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扉の奥には、まだ人のいる気配がした。分厚い扉に遮られて、物音一つ聞こえないのに、何故か確信がある。本能的な勘だろうか。獣のようだと自嘲しながらも、馬堂は大股で一歩一歩床を踏み締めた。
急がなくてはいけない。そう思う裏付けなど何もない。それなのに、馬堂の足は急ぐ。あの扉の奥にいる人物を、今すぐ捕らえろ。そうでないと、大変なことになるのだと、不可解な警報が頭の中で鳴っている。
それは、唐突に馬堂を襲った漠然とした不安だった。それが少しずつ少しずつ膨れ上がり、いつの間にか馬堂の胸中を暗く支配していた。
不思議な感覚に捕らわれていることは自分でも解かっていた。でも、抑えが利かない。
(一条……)
今捕まえなければ、きっとお前を見失ってしまう――。
「馬堂さん?」
荒々しいノックの後。扉を開けた一条は、馬堂のただならぬ様子に驚き、目を見開いた。時刻はもう遅い。同じ階の他の検事たちは、もう帰宅している者も多い。真面目な一条のことだ。時間の許す限りぎりぎりまで書類の整理でもしていたのだろう。部屋の中は薄暗く、デスクの周りだけライトで照らされていた。
「まだ残っていたのか」
「ええ。もうすぐ帰ろうと思ってたんですけどね」
馬堂を中へ迎え入れながら、一条はそう言って、椅子に掛けていた上着を掴んだ。
「何かあったんですか。俺も上がりますから、どこかで食事でも……」
言いながら、上着を羽織ろうとした腕を、馬堂は咄嗟に掴んだ。
「いや。待て、一条」
弾みで、一条の手から上着が擦り抜けて床に落ちた。咄嗟に拾おうとする仕草も許さず、ぐい、と引き寄せると、初めて彼は異変に気付いたように訝しげな顔になった。
「どうしたんだ、馬堂さん。何か、あったんですか」
「……いや」
「けど、様子が可笑しいですよ」
「何でもないさ、何でも……」
「何でもないなら、手を離して下さい」
「駄目だ。離さん」
「どうして、……っ」
ぎり、と掴んだ腕に力を込めると、走り抜けた苦痛に一条が眉根を寄せた。
その耳元に唇を寄せ、低い囁きを落とす。
「……一条」
「なん、です……」
ぎこちない返答が返って来る。漂う不穏な空気をひしひしと感じているのか。声に緊張が走っている。
ぴんと張り詰めた空気を破るように、馬堂は彼の耳朶を甘く噛み、再び口を開いた。
「抱かせろ、一条」
「……!」
率直な物言いに、びく、と肩が揺れ、一条は驚いたように馬堂を見上げた。
「本当にどうしたんだ、あんたらしくない」
「解かっているさ」
言い捨てて、馬堂は素早い手つきで一条の襟元を覆うスカーフを引き抜いた。それを床に投げ捨て、露になった首筋に噛み付くように唇を寄せる。
「ぁ、っ……馬堂さ……」
生温かい感触に、一条の肌がざわりと粟立った。逃れようとする動きを封じる為に、馬堂は思い切りその肌の上に歯を立てた。
「いっ……」
突然襲った痛みに、一条がひくりと喉を鳴らす。痕が残った場所の痛みを和らげるように、今度は舌先でなぞると、一条の唇から不規則な吐息が漏れた。その呼吸が落ち着いて来るのを確認して、今度はきつく吸い付いた。
「あ、痕が付く!馬堂さん!」
慌てて身を捩ろうとするのを、強引に押さえ込んで壁に押し付ける。
「いつもあれで隠してるだろう、気にするな」
「み、美雲に、何て言えば……」
「虫に刺されたとでも言え。悪い虫にな」
「いっ……」
わざと噛み跡を残すように、肌にきつく歯を立てる。
彼が自分の所有物だとでも言うように、しるしを直に肌に刻む行為は、妙な背徳感と押さえ難い愉悦を生む。覚えのある疼きが少しずつ体を支配して行く。
一条が唇を噛む。痛みと、首筋に掛かる吐息に怯えて、僅かに身を捩る。白い首筋は上気して、鮮やかな朱に染まる。
「……ぁ、う」
動きを封じるほど柔らかい喉に食い付くと、一条の喉が怯えるように震えた。
「馬堂、さん」
小さく掠れた声を無視して、馬堂は尚も首筋に愛撫を加えながら、荒々しい仕草で白いシャツの前を割った。ぶつ、と音がしてボタンが弾け飛ぶ。
「……っ、ちょっと、待っ……」
「駄目だ」
「あ……っ」
強引に下肢を撫でると、一条はひゅっと息を飲んだ。逃れようとした腕を掴み、勢いに任せてデスクにうつ伏せに押し付ける。
片腕を捻り上げたまま、馬堂は一条の上に体重を乗せた。
「いっ、つ……」
