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 期間は三日。たった、三日間だけだ。

「いいか、美雲。もし何かあったらお父さんに電話するか……」
「馬堂のおじちゃんに電話するんでしょ。解かってるもん!」
「……そうか」
 元気良く返答する娘の姿に、一条は安堵と共に一抹の寂しさを覚えた。
 勿論、彼女がこんな風にしているのは、半分は空元気なのだと思う。でも、決してそれだけじゃない。成長すると共に、以前のようにお父さんお父さんと言ってばかりではなくなっている。それでもつい、世話を焼かずにはいられない。
「それから……」
「戸締りはしっかりでしょ。解かってるよ!」
「……そうだな、美雲はしっかりしてるもんな」
「うん!」
 自慢げに微笑む彼女に釣られて、一条はやや苦い笑みを浮かべた。

 出張が決まって、三日留守にすることになった。こんなとき、美雲には本当に寂しい思いをさせていると思う。いつもそれが気掛かりだ。でも、先ほどのやり取りからも解かるけれど、彼女はいつまでも幼い子供のままじゃない。その点は、寂しいけれど安心でもある。
 それに、一条が危惧するべきことはもう一つある。
(厄介な人が……いるんだよな)
 鋭い眼光に無口な相棒。彼の姿を思い浮かべると、一条は微かな溜息を漏らした。

 その、数時間後。
「一条、入るぞ」
 そんな言葉と共に、執務室にノックの音が響いた。
「どうぞ、開いてますよ」
 返答と同時に開いた扉の隙間から見えた人物は、先ほどまで思い巡らしていた男と一致する。
「聞いたぞ……。出張だそうだな」
「……ええ」
 慣れた仕草で部屋に足を踏み入れる馬堂の声は、一条が想像した通り、いつもより僅かに厳しい感じがした。
 きっと、ずっと側にいる自分でなければ気付かない。その程度のものだが。
 彼は一条の横を通り過ぎ、それからソファにどさりと腰を下ろした。擦れ違い様に甘いキャンディの匂いがして、無意識に残り香を追うように振り返ると、彼は鋭い目を細め、じっとこちらを見詰めていた。
「いつからだ?」
「明日からですよ。いつも悪いんですが、美雲のこと、宜しくお願いします」
「そう心配するな……。美雲なら大丈夫だ」
「ええ。美雲にも言われましたよ、心配し過ぎだって」
 軽く肩を竦めて告げると、馬堂の双眸はゆっくりと瞬いた。これは、何か言いたそうな目だ。
「期間はどのくらいだ」
「三日です。もっと早く終われたらいいんですが……そうもいかない」
「……そうか」
 何となく、馬堂の言葉は喉の奥に何かが痞えているように歯切れが悪い。何を言いたいのか、何となく解かってはいるけれど、促すようなことは言いたくない。
「まぁ、少し羽を伸ばして来ますよ」
 場を明るくしようと冗談めかしてそんなことを言うと、不意に馬堂の気配が険しくなった。
「どう言う意味だ、一条」
「どう言うって、別に……」
 ソファから立ち上がって、ずい、と身を寄せて威圧するように見下ろす馬堂に、一条は一歩ずり下がった。
 どうやら、和ませようとして失敗したらしい。
「色々と、羽目でも外して来るつもりか」
「な、何言ってんですか、あんたは!」
 根拠のない疑いを掛けられて、一条は思わず声を荒げた。
「ムキになるな。後ろめたいことでもあるのか」
「あんたね……」
 馬堂らしからぬ返答に、がくりと肩を落としたくなる。
 この人より、美雲の方が余程聞き訳がいいじゃないか。
 ちょっと出張に出るだけだ。不貞も何もない。第一、自分は遊びに行く訳じゃないのだ。
 それでも、このままでは埒が明かないので、一条は彼をなだめるように肩を竦めて笑みを浮かべた。
「安心して下さいよ。生憎、俺にはあんただけだ」
「……」
 こんなことは、おどけたようにしか吐けない。それでも、本音には違いないから、これで納得して欲しい。そう思っての台詞だったけれど、返って来たのは予想外の要求だった。
「……それなら、証明していけ」
「……え」
 徐に腕を掴んで引き寄せられ、一条は一瞬何が起きたのか解からず呆然と目を見開いた。

