開花
「きみは一体……どう言うつもりなんだ」
静かな室内に、呆れたような投げ遣りな声がそっと響いた。
辺りに広がるのは、穏やかさなどとは程遠い、険悪な空気のみ。
そりゃ、そうだ。二人の間にあるのは、あの日戦った記憶だけだ。しかも、後味の悪い、苦い思いと、どうしようもないことへの苛立ち。彼、成歩堂龍一の中にある感情は、そんな一言で片付けられないほど複雑だろう。自分だってそうだ。そんなことは解かっている。でも……。
響也は獲物を値踏みするように見下ろして、それからふっと口元を歪めた。
「別に、大した意味はないよ。ただ、あんたの弱ってるとこって、何かいいなと思って」
「……何だよ、それ」
「怒らないでくれないかな。こう言う方が、面白そうじゃないか」
あんな風に、法廷で言い争うより、ずっと。
「あんな会い方さえしなかったら……。そうは思わないかい?」
「…………」
自身の意図を思い知らせる為、これ見よがしに身を寄せ、手を伸ばして壁に両腕を押さえ込んだ状態。響也の余裕に、彼は不快そうに眉根を寄せた。
「馬鹿馬鹿しいね、付き合う義理なんてない。特に、きみが相手なら尚更だ」
涼しい顔で憎まれ口を叩く彼に、響也の中で渦巻いていた感情が少しずつ大きくなって来る。
法廷でもそうだった。顔色一つ変えず、響也の主張を打ち砕こうと挑んで来た。
兄に聞いていた。ろくでもない男だと。でも、どこかで信じていた。本当に、本当に偽の証拠品なんて出してしまえるのか。そんな卑劣な男には、見えなかったからだ。なのに、彼はあれを提出してしまった。あの真っ直ぐな目をこちらに向けたまま、堂々とした態度で。
どうしてだろう。一体、どうしてあんなことをしたんだ。渦巻いていた苛立ちは膨らんで、そして行き場をなくしてしまった。だから、何もかも忘れようとした。あんな卑劣な行為も、消えた被告人のことも、全て。でも、彼が一体どう言う人間なのか、その疑問だけは拭おうとしても拭えなかった。
今だってそうだ。今すぐこの手を振り解いて、背を向けて逃げ出すことなんて容易いはずなのに。何故か、彼はそうしない。まぁ、そんなことは決してさせないけれど……。逃がすつもりは、ない。
だから。わざと挑発するように、響也は嘲るような口調で彼の耳元に囁きを落とした。
「怖がることはないよ、弁護士さん」
「………っ」
ぴく、と成歩堂の眉根が僅かに寄せられた。
彼はきっと、挑発に乗って来る……。そんな確信が響也にはあった。
「誰が……怖がってるって?」
少しの間の後。
射抜くような目でこちらを見詰めながら告げられた言葉に、響也は黒いレンズの奥から覗く目をきらりと光らせた。
「………っ、ぅ」
宛がった指先は奥まで埋め込まずに、そっと探るように浅く内壁を辿らせると、小さな声が喉を鳴らした。
後ろを犯す違和感から逃れる為か、強張っては弛緩して収縮する内壁が、まるで物欲し気に響也の指先に絡み付くような動きを見せる。
「……っ、牙琉、検事……っ!」
何度も繰り返していると、屈辱に耐え兼ねたのか、成歩堂から抗議の声が上がった。この場所へ来て、初めて呼ばれた自分の名前に、柄にもなく体温が上がる。喉の奥が熱くなって息が上がるのをやり過ごす。肢体が揺れ、彼が逃れるように腰を浮かすのを見て、響也はからかうように耳元へ口を寄せた。
「あんたさ……初めてってことはないんだろうけど、いくらなんでもこっちは初めてだよね?」
暗に受け入れる側、と言うことを示唆する為、入り口をぐるりと指先でなぞると、ひく、と喉が鳴る。
「ちゃんと慣らさないと、辛いよ?」
揶揄の言葉に、成歩堂はぎゅっと唇を噛んだ。
悔しそうだ。年下の男に、しかもあんなことがあった後、張本人の響也にこんな風に弄られるのは、さぞ不本意だろう。