胸が圧迫されたのか、一条の喉が鳴る。苦しげな声に、可哀想に――と同情に似た思いと、薄暗い欲求が同時に込み上げて来る。
「馬堂さん!」
「お前は、俺のものだろう」
「……っ」
「それなら、大人しくしていろ」
「馬堂さん……」
徐に二の足の奥を弄ると、びく、と肢体が跳ね上がった。身を捩って逃げようともがくのを、腕を更に捻り上げて封じる。
「う……、い……っ」
「逃がさんと言っただろう。お前を、どこにもやらん」
素早い仕草でベルトを引き抜き、衣服をはだけさせる。下肢を剥き出しにさせると、二の足がびくりと引き攣った。不自由な腕を動かす度痛みが走るのか、小さな呻きが喉を鳴らす。抵抗を捩じ伏せ、馬堂は思い知らせるようにそこに自身の欲を押し付けた。途端、びく、と腰が跳ねる。両手で抱き、こちらへ引き寄せるように力を込めると、一条は不自由な体勢の中、必死に顔をこちらへ向けた。
「俺、は……」
「……」
「逃げない。逃げたり、しないですよ」
「……!」
押し殺すような一条の叫びに、そのまま突き入れようとしていた仕草をぴたりと止める。我を忘れていたことに気付き、馬堂はハッと息を飲んだ。
このまま強行していたら、彼に酷い痛みばかり与えていたはずだ。
違う。したかったのは、こんなことではない。少なくとも、馬堂が抱いた不安は、こんな一方的な行為では解消されない。
きつく鷲掴みにしていた腰から手を離すと、ホッと、一条が安堵の息を吐き出すのが聞こえた。うつ伏せに押し付けていた肢体を仰向けに転がすと、何の抵抗もなく一条はされるままに身を預けた。
彼の表情が気になり、そっと首の間に手を差し入れ、こちらを向かせるように力を込めて促すと、一条はゆっくりと顔を上げた。額には汗が浮き出て、柔らかい茶色の髪の毛が張り付いている。指先でその髪を掬うと、彼は強張っていた顔に笑みを浮かべた。
「馬堂さん。あんたが焦ることなんて、何もない」
「……すまない、な。一条」
「……いえ」
ゆるゆると首を振りながら、一条は組み敷かれたままの体勢でゆっくりと腕を持ち上げた。その腕が、首筋に絡み付く。
誘うような彼の仕草に合わせて、馬堂は顔を寄せ、深く口付けを落とした。
「……加減出来そうにないのは、変わらんがな」
「全く、あんたは……」
ややして、絡めていた舌をそっと引き抜いて告げると、一条は困ったように笑った。
「一条」
冷静な呟きを落としながら、散々慣らした場所に、馬堂はぐっと身を進めた。
「……っ、ぅ」
何度受け入れてもきついのか、微かに零れた呻きと仰け反る喉元を、目を細めて見下ろす。無意識に逃れようともがく四肢を、馬堂はあやす様に撫でた。
「逃げるな。痛いだけだぞ」
「あっ、く……ぅ!」
案の定。繋がった部分が擦れたのか、一条はひゅっと息を飲んだ。
反射的にぎゅっと閉じられた瞼の上を、指先で優しくなぞる。
「加減出来んと言っただろう」
「も、もう、いいでしょう……止めて下さい」
「いいのか、本当に」
「っ……!」
角度を変えるように中を突くと、びくりと二の足が震えた。敏感な場所に触れたのか、反応が明らかに変化する。
「っ……、はっ……ぁ!」
息吐く間もなく律動を叩き付けると、きつく噛んだ唇の間から微かな声が上がった。
「大丈夫だ。すぐ……よくなる」
「嘘……だ、そんなこと……」
「嘘なものか」
「んっ……、ぅあ……っ」
言葉とは裏腹に、柔らかい内壁は先ほどからきゅっと収縮し、馬堂を締め付けて離さない。
「な、何で、今日はこんな……」
「訳は後だ。今は我慢してくれ」
「……ぅっ」
なだめるように囁きながら、馬堂は仰け反る喉元にそっと唇を寄せた。先ほど、自分が付けた痕が、くっきりと肌の上に残っている。自らの、所有の証。その上を舌先でなぶり、軽く歯を立てて優しく責めると、一条は堪らないように短い吐息を漏らして鳴き声を上げた。
「う……っ、ぁ、く……っ」
一際強く歯を立て、吸い上げた途端、掠れた声を発して一条は限界へと達した。
びく、と一度強張った肢体が、呼吸に合わせて徐々に力を抜いて行く。
大きく上下する胸板に手を伸ばし、馬堂はそこを指先でゆっくりとなぞった。
「は……っ、馬堂、さん」
濡れたように潤んだ目で見上げる一条の腰を、馬堂は両手でそっと抱え直した。
「先にいくな、一条」
「……っ」
――どこへも、行くな。
一番口にしたかった言葉を摩り替え、揶揄するように囁くと、馬堂は再びゆっくりと熱い内壁を掻き分けて奥へと進んだ。
終