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 首筋にふと指先の感触がして、一条は擽ったそうに顔を逸らした。途端、それはすぐに遠慮がちに離れて行ったけれど、数秒経つと再び触れて来た。さり気無く逃れるように体をずらしても、懲りずに追い掛けて来る。寝返りを打てば顔を合わせてしまうことになるから、ヘタに動けない。だからって、あからさまに払い退けるのは気の毒だ。それに、知らないふりをしていれば、いつかは諦めてしまうだろう。
 そう思っていたけれど、こちらが拒絶しないでいると、触れ方は段々と無遠慮になって来た。
「……馬堂さん」
 ついに耐えられなくなって、一条は非難めいた声を上げた。
「寝かせて下さいよ」
「……目が覚めちまった」
「朝が早いのはもう年な証拠ですね。でも俺はまだ眠いんです」
 ふっと揶揄するように笑いを含んだ声を上げると、突然肩を掴まれて思い切り側に引き寄せられた。
「な、なんですか」
「こっちに来い、一条」
「眠いんですって」
「昨日、頑張りすぎたか」
「そう言うことをさらっと言わないで下さい。だいたい、あんたのベッドはあっちですよ。いつの間に……」
 そこまで言い掛けて、本格的に圧し掛かるように身を寄せて来た人物の影が顔に射し、ぎくりとした。彼の目に宿る熱に気付き、慌てて肢体の下から逃れ、飛び起きる。
「解かりました、起きますよ!」
「いや、待て、まだ起きるな」
 途端、腕を掴まれて引かれ、一条は又ベッドに逆戻りしていた。
「わっ、何するんですか」
「こっちに来いと言っただろう。逃げるな」
 いつの間にか、先ほどよりもまずい体勢に持ち込まれていて、一条は軽く溜息を吐いた。
「……馬堂さん。全く、あんたって人は……」
 油断も隙もないとはこのことだ。
 だいたい、今は出張中だ。と言っても、仕事は昨日の内に終えてあるから、あとはホテルをチェックアウトして出るのみだが。経費を少しでも削ろうと、ツインの部屋を取ったのがいけないのか。別にすれば良かったかも知れない。そう思ったけれど、もう遅い。
「出張の度に足腰立たなくするつもりですか」
 軽い口調でそう言うと、馬堂が徐に眉根を寄せた。
「それくらい妥協してくれ」
「……っ」
 不意に、もう会話は終わりだと言わんばかりに、はだけた夜着の前を割られて、反射的にびくりと身を揺らした。手の平は何の戸惑いもなく胸板の辺りに潜り込み、慣れた手つきで肌の上を這い回る。
「馬堂、さん……」
「だいたい、お前が悪い。そんな格好してるからな」
「そんな格好って、これは、ホテルの……、ぅっ」
 ホテルの備え付けの服を着てただけだ。そう言い返そうとした唇が生温いもので塞がれた。膝を立ててもがこうとシーツを蹴ると、そのせいで衣服が更に乱れ、露になった腿の辺りにまで手が伸びた。
「……んっ」
 じわじわと揉むように手の平が這い上がって来るのに、焦りを覚える。巧みに這い回る手の平に、このままでは体が勝手に反応してしまう。執拗に追い掛けて来る濃厚な愛撫から何とか逃れて、一条は声を荒げた。
「ちょっと、待って下さいって。シャワーくらい浴びたっていいでしょう」
「……仕方ないな」
 こちらの必死な様子が通じたのか、渋々と言った風にだが了承して貰い、ホッとしたのも束の間。
「うわっ!」
 体がふわりと浮き上がり、一条は引き攣った声を上げた。
「ば、馬堂さん!」
「早くしろ」
「えっ、……っ!」
 何が起きたのか悟る間も無く、バンと音がしてバスルームの扉が開き、一条の肢体はその中に放り込まれていた。
「い、……っ」
 ホテルのバスルームはさほど広くない。思い切り放り込まれたせいで勢い余って壁に体を打ち付け、一条は眉根を寄せた。
「馬堂さん、ちょっと……」
 何をするのかと、体勢を整えて抗議しようとすると、再び壁際に押し付けられた。
「んっ、……ん」
 無理矢理足を割り、体を押し込めるように密着して来た馬堂に、文句など聞かんと言わんばかりに唇を塞がれる。
 先ほどまでの行為で散々乱れて、申し訳程度に体に巻き付いていた衣服が乱暴に取り去られて遠くに放られた。それを視界の隅で捕らえて、一条は目を見開いた。
「んっ、う……、あ、あんたまで入ること……」
 絡み付く舌先を押し返し、何とか声を上げた途端、馬堂がコックを捻り、水が勢いよくシャワーヘッドから降り注いで来た。
「……っ」
 まだ温まっていない水を遠慮なく肢体に浴びせられ、思わず身を硬くする。そのぎこちなさを解くように、馬堂の手の平が肢体の上をゆっくりとなぞり出した。もう抗えないのだと、じわじわと言い聞かせられているようで、少しずつ気力が削られてしまう。
 遂に諦めたように四肢から力を抜くと、再びゆっくりと唇が塞がれた。