 数分後。
 ソファ押し付けられた状態で、いつの間にか纏っていた衣服は殆ど肌蹴られてしまった。その上、無防備に晒された首筋に噛み付くように口付けられ、一条はもがくように四肢を揺らしていた。
「ば、馬堂さん……」
「……何だ」
 引っ切り無しに与えられる愛撫の合間を縫って何とか声を上げると、馬堂の低い声が耳元を掠めた。それだけで、ぞくりと背筋に痺れが走る。けれど、流されてしまう訳には行かない。いくら密室だと言っても、こんな場所でこんなことを。
「ちょっと、待って下さいって」
「……」
 何とか逃れようともがくと、馬堂は無言のまま双眸に影を落とした。そうして、起き上がろうとしたこちらの手首をぎゅっと掴んで、押え付ける。逃がす気はないと言う意思表示に、一条の目に焦りが浮んだ。
「馬堂さん!」
「黙っていろ」
「……っ!」
 穏やかなのに、有無を言わさない声が降って来た直後、馬堂の体温がぐっと側に寄って、ソファが小さく軋んだ。もがこうとした手首が先ほどよりも強く押さえ込まれる。
「い、っ……」
 抗議の言葉を発する前に首筋に生温い感触がして、一条はびくりと身を硬くした。
 けれど、押さえ込む強い力とは対照的に、唇で触れる仕草は優しく、肌の上を吸い上げる動きはあくまで優しい。
「ん……っ」
 肌の表面が刺激に反応して粟立ち、体の芯を走り抜けた甘い痺れに、反射的にぎゅっと目を閉じる。
 そんな中、彼の手の平は全身を探るように肌の上を這い回り、柔らかい粘膜を擦り上げ、一条の喉を引っ切り無しに鳴らした。
「んぅ、う……っ」
 隙間なく合わせられた唇を熱心に吸い上げられ、堪らずに顔を背けると、髪の毛を掴んで引き戻された。
 文句を言おうと口を開けると、熱い舌先が潜り込んで来る。滑らかな口内をじっくり味わう様に舌が蠢き、時折思い出したようにきつく吸い上げられ、抗う力が少しずつ削り取られてしまう。
 それに、凡そ馬堂らしからぬ先ほどの態度がどうにも引っ掛かって、本気で抵抗出来ない自分もいる。本当に証明が必要なほど、不安になっていると言うのか。馬堂ほどの男が。先ほどから、いつもよりも執拗に探るように愛撫を施すのも、そのせいなのか。ぞくぞくと走り抜ける痺れをやり過ごし、止めてくれと哀願しそうになるのを、一条は長い時間耐えた。
 けれど、いずれはそんな戯弄にも飽きたのか。後ろに押し当てられたものが中に侵入して来てからも、それは変わらない。焦れったい律動を繰り返し、まるで弄るように抱かれている。
「はッ、馬堂さん……、待っ……」
 何とかして彼の気を鎮めようとしても、掠れた声が上がるばかりだ。
 逆効果だと思い、遂には抵抗さえも投げ出した。
 首筋も肌も高潮して、汗の浮き出た額には柔らかい髪の毛が張り付いている。上気した唇からは、引っ切り無しに乱れた息が吐かれる。気だるい空気が部屋中に溢れて、指の先までだるさを感じる。
 そんな中。どれ位の時間が過ぎたのか。
 ようやく馬堂が中で果て、一条は脱力したようにソファに埋もれて一息吐いた。
 けれど、そんな安堵は束の間のことで、続いて飛び込んで光景に目を疑った。力が抜けきった両膝が掴まれて、再びゆっくりと左右に押し広げられる。
「馬堂さん、何やって……」
「見れば解かるだろう」
「い、いや、そうじゃなく!無理ですよ、もう!」
 引き攣った声を上げながらソファの隅へ逃げようとずり上がると、強引に腰を抱かれて連れ戻された。
「いや、大丈夫だ」
「大丈夫じゃない!俺は明日から出張で!」
 眩暈を覚えながらも、一条は必死で抗議を試みた。けれど――。
「……」
「う、……ぁッ!」
 既に柔らかくなった粘膜を押し退けて再び侵入され、仰け反った喉元が大きく震えた。
 そのまま容赦なく続けられる行為に、意識が飲み込まれそうになる。
「ば、馬堂さん、もう……」
「情けないな、一条」
「っ、誰のせいだ!」
 これで幾度目になるだろうか。引き攣った声を上げて目を見開くと、馬堂は少し愉しそうに口元を綻ばせた。
「浮気なんかするなよ」
「当たり前だ!」
 そんなことをしてバレた日には、きっとこんなものじゃ済まない。だいたい、そんな必要ない。
 この人だって、それくらい解かっているはずだ。じゃあ、あの拗ねたような態度は、まさかわざとなのか。馬堂が付け入る隙を、一条が与える為の。
 今更ながらそのことに気付いて、一条は自分の馬鹿正直さに歯噛みしたけれど、やがてはそんなことも考えられなくなってしまった。