備な首筋に吸い付かれた。温かい吐息が肌に直に掛かり、ぞくりと肌が粟立った。
「んっ、……つ」
吐き出す吐息と共に思わず出てしまった声に、ようやく焦りが浮ぶ。先ほどまでは、上に圧し掛かる温かさも、肌を弄る動きも、どこか他人事のように感じていたのに。口を突いて出た微かな甘いような声は、紛れもなく自分のものだった。
「あ……っ」
じわじわと中心を撫でられて、本能的な快楽が下肢を支配する。緩やかな刺激。急ぎもせず激しくもない。このまま、うっかりと流されてしまいそうな。
けれど、衣服を脱がされ、内股に食い込んだ指先の感触に、流石に焦りが浮ぶ。起き上がろうと身を捩り、一条はずるずると這い上がるように馬堂の下から逃れた。顔を上げると、乱れた呼吸を整えながら眉根を寄せた。
「正気ですか、こんなこと」
もう、いい年をした男が二人。こんな殺気立った状況で余裕も何もないなんて。はたから見たら、かなり滑稽に違いない。我を忘れて取り乱すほどうろたえてはいないけれど、それでも自分より勝る力に抑え込まれることに、一条は少しばかり恐怖を感じていた。
「……そうだな」
馬堂からぽつりと落とされた言葉は短くて、何の意図も読み取れない。
ただ、彼がこんな強硬手段に出るなんて、余程だ。それだけは解かる気がする。長い付き合いなのだ。
焦燥と、怒りと、自己嫌悪。それを忘れる為なのだろうか。
そんなことを考えている間に、掴んだ足が無理矢理引かれ、一条はあっと言う間に再び組み敷かれてしまった。馬堂の指先がベルトに掛かる。乱暴な仕草でそれが外され、ジッパーが躊躇いもなく降ろされる。
「馬堂、さ……」
先ほどから、戸惑うように呼ぶ声に、返答はない。代わりに、下衣の中に潜り込んで来た指先が、中心を直に愛撫し始めた。
「……っ、っ」
気を抜けば甘い声が漏れてしまいそうで、必死に唇を引き結ぶ。仰け反った喉に、濡れた舌が這わされる。いつの間にか、彼の施す行為に体が忠実に反応している。的確な愛撫に逆らう術などない。滲み出た体液が、馬堂の指先をしどけなく濡らした。
慰め合いでも、したいのだろうか。若い男同士じゃあるまいし、こんな―。
限界まで引き摺られ、意識が白濁しかけた途端。
「あ……っ」
突然中心を襲った痛みに、喉が鳴った。心地良い刺激は突然途絶え、奥へと忍び込んだ指先が後ろへと潜り込んで来たのだ。ぬめりを帯びた太い指が、ぐぐっと内部を押し広げながら侵入して来る。
「くぅ、……っ」
ぎゅっと噛み締めた唇から掠れた声が上がる。握り締めた拳が血の気を失って白く変わる。
何をするのだと、睨み付けて抗議しようとするが、上手く行かない。それどころか、抵抗するなと耳元に低いささやきが落とされる。痛みとも、快楽のせいとも解からない感覚で肌が粟立った。
やがて、散々押し広げるように中を探った後、絡み付く粘膜を無視して指が引き抜かれた。
「く……、ぅ」
不快感に眉根を寄せ、一条は呻きを上げた。
「大丈夫か、一条」
無理をさせている張本人がそんなことを言うのか。
言葉は声にならず、ただ喉が震えただけだった。
「息をしろ」
「……っ」
苦痛から逃れたくて、馬堂の言うまま、ふっと息を吸い込む。
途端、強張った肢体が僅かに弛緩した。その直後。
「――あっ」
「一条」
「……っ、ぅ、ああ……っ!」
ぐぐ、と押し当てられたものがゆっくりと体内に侵入して来た。埋め込まれたものは、ぎちぎちと音がしそうなほどきつい。眉間に皺が刻まれ、額に汗が浮き出る。それでも、馬堂は遠慮なく侵入して来る。際限なく犯されるのではと言う恐怖に怯える中、尻の辺りに馬堂の腰骨が当たり、これ以上ないほど深く繋がったのだと気付く。
「はっ……、ぁ……」
見開いた目から、涙が浮き上がって頬を伝った。それを拭うように、馬堂の指先が優しい仕草で頬をなぞる。
いつもと変わらない彼の様子が垣間見えて、ほっとしたのも束の間。ゆっくりと、腰が揺らされ、一条はひゅっと喉を鳴らした。
彼のものが行き来する度、ふ、ふっ、とお互いの吐息が上がる。一条は苦痛を逃がす為。馬堂は、こんな行為からでも、快楽を得ているのだろうか。
「もうヘマはしないさ。一条、お前は俺が……」
「……っ!」
囁くように耳元で告げられると同時に、中に熱いものが迸った。
粘膜でそれを受け止めたのを最後に、一条はふっと意識が遠退くのを感じた。
「すまん、一条」
「……」
謝ったら何でも済むと思っているのか、この男は。
始めと同じ、けれど全く意味合いの違った言葉を、一条は痛む下肢を抱えながら聞いた。
「許さないとは言いませんけど、理由くらいは知りたいですね」
「……」
馬堂から返答はない。何事か考えているのか、彼の視線は未だ外気にさらされている一条の下肢の辺りを巡った。かなり、悲惨な状況になっているその場所に、流石に罪悪を感じているのだろうか。内股を伝う白い液体を拭いながら、一条は呆れたような声を上げた。
「だんまりですか、馬堂さん」
はぁ、と溜息を吐くと、馬堂はくるりとこちらに向き直った。
「一条」
「なんです」
視線を上げると、彼はこちらを見詰めたまま、再び距離を詰め、ぎし、とソファが軋ませながら上に圧し掛かって来た。ぎょっとしたように目を見開くと、馬堂は至って真面目な顔で口を開いた。
「もう一回抱いてもいいか」
「……!!」
あり得ない要求に、一条はひくりと頬を引き攣らせた。
「何か考えていると思ったら、そっちですか!」
取り敢えず、大真面目な仮面を被った男の欲を冷まそうと、一条は側にあったクッションを投げ付けて拒絶の意を示した。
終