「うっ、い……、っ」
 ず、ず、と内側を行き来する熱いものに、噛み締めた唇から途切れ途切れに声が上がる。壁に押し付けられた状況で、背後から圧し掛かるように身を寄せる馬堂の表情は見えない。ただ、少しずつ荒くなる動きに、彼が少し焦っているのは解かった。
「くっ、……ぅ」
「あまり声を上げるな。ここは声が響く。隣の部屋に聞こえるぞ」
 一度動きを止め、耳元で背後から馬堂が囁きを落とす。
「む、無理です、うっ……」
 浴室の壁に縋り付いていた手の平をぐっと握り締めて堪えたけれど、とても押さえ切れない。首を振って訴えると、耳朶に熱い舌が這った。項に纏わり付く髪が指先で掻き上げられ、そこにも唇が吸い付く。
「ふ、……っ」
 ぞく、と走り抜けた痺れに身を捩る。奥深くまで咥え込んだものを無意識に締め付けると、中でどくりと脈打った。
「あっ、う、……っ」
増えた質量に耐え切れず、短い悲鳴を上げると、口内にぐい、と指先が侵入して来た。
「噛んでいい。堪えろ」
「んむ、っ」
 咄嗟に押し込まれたものに縋るように舌を這わせると、腰が抱き抱えられ、動きが再開された。ぎりぎりまで引かれ、奥まで押し込まれる行為が繰り返される。
「んっ……、んぅ、ん」
 刺激に耐え切れず崩れ落ちそうになる度、熱い手に抱き上げられ、もうその動きに黙って身を任せるままになる。
「一条」
「……う、ぁっ」
 柄にもなく、余裕のないような声色で囁かれるのと同時に、中に熱いものが叩き付けられた。

「起きろ、一条」
 ぐったりとしたようにベッドに蹲る一条の首筋を撫で、馬堂が声を掛ける。ようやくまどろみ掛けていた意識が引き戻され、一条は掠れた声を上げた。
「勘弁して下さいよ」
 朝から散々だ。もう指一本動かしたくない。泥のように眠りたいと思っても、馬堂の声は容赦なかった。
「もう出るぞ、時間だ」
「……」
「もう一度襲われたいか」
「……っ!お、起きますよ!」
 脅しに似た台詞に、一条は文字通り飛び起きて、衣服を引っ掴んで慌しく羽織った。

「もう、絶対に部屋は別にします。俺が自腹切ってもいい」
「別にするのはいいが、誰も連れ込むなよ」
「何言ってんですか」
 からかわれているのは解かっていたけれど、一条は眉根を寄せて下から馬堂を睨み付けた。けれど、すぐに諦めたように肩を落として、ふっと笑みを浮べた。
「馬堂さんには敵いませんよ、全く……」
「それは俺の台詞だ。お前には、振り回されっぱなしだからな」
「よく言う……」
 そんな会話を交わしながら、一条と馬堂は連れ立って宿泊先のホテルを後にした。