カミナリ
その日は、とても気温が高かった。
朝から太陽が容赦なく照り付けて、風もない、本当に暑い日だった。
けれど、夕方になると急に天気が傾き出して、雲行きが怪しくなって来た。
王泥喜はしきりに窓の外を覗きながら、難しい顔で呟いた。
「何だか、天気悪いですね…」
「そうみたいだね」
今日は珍しく事務所で大人しくしている成歩堂が、相槌を打つ。
(みぬきちゃん、帰り大丈夫かな)
まぁ、あの子なら、傘の一つや二つ、パンツから出してみせるのだろうけど。
王泥喜が、暢気にそんなことを考えてる間にも、空模様はどんどん悪くなって行く。
気付くと、事務所の中は昼間だと言うのに、すっかり薄暗くなっていた。
「一雨来ますね、これ」
「うん…、そ…」
そうだね、恐らくそう言おうとした成歩堂の言葉は…。
直後、ビカ!と光った稲妻のせいで、最後まで聞くことが出来ずに途切れてしまった。
続いて、ドーンと言う、耳を劈くような鈍い音。
そして…。
「雷、結構…」
近いですね、そう言おうした王泥喜の言葉もまた、最後まで口にすることが出来ず途切れた。
「……うわっ!?!」
突然、本当に突然に、成歩堂が体当たりするような勢いで、王泥喜にしがみ付いて来たのだ。
一瞬、何が起きたのか全然解からなかった。
取り敢えず、いきなり飛び込んで来た重さと温かさを受け止めて、体勢を立て直すだけで、精一杯。
「ど、どうしたんですか?成歩堂さん?」
呼び掛けても、答えはなかった。
しかも、彼の肩は…気のせいでなければ、小刻みに震えている。
(えええ……?!)
一体、何事か。
どうしたと言うのだろう。
先ほどまでは、何ともなかったのに。
変化と言えば、ただ一つ。
この、断続的に鳴り響いている、もの。
(ん……?)
もしかして?雷に、怯えているのだろうか?
予想を付けたところで、再び稲光がして、鈍い音が響き渡った。
そして、更に王泥喜の腕の中で丸くなって蹲る背中に、予想は確信に変った。
成歩堂は明らかに雷に怯えていた。
「だ、大丈夫ですから!落ち着いて下さいよ、成歩堂さん!」
取り敢えず、なだめようと声を掛けて顔を上げさせて、ちょっと息を飲んだ。
(顔が、ミドリ色だ…成歩堂さん)
きっと、本気で怖いのだろう。
しがみ付くように身を寄せて、自分の体をぐいぐいと押し付けてくる。
「な、成歩堂さん…」
不本意にも少し鼓動が高まってしまって、王泥喜は上ずった声を上げた。
しかも、暫くすれば落ち着いて、離れてくれると思ったのに。
いつまで経っても、成歩堂はそのままだ。
雷も、一向に止む気配はない。
それに、滝のような雨まで降り出して来た。
その状態のまま、どの位過ぎたのか。
暫く経つと、段々と体勢がきつくなって来た。
それに、そんなに隙間なくぴったりと密着されては・・・少し困る。
ただでさえ気温が高いのに、成歩堂の体温が重なって、酷く熱い。
外は土砂降り、窓は開いていない。
湿気を含んだ空気が部屋いっぱいに広がって、蒸し暑い。
(う…本当に暑いな、これ…)
喉が渇いて、体温が上がる。
迂闊に動けない雰囲気なので、額に浮き出た汗を、拭うことも出来ない。
それに、何だか…妙に息苦しい。
「成歩堂さん…?」
もう一度声を掛けたけれど、相変わらず答えはなかった。
代わりに、しがみ付いたままの彼の背中にそっと腕を回して、あやすように撫でる。
(意外だなぁ…成歩堂さんがこんなに怯えるなんて)
そう言えば、みぬきが言っていた。
高いところも苦手で、観覧車を降りた後、顔がミドリ色だったと。
けど。
成歩堂のこんな姿を見ることも滅多になさそうだし、こんな風にしていられることなんか、もっとなさそうだし。
いっそ、このまま、ずっと雷が鳴ってればいい。
そんなことを考えてしまう自分は、ちょっと不謹慎かも知れない。
(でも…仕方ない、よな…)
そこまで思い巡らしたところで。
ドーン!と、一段と大きな音が鳴り響いた。
恐らく、雷が近くに落ちたのだろう。
本当に物凄い音で、王泥喜もびくりとしたくらいだったから…。
当然、成歩堂は王泥喜の腕の中で小さく悲鳴を上げて、ぎゅぅぅっと容赦ない力でしがみ付いて来た。
「ぐっ!!ちょっ…ちょっと、成歩堂さ…苦…し…」
ぎゅうぎゅうと締め上げられて、息が詰まる。
「な、なるほどう…さん…!」
必死に呼び掛けても、反応はない。
それどころか、増々腕に力が籠もる。
このままでは、こちらの命に係わる。
何とかして、彼の気を落ち着けなくては。
何か、怯えている彼の注意を他に…。
「だ、大丈夫ですから!成歩堂さん!」
取り敢えず、声をありったけ振り絞ると、それに反応して、彼が少しだけ顔を上げた。
(い、今だ…!)
