3
そのまま、夜までは何事もなく時間が過ぎた。
一条は疲れているのか、体勢がきついのか、幾度かもがくような動きを見せていたが、それ以外は殆ど動かなかった。
煽るな、と言った言葉が効いているのか。あれ以降、迂闊なことはしようとしない。
余計にガードが固くなったなと思いながら、馬堂はそっと身を寄せた。
「一条」
「……何です」
「腹が減ったろう。何か食べるか」
尋ねると、彼は少し考えるように黙り込んだ後、しっかりした口調で答えた。
「それより。風呂、入りたいんですけど」
「……」
「駄目ですか」
「いや、いい」
強請るような声色に、首を横に振る。あっさりと解放してやることに抵抗がない訳ではないが。馬堂はポケットから鍵を取り出して、この状況を継続させてる唯一の錠に手を掛けた。
「一条、逃げるなよ」
鍵を差し込む前に念を押すと、彼は首を動かしてこちらを見、挑むような笑みを浮べた。数時間前に比べて、やや力のない表情をしているけれど、まだ余裕は残している。
「もし逃げたら、どうします」
「追い掛けるさ、全身全霊込めてな」
「あんたみたいなベテラン刑事から逃げるのは骨が折れる」
それは、逃げたりしないと暗に言っているように聞こえた。
馬堂は鍵を差し込んでくるりと回し、一条の片腕を解放した。カチャ、と音がして、何時間かぶりに彼の片手は自由を得たことになる。彼は束縛のなくなった腕を確かめるように持ち上げて、目の前に手の平を翳した。
そのままもう片方も解放しようとして、ふと、手を止める。
先ほどはあんなことを言ったが、もし彼が本気で暴れれば、この部屋から逃げることなくらいは出来るだろう。もしくは、大声で叫べばいい。それは今までにも出来たことだ。
でも、彼はそうしない。それはきっと、彼にその気がないからだ。
この状況を最後まで見届ける。どんな結果になるか、自分でも知りたいと思っているようにみえる。
甘い男だと言われる所以だ。昨日言ったはずだ。もっと危険な男だと認めろと。いつ我慢の糸が切れて、無理矢理衣服を剥いで足を開かせるか、解からないではないか。
いや、恐らくそんなことはしない。自分もきっと、望みを掛けているのだ。一条は、この三日の間にきっと落ちる。自ら自分の手に落ちて来る。そう仕向けてみせる。
そう思い巡らしながら、馬堂は内に秘めた感情を込めるように、もう片方の錠にも鍵を差し込んだ。
その後。入浴と食事を終えると、一条はすんなりとベッドに戻って来た。
やはり、思った通りだ。彼には、逃げる気などないのだ。ただ、勿論、馬堂の欲求に屈するつもりもないのだろう。厄介な男だ。
そう冷静に思う自分を鏡に映して、馬堂はほんの少しだけ異変を感じた。
いつもより精彩を欠いた、やつれた目。ベッドを占領されているからだけじゃない。気力が少しずつ削られているのだ。
――いつまで、持つものか。
再び繋がれ、無防備に横たわる肢体に目を移し、馬堂は溜息を吐いた。
二日目。一向に変わらない事態に、馬堂も一条も疲れ切っていた。
あれから、カーテンは閉めたきりになっているから、部屋の中は時間に係わらず薄暗い。何をするでもなく、ただ横たわっているだけの退屈を紛らわす為か、単純に体勢に疲れてしまったのか、一条は小さな寝息を立てて眠っていた。
この状況で、よく眠れる。彼には全く危機感がないのだ。それもそうだろう。最初に宣言してある。決して無理矢理にしたりしない。それを、一条は頑ななまでに信じて、確信しているのだ。
だったら、彼が折れることなど望めるはずがない。最初から解かっていたが、改めて思い知る。
憎い男だ。落ちそうで落ちない。こちらの善意に訴え掛け、ぎりぎりまで甘えながら、自分は決して妥協しようとしない。
だが、それは自分も同じだ。こんなことをして、普通の関係なら壊れてしまう。一条なら、許して水に流してくれると言う確信がある。
