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「本当は冗談なんでしょう、馬堂さん」
重々しい空気を破るように、突然一条の声が上がった。
先ほどから、周囲にはひたすら沈黙だけが広がっている。
たまに一条がもがく度金属が音を立てるのと、深く繰り返される呼吸を除けば、部屋には何の音もしない。彼の側でどかりと腰を据えた馬堂も、成す術もなく錠で繋がれている一条も、何も言葉を発しようとしなかった。
けれど、数時間続いた沈黙の後、彼が口にしたのはそんな言葉だった。
反応して目を上げると、彼は数時間前と大して変わらない笑みを浮べている。
「俺をからかってるなら、もうこの辺で勘弁して離して下さい」
「……」
「今ならこれも、なかったことにしますよ」
言いながら、彼は不自由な腕を見せ付けるようにカチャリと大きな音を立てた。
事態を振り出しに戻す台詞に、馬堂は眉根を寄せた。
何を、暢気なことを。いや、そう思うフリをしているのか。
敢えてとぼけてやるから、自分もそれに乗れと。確かに、今ならまだ何もなかったことに出来る。全て悪い冗談にしてしまえる。
けれど、そんなことが通用するものか。もうとっくに、火蓋は切って落とされていると言うのに。
「お前、まだそんなことを言っているのか」
渋い表情で呟いて、馬堂はふと、寝そべったままの一条の肢体に圧し掛かるように身を寄せた。
腕を拘束されたままの彼は、あっさりと馬堂に押さえ込まれる形になる。
「……!」
無防備な肢体を組み敷く格好になり、一条は驚いて息を飲んだ。
けれど、抵抗する気はないのか、彼はすっと四肢を緊張させただけで、もがく素振りはみせない。
それを確認して、馬堂は逸らされている一条の顎を指先で捉えた。手触りを確かめるように一度ゆっくりと肌をなぞり、こちらへ上向かせるように指先で擽ると、彼は動きに合わせて喉を仰け反らせた。強張った双眸と視線が合う。目の奥に浮かんでいるのは警戒と、僅かな恐怖と。
「……無理矢理やるのは、嫌じゃないんですか」
「しないさ、最後までは」
「馬堂さ……」
抗議の声を塞ぐように言い捨て、馬堂は顎を掴んだ指先に思い切り力を込めた。
「っ、……!」
突然の行動に驚いてもがく肢体を押さえ込み、馬堂はぐっと唇を彼のものに押し付けた。
柔らかい感触。それを強引に奪って、噛み付くように口付けた。
ひゅっと短く息を吸い込む音がして、一条の喉が上下する。
「んん、ん……っ!」
首を振って逃れようとするのを力で捩じ伏せ、強引に舌先を潜り込ませると、苦しそうな呻きが上がった。それを無視して、口を閉ざすことが出来ないように顎に更に力を込め、押し返そうと蠢く舌先を無理矢理絡め取った。
今までにも、何度かこうして体を寄せ合ったことはある。ただし、こんな意味合いを持って触れたのは、当然のことながら初めてだ。
そうだ、初めてなのだ。それなのに、この行為には色気も甘やかな雰囲気すらもありはしない。あるのは強引に抑え込む自身の力と、もがく一条の微かな呻きだけだ。
それでも。触れた瞬間には、確かにふつふつと沸き上がる熱さを感じた。
自分よりも小柄な体。決して華奢ではないし、それなりに鍛えているのだろう。女性のように柔らかくもなければ丸みもない。
ただ、その固い胸板が、こちらの思いがけない行為に動揺し、呼吸をする度大きく上下に揺れている。それが扇情的だなどと言っても、一条には信じられないだろうか。
けれど、彼の柔らかそうな茶色の髪の毛も、少し乱れた白いシャツも、手を伸ばせばすぐ届く場所にある。髪を掴んできつく絡め取ることも、衣服を引き裂いてしまうことも、今の馬堂には容易い。
一条の体温が上がっている。それよりも高いのは、自分自身の体温だ。他人の温もりに高揚するのは、随分と久し振りだ。
ただ、この状況では、それを素直に堪能出来るはずもない。まるで、暴挙だ。
冷静にそんなことを頭の中で思い浮かべながら、馬堂は初めて侵食する一条の口内をじっくりと味わった。
「は……、っ」
暫くして、ようやく解放してやると、一気に流れ込んで来た酸素に咽せ、彼は大きく肩で息をしながら掠れた声を上げた。
濡れた唇が妙に艶めかしくて、拭うように指先を滑らせると、彼はぎっとこちらを睨み付けて来た。
「……こんなのは、狡い」
「ああ……、そうだな」
最後までしなければ何をしてもいいのかと、彼は言いたいのだろう。そんなことは解かっている。
けれど、この状況で馬堂が付け込めるのはそこしかないのだ。
悪びれる素振りもなく頷くと、馬堂は抱き締めるように彼の肢体に腕を回した。
「厄介な人だな、本当に」
今までの行為で逃れても無駄だと解かっているのか、そんな気力もないのか。呆れたように呟くと、彼はされるがままに馬堂に身を預けた。
それから、数時間後。
「馬堂さん。何か話して下さいよ」
ベッドに繋がれた状態で、一条が再び声を上げた。
いつも、沈黙を破るのは一条だ。恐らく、不安なのだろう。馬堂は自分を拘束している相手だ。けれど、その馬堂しか、気を紛らわせてくれる人物はいない。自身の身が解放されるかどうかすら、全て馬堂の手に握られている。だから、声を上げずにはいられない。