腕ごと抱き竦められていたので、自由が利く首から上を駆使して、王泥喜は夢中で顔を寄せ、思い切り成歩堂の唇を奪った。
キス、なんてものじゃなく、とにかく無我夢中で口を塞ぐような行為。
こんなものでどうにか出来ると、本気で思っていた訳じゃない。
何か一瞬でも注意を引ければ、あとは説得でもなんでもして、と思っていたのだけど。
考えていた以上に、効果があったらしい。
成歩堂はぴたりと動きを止め、同時に痛いほど力を込めていた腕からも、ゆっくりと力が抜けた。
だらりと下がった腕が、王泥喜の腿の辺りに掛かる。
(よ、よし…何か知らないけど、大丈夫、みたいだ)
そのまま、何度も優しく甘く噛むような仕草を繰り返していると、何かの糸が切れたように、彼の体からは徐々に力が抜けて行った。
長いキスの後。
一端唇を離すと、成歩堂の両目が間近で見えた。
いつもなら絶対に見せることはない、無垢な子供のような…。
そんな目に、何だか罪悪感のようなものを感じたけれど。
まだ、雷は煩く鳴り響いているから。
(また、あんなに取り乱されたら困るし)
他に方法も思いつかない。
王泥喜は再び、ゆっくりと成歩堂に唇を寄せた。
彼からの抵抗は、一切なかった。
それを良いことに、少しずつキスを深いものに変えて行く。
あくまでこれは、彼の気を落ち着ける為のもの。
その筈なのだけど。
改めて触れた唇の感触に、体の奥で、じわりと何かが疼いたような気がした。
甘いような、痺れるような、歯止めが利かなくなるほど強い、何か。
煽られるまま、恐る恐る成歩堂の唇を割って、口内に舌を侵入させた。
(ああ、まずいって…これ。何してるんだろう、俺…)
本当に、まずい。
頭の中では、この辺で止めておけと何度も警報が鳴っているのに、舌は勝手に蠢いて彼の口内を弄りだす。
軽く吸い上げて、舌を絡めるようにすると、急に、彼の舌が答えるように反応して来た。
ぞく、と背筋を痺れるような感覚が這い上がる。
きっと。極度に熱くて渇いてて、可笑しくなってるだけなんだ、自分も彼も。
だからもう、止まれないし、止まる理由も見付からない。
もっと彼に触れて、体温を側に感じたい。
こんなにぴったりと密着していて熱くて仕方ないのに、まだ足りないだなんて、本当にどうかしている証拠だ。
とにかく、今は…この、何を考えているのか解からない彼の体を、滅茶苦茶に貪ってしまいたい。
「大丈夫、です!雷なんて、俺が、忘れさせてあげますから」
そう言って、王泥喜は成歩堂を抱き締めたまま、ドサリと床に倒れ込んだ。
衣服を掻き分けて、汗で濡れた肌の上を掌でなぞる。
やっぱり、抵抗しない。これは…。
脇腹を伝って、徐々に上の方へ手を伸ばしていくと、小さな突起に指先が引っ掛かる。
「ん……」
そこを何度も指先で弾くように触れていると、ぴく、と肢体が引き攣って、小さな声が漏れた。
次の瞬間…ビッと、シャツが千切れるような音が聞こえた。
自分が勢い余って彼のシャツを裂いてしまったのだと気付くまで、相当な時間が掛かった。
けれど、そんなことに構っている余裕は既になかった。
「成歩堂、さん…」
喉の奥に詰まった声は、自分のものではないみたいに掠れていて、聞き取り辛い。
強い欲情のせいなのだと、頭の何処かで思う。
やがて。
何度も直に胸元を辿るうち、無表情に見えた顔が薄っすらと上気して行く様子に、酷く興奮を覚える。
乱暴に押し広げた二の足の奥に指を潜らせると。
「……っう」
初めて、成歩堂が掠れた声を上げた。
理性が引きちぎられて、思考が遮断されそうになる。
(凄い……)
そんな漠然とした感想を漏らしながら、王泥喜は彼の体を探ることに夢中になった。
自分から濡れることのない場所を、唾液を指先に含ませて、少しずつ広げて行く。
物凄く注意を要する行為で、額に浮き上がっていただけの汗が、頬を伝ってぽたぽたと床に滴り落ちた。
(もう、大丈夫…だよな…)
頃合を見計らって指を引き抜き、王泥喜はゆっくりと成歩堂の奥へと身を進めた。
「…っっ!…く!」
びく、と肢体が引き攣って、彼の喉が仰け反る。
痛いのかと思って少し躊躇したけれど、途中で止めることはもう出来なかった。
成歩堂の中はとにかく熱くて、何だか内側から溶けてしまいそうだった。
「ん…く…っ」
(成歩堂さん…!)