全く持って、ややこしい関係だ。
「……ん」
そのとき、不意に一条が寝返りを打ち、小さな声が喉から漏れた。その声に、馬堂はハッとしたように顔を上げた。
疲れたような寝顔が目に入った。乱れた髪の毛が瞼に影を落としている。
目の前に獲物が無防備に肢体を投げ出していると言うのに、自分はどこまで手をこまねいているつもりだろう。そんな厄介な関係を壊してしまいたくて、こうしているのだ。だったら、もう……次に進んでみるとするか。
そう思い立つと、馬堂はゆっくりと身を起こした。
ぎし、と音を立てて幾度目になるか、ベッドが軋んだ。
気配に気付いて、一条が薄っすらと目を開く。
「……!」
圧し掛かる影に気付くと、彼はハッとしたように息を飲んだ。
冷静に馬堂の表情を伺うように、視線が巡らされる。馬堂の目を見詰めると、彼の顔に緊張が走った。間を詰める馬堂の動きに連動して、先ほどよりも鈍い音がして、ベッドが軋んだ。
部屋に緊迫した空気が漂う。一条は何も言わず、ただ目を見開いている。彼の双眸に映り込んだ自分が、一瞬飢えた獣か何かに見えた。
腕を伸ばして、そっと露になっている首筋を撫でる。一条が逃れるように身じろいだが、無視して指先を進めると、柔らかい皮膚の下、どくどくと脈打つ鼓動を指先で感じる。下へ向けて手の平を滑らせると、シャツの間から鎖骨が覗いて見えた。
その直後。ビッと音を立てて一条の白いシャツが左右に裂けた。ボタンは軽々と弾け飛び、小さな音を立てて方々に散らばった。
一条の胸板が大きく上下する。左右に割ったシャツを更に大きく広げると、それがくっきりと見えた。滑らかな肌に、自然と手の平が這い出す。突起をなぞり、そこに軽く力を込めると、ひゅっと喉が鳴った。
「俺を……、抱くんですか」
数秒後。一条がようやく発した言葉はそれだった。
信じられないと言ったように見開かれた目と、怯えたような口調。圧倒的な捕食者に憐れみを抱かせるような、そんな声色に聞こえた。
今度こそ、力に任せるつもりなのか。あんたがこの俺を、今ここで。
そう言いたげな目に、馬堂は双眸を細めた。
「……いいや」
はっきりと否定すると、彼の目は明らかに動揺した。
強行されないことにホッとしている反面、まだこんな時間が続くのかと、半ば絶望しているようにも見えた。
馬堂は馬乗りになったように一条の上に圧し掛かったまま、ゆっくりと衣服のはだけた胸板に手を伸ばした。途端、びく、と上体が揺れる。
「馬堂さん」
「何度も言わせるな。抱く訳じゃない」
「……っ」
非難するような声にそう返すと、一条は唇を噛んで黙り込んだ。
そんなのは狡いと訴える目を、馬堂は敢えて無視した。
そうして、暫くの間その手触りを確かめるように手の平を滑らせていると、血液がそこに集中し、突起が固くしこり始めた。
それだけのことで、ごくりと喉が鳴る。柄にもなく、年甲斐もなく。
でも、まだ余裕は残している。早く屈服してしまえと言わんばかりに、馬堂はいたぶるように執拗に愛撫を続けた。
「……っ、ぅ」
一条の首筋が赤く染まり、彼は屈辱を堪えるように顔を逸らした。
声を堪えているのだと気付くと、意地でも鳴かせてやりたくなる。自分がそんな嗜虐心を持ち合わせていたことに驚きながら、馬堂は不意に突起をぎゅっと抓み上げた。
「い……ッ、つ」
ひく、と喉が仰け反り、一条が初めて呻きのような声を上げた。
「痛いか。悪かったな」
「あ、ちょっ……!」
慌てる声にお構いなく、馬堂は朱に染まった一条の突起を濡れた舌先でなぞった。
「つ……っ」
組み敷いた上体が跳ね上がり、逃れるように上へとずり上がる。
けれど、無駄なことだ。すぐに逃げ場をなくし、彼は唇を噛んで耐えることしか出来なくなる。
「……ぁ、や、止め……」