それに、彼もまだ諦めていないはずだ。馬堂に諦めさせることを。
けれど、素知らぬフリが通じないことは先ほど悟ったはずだ。今度は、どんな風に自分を説得する気なのか。
そんなことを思いながら、馬堂は返答をした。
「何を話す?」
「何でもいいですよ。暇なんです」
「我侭言うな」
「我侭なのは、あんたでしょうが。いいから、もっとこっちに来て俺の顔を見て話して下さい」
暢気な誘い文句が、拘束されている男から上がった。
確かに、暇を持て余しているのだろう。ベッドに寝転んだまま、何の会話もなく、当然娯楽も何もない。薄暗い天井を見上げているのにも飽きているはずだ。
だからと言って、こんな状況でどう言うつもりなのか。
「いいのか。又襲うぞ」
脅しでも何でもなく、本音からそう言うと、彼はふっと口元を歪めて笑った。
「あのくらいなら、別に……なんともない」
「……」
あっさりと口にされ、馬堂は眉根を寄せた。
先ほどの行為なんて、どうと言うことはない。一条にとっては、何ら心を掻き乱されることではない。だから、こんなことをしても無駄だ。
暗にそう示唆する台詞に、馬堂は肩を竦めた。
よく言う。微かに震えていた四肢の感触も、どくどくと胸板の奥で大きく脈打つ鼓動も、ありありと覚えていると言うのに。彼も到底一筋縄では行かないようだ。
「だいたい、俺をよく見て下さいよ。本当に、こんな体抱けるんですか」
その上、未だにそんな台詞を吐いている。そんなところが、甘いと言われる所以だ。
仕方の無い男だ。どうやって、思い知らせてやれば良いか。
頭を悩ませながら、彼の言うまま側に寄ると、不意に先ほどすぐ側で味わった熱が思い出された。組み敷いて強引に奪った、柔らかい感触だ。
もう一度、無理矢理にでも味わってしまいたいと言う衝動が突然溢れて、慌てて押さえ込む。
お前は解かっているのかと、苛立ちに似た感情が胸中を過ぎった。
「当たり前だ。証明してやろう」
言いながら、馬堂は指先を伸ばして無造作に投げ出された一条の膝の辺りに触れた。
途端、びく、と下肢が強張る。
「何ともないんだろう。それなら、じっとしていろ」
「……っ」
怯えるようにベッドの上でもがく肢体の上を、馬堂は表情一つ変えずになぞった。
「離して下さい」
静かな拒絶が上がる。きっぱりとした口調なのに、内心怯えているのが解かる。
少しだけ脈が上がっているのか。大きく上下する胸板の上にも、馬堂はゆっくりと手の平を滑らせた。
「馬堂さん!」
途端、切羽詰った声が上がる。
「それ以上触ると、蹴り入れますよ」
「そうしたら、足も縛るぞ」
「……っ」
「第一、俺が大人しく蹴られると思うか」
「……!」
ハッとしたように息を飲んだ一条の膝を、馬堂は素早く両手で鷲掴んだ。ごつごつとした硬い骨の感触を手の平と指先に感じながら、二つに折り畳むように、ぐっと上から圧力を加える。体重を乗せてやると、彼は呆気なく力に屈した。
「く……っ」
胸に付きそうなほど強く押し付けると、苦しげな声が上がった。胸が圧迫され、息が詰まったのだろう。
同時に、見上げる二つの目に焦燥がくっきりと浮かび上がった。
視界にその表情を捉えながら、今度は閉じた二の足を抉じ開けるように左右に割る。何をされるのか悟った一条が慌てて足に力を入れ、手応えが倍になった。
それでも、少しずつ少しずつ。彼は馬堂の行為に屈し、されるがままにその足を開いて行く。
「……っ、ぅ」
ベッドの上での行為を彷彿とさせる屈辱的な姿勢に、ぎり、と唇を噛み、一条は悔しげにこちらを睨んだ。
乱れた髪の毛に、酷くやつれたそんな表情で凄んでも、効果など何もないと言うのに。
尚ももがこうと試みる四肢を完全に押さえ込む為、馬堂は無理矢理開かせた足の間に、自身の体を押し込んだ。これ以上ないほど密着した他人の体温に、びくりと肢体が揺れる。焦ったようにもがく動きが、カチャカチャと煩く金属の擦れる音を立てた。二の足も、もう彼の自由にはならない。足を閉じようとしても、馬堂の体がある。
膝から片手だけを離し、馬堂はゆっくりと見せ付けるようにしなやかに伸びた内股に手を滑らせた。手触りを愉しむように、中心へ向けて手の平を移動させる。
「馬堂、さん……」
止めてくれと訴える、弱々しい呼び声が上がった。
ぎゅっと握り締められた指先が白く変わるほど、一条の肢体が強張っている。今彼が感じているのは、紛れもなく恐怖だ。
それを確認して、馬堂は骨が軋むほど力を込めていた片膝からするりと力を抜いた。同時に、内股をなぞっていた手を外し、圧し掛かるように密着していた肢体も解放してやる。
このまま強行することなど容易いけれど、そうする気はない。ただ、彼は思い知らなければいけないのだ。こうして屈服させることなど、いつでも出来るのだと。
突然得た自由に困惑するように、一条はゆるゆると緩慢な仕草で割り開かれた足を閉ざした。
「その気がないなら、不用意に俺を煽るな」
「……」
「いい加減認めろ、一条」
自分が、今は彼にとって最も危険な人物なのだと。
安堵と疲労の入り混じった一条の顔を見下ろし、馬堂は静かに告げた。
彼の目がゆっくりと馬堂に向けられる。
「……解かりましたよ」
馬堂の目に宿る強い意志を読み取ると、一条は諦めたように押し殺した声を上げ、顔を背けた。