時折上がる、艶を帯びた声に煽られるように、夢中で身を揺らす。
二人とも呼吸は乱れて、自分の耳元には、どちらのものとも解からない、荒れた息遣いしか聞えない。
何度か腰を揺らしたところで、不意に…外が一段と光って、再び凄まじい音が鳴り響いた。
途端、成歩堂がびくりと身を引き攣らせて、ぎゅぅっと内股に力が入る。
「……っ!!」
二人は同時に小さな悲鳴を漏らした。
成歩堂はきっと、雷への恐怖から。
王泥喜は、何と言うか…色々と…。
「ちょっ…ちょっと、力抜いて下さい…。ね…?成歩堂さん…」
このままでは動くことも出来ないし、とにかく、まずい…。
何とか強張った彼の体の緊張を解そうと、王泥喜はゆっくりと下肢の中央へ手を伸ばした。
「ん……ん」
直接与える刺激に、王泥喜の下で成歩堂が堪らないように身を捩る。
同時に、少しずつ筋肉の緊張が解れて、絡み付く力が緩んだ。
そのまま、繰り返し刺激を送り込んでいると、彼の内壁は誘い込むようにゆっくりと収縮を始めた。
「ぅ…、ん…っ」
浅く突き上げると、甘ったるい声が上がる。
柔らかく纏わり付く肉に、頭の奥が蕩ける。
「…成歩堂、さん…」
無意識の内に呼び掛けると、彼が反応してこちらを見た。
どんな顔をしているのか、ずっと気になっていたその表情は驚くほど高揚していて、熱を帯びていて…思わず息を飲む。
(な、何て…)
何て顔をするんだろう。
そこで、自分の理性の糸がぶつりと切れる音が聞こえた。
何かを考えるより早く、成歩堂の腰を抱えると、王泥喜は温かい内壁を夢中で突き上げた。
「ぁ…、はぁ…ァ…」
その度に、今まで聞いたことのないような、彼の声が上がる。
何かに急かされるような、追い立てられるような気持ち。
胸が締め付けられるようで、はっきり言って、苦しい。
それから逃げるように、王泥喜は快楽を追うことだけに没頭することにした。
何度も、熱に浮かされたように名前を呼びながら、キスを繰り返す。
そこからは、何をどうしているのか、自分でも感覚がなかった。
でも、成歩堂の掠れた声は止まることなく聞えていたから。
きっと、彼も快楽を感じてくれているに、違いなかった。
ハッと気付くと、目の前には、何だかぐったりしている成歩堂の姿があった。
今更ながら慌ててしまい、王泥喜は咄嗟に腰を引いた。
途端、溢れ出た液体が成歩堂の内股を伝う。
(し、しまった…中に…)
流れる体液が内股を細く伝う、その卑猥な感じににぞくりとしたけど、そんな場合じゃない。
(ど、どうしたらいいんだ?!)
王泥喜が青褪めて困り果てている中、不意に、成歩堂がゆっくりと目を開けた。
相変わらず気だるい表情を浮かべた彼は、そのまま無言でむくりと起き上がった。
「な、成歩堂さん?」
「…シャワー、行ってくるよ…」
「あ、は、はい!」
呼び掛けると、力のない声で、ぶっきらぼうな返事が返って来た。
それだけ会話を交わすと、成歩堂は散らばった衣服を掻き集めて、ずるずると床を引き摺りながら、ふらついた足取りでバスルームへと消えて行った。
そして、暫くすると、気だるい表情のままで戻って来た。
「オドロキくん、きみも入ってきなよ」
「はっ、はい!解かりました!」
どんな顔をして良いのか、悶々としていた王泥喜にはお構いなく、成歩堂がマイペースに掛けた言葉に頷いて、バスルームに直行する。
無駄に時間を掛けて丁寧に体を洗いながら、今になって焦りが生まれて来た。
(ええと…取り敢えず、俺…成歩堂さんと…)
(ど、どうしたらいいんだ…)
頭の中はごちゃごちゃでパニックだったけれど、それ以上にまだ気持ちが高揚している。
とにかく。
成り行きであったとは言え、自分は彼だったから、抱いてしまった訳で。
それだけでも、ちゃんと伝えなくては…。
(い、言えるだろうか…)
指がふやけるほど散々悩んで、遂に覚悟を決め、王泥喜はバスルームを出た。
そっと、彼がいるであろう部屋に足を踏み入れる。
「あの、成歩堂さん!」
「……」
意を決して呼び掛けたが、反応がない。
「成歩堂…さん?」
もう一度呼び掛けると、返事の代わりに小さな寝息が聞えた。
(あ、あれ…?)
急いで成歩堂の寝転んでいるソファに近付くと、それはそれは気持ち良さそうな、彼の寝顔が見えた。
(ね、寝てる…よ、この人…)
どうしよう。
取り敢えず、告白は、お預け…か。
ホッとしたような、残念なような…。
でも、気は抜けない。
彼が起きた時が勝負だ。
決心を固めて、ふと、窓の外を見やると、いつの間にか…雲の間から青い空が見えていた。
END