舌先で突起を転がすと、一条の肌は刺激を感じ取ってざわりと粟立った。その感触すら愉しむように、手の平で舌先で弄ぶ。
その度に、ひくひくと喉が震えている。馬堂は彼の胸元から顔をずらし、柔らかいその場所にも口付けた。
「いっ、やだ、止め……」
彼が左右に首を振ると、茶色の髪の毛が動きに合わせてさらさらと揺れる。その光景も、手の平に吸い付く肌の感触も、全て彼のものだ。
そのまま、躊躇いもなく、以前したように膝を掴んで左右に割ると、引き攣った声が彼の喉を突いて出た。
「馬堂さん!」
「……何だ」
「あんただって……、解かってるんでしょう。このままじゃ、俺たち元には戻れませんよ」
「ああ、解かってるさ」
「なら、もう解放してくれませんか」
「駄目だ。お前が諦めるまで俺は諦めん」
「馬堂さ……」
二の足の奥へと手の平を滑り込ませ、ゆっくりと急所を撫でると、一条は声を震わせ、途中で口を閉ざした。
暫く弄っていると、手の平の動きに応じて、彼のものが反応を示し始めた。それを恥らうように、両足がもがく。
逃げを打つ足を掴んで押さえ付けると馬堂は彼のベルトに手を掛けた。
「……っ!」
一条の喉が上下する。
見開いた目は、今までにないほど焦燥を浮べていた。
「馬堂さん!嫌だ、離して下さい!」
「……」
「俺は、あんたにそんなとこ見られたくない」
「俺は見たい」
「どうして、俺を……っ」
「……」
彼の問い掛けは、切実だった。だが、その問い掛けに言葉を返してやるつもりはなかった。ただ、答えはこれだとでも言うように、ベルトを引き抜き、下衣に手を掛けた。
「くっ、……ぅ、ぁ」
直接的な愛撫をしつこいほど繰り返していると、噛み締めた唇は少しずつ綻びて、やがては掠れた声が上がった。
上気した唇から吐息と共に微かに上がる声は、馬堂の聴覚を刺激する。
堪らずに身を屈めて顔を寄せ、馬堂はぎゅっと噛み締められた唇を自身のもので塞いだ。
「んっ、……ぅ、ん」
柔らかく噛み付いて、深く貪るようにキスを続ける。ゆっくりと舌を捩じ込むと、徐々に一条の舌も応えるように蠢き出した。
「……っ、は……っ」
長いキスの後、呼吸もままならなかったのか、唇を離した途端、一条は乱れた呼吸を繰り返した。
「大丈夫か、一条」
「……っ、大丈夫な訳、ない!」
濡れたような目で睨み付けながら、彼は途切れ途切れに言葉を返した。
流石にやり過ぎだったかと思い、解放してやろうと手を緩めた途端。自棄になったような声が上がった。
「もう、勝手にして下さい」
「……一条」
「あんたの好きにすればいい。抱こうが犯そうが、あんたの自由だ」
「……」
「それで、さっさと冷めればいい」
「一条……お前、何言ってる」
言い捨てられた台詞に、馬堂は眉根を寄せた。
気を落ち着かせるように髪を指先で撫でると、彼は大きく息を吐き、それから顔を伏せた。
「怖いんですよ、俺だって。あんたが、俺をそんな風に見ていたのは知っていたのに」
「……一条」
「こんなことをしてしまったら、もうお終いだ、全部」
初めて告げられた彼の本音に、馬堂は目を細めた。
そんな風に思っていたのか。いつかは、こうなることも知っていたと。
無理矢理にでも引き出さなければ聞けなかった事実だ。
「そんな簡単に終いになるものか」
「なりますよ、馬堂さん。俺には確信がある」
「一条!」
頑なに言い放つ一条に少なからず苛立ちを感じ、馬堂は声を荒げた。
ぎし、と音を立てて再びベッドが軋む。
「お前、そんな下らん理由で今まで俺を焦らしてたのか」
「下らんとはなんです!受け入れる側の気持ちなんて、あんたには解からない!」
「だったら、今からたっぷり解かってやるから、じっとしてろ」
「……!」
二の足を掴み、乱暴な仕草で左右に押し広げると、一条の肢体はびくりと跳ね上がった。