だったら、さっさと逃げ出してしまえば良かったのに……。そうしなかったのは、彼自身だ。
「あんたがいけなんだよ、成歩堂さん」
「どうでも、いいよ。早く、いれてくれ……」
半ば投げ遣りになったように呟かれた台詞に、響也は一瞬目を丸くした。そんな風な台詞とは無縁に見えたのに。色事には鈍そうで、奥手で、はっきり言って、面白味なんてなさそうだと。
だったら、何でこんなことをしようとしているのか、自分の行動にも矛盾を感じるけれど。
今はそんなことを考えるより、目の前の行為に没頭したかった。
「後悔しないでよ、成歩堂龍一」
わざとらしく大袈裟に溜息を吐き出すと、響也はぐい、と成歩堂の腰を抱いて、すぐ側に引き寄せた。
「く……っっ」
時折、不意をつくように乱暴に動いてみせると、堪らずに押し殺した声が上がる。
物足りなさを感じるほどに緩く動いては、荒っぽく揺する行為を何度も繰り返すと、成歩堂の額には次第に汗の粒が浮き上がって、濡れた黒い髪の毛がそこに纏わり付いて行く。
そっと、きつく閉じられた瞼の上を指でなぞると、熱に浮かされたような目がゆるりと開いた。
「辛かったら、掴まっていいけど?」
「いらない……よ」
きり、と睨み付けてくる視線はまだ十分に鋭利で、彼が余裕を失いきっていないのが解かる。
さて、いつまでそうしていられるか……。
響也は無意識に、ぺろりと濡れた舌先で唇を舐めた。
そのまま、どの位の時間が過ぎたのだろう。
もどかしい刺激と、継続的に襲ってくる激しい快楽に、意識ごと飲み込まれるまで、そうは掛からなかったように思う。
「……う……、ッん……」
壁に寄り掛かっていなければそのままずり落ちてしまいそうな腰を、抱き抱える。
「もう大丈夫そうだね、成歩堂さん」
「う……っ」
「あんた、結構素質あるよ」
「……っ!」
羞恥を煽るように囁くと、悔しげに身を震わせたけれど、それ以上成歩堂から反応はなかった。
「う、あ……ッ」
腰を抱えなおし、ぐっと奥まで突き上げると、びくんと首筋が仰け反る。
艶やかな肌が目の前に顕になって、知らず響也の鼓動も早まり、呼吸が酷く乱れた。
「は……っ、……ぁ」
引き結んだはずの唇から堪らずに漏れた声に、ぞくりと肌が粟立つ。
「成歩堂、さん……」
あやすような声で耳元で呼び掛け、響也は彼の髪に指を潜らせて引き寄せると、そっと唇を塞いだ。
「ん……っ」
避けられるのでは……と思ったけれど、成歩堂は微かに呻きを上げただけで、黙ってされるがままに響也の唇を受け入れた。緩く開いた唇の間から舌を捩じ込み、舌を掬い取って絡めても、何の抵抗もない。
「……んっ」
それどころか、柔らかく吸い上げると堪らないように喉が鳴って、甘い声が上がった。
同時に、ぎゅっと絡み付いて来る内側に危うく響也の理性も奪われそうになる。
(まずい……)
こんなつもりじゃない。ただ、弄んでやろうと思っていただけだ。こっちが飲み込まれて、どうする。
そんなことを思いながら、苦しげに上下する胸板に指先を這わせ、首筋に唇を押し当てると、彼の声は一層甘く掠れた。
「だから言ったじゃないか、後悔するなってさ……」
「うるさいよ……」
ゆっくりと響也が身を離した後。痛みに顔を顰める成歩堂にそんな言葉を掛けると、不貞腐れたような声が返って来た。
彼も、 まさかここまで自分が翻弄されるとは思っていなかったんだろう。
きっと、内心は後悔でいっぱいに違いない。
「ねぇ、成歩堂さん」
「……?」
衣服を整えて出て行く寸前、そっと耳元に顔を寄せると、響也はからかうような声を発した。
「又来てもいいかな。兄貴と、あのお嬢さんには、内緒にしてあげるから」
「……っっ!!」
扉に遮られ、彼の姿が見えなくなる瞬間。目に焼き付いたのは、真っ赤になった頬と、怒りに揺れる二つの黒い目だった。
終