形勢逆転3
(よ、良かった)
取り敢えず、ホッと溜息を吐き出した王泥喜だったけれど、安心している暇はなかった。
「わ……っ!」
急に成歩堂の声が上がったと思ったら、彼が茜に手を引かれて、勢い良くソファに倒れ込むのが見えた。
流石に、刑事だけあって力は結構あるようだ。
などと暢気な感想を抱いている間に、茜は横倒しになった成歩堂の体の上にしっかりと乗っかっていた。
所謂、マウントポジションと言うヤツだろう。
けど…。これが、喧嘩の為でないのは、勿論明白だ。
それに、こんな光景、数日前にも目にした気がする。
相手が違うけれど…。
(ど、どうしよう、まずいぞ!)
王泥喜は思わずごっくんと生唾を飲み込んだけれど、目の前の状況が何か変わる訳ではなかった。
しかも、何だか…。
いつも見慣れているはずの茜の目は、酔いのせいなのか、その他の如何わしい要因のせいなのか。
水に濡れたように潤んでいて、思わずドキっとするような色気を放っている。
普段の彼女は、周りも認識しているように、割と勝気で活発で男勝りなだけに、こんな彼女を見るのは初めてだ。
しかも。
「ねぇ、成歩堂さん…」
どこか甘えるような声で彼女が成歩堂の名前を呼ぶ。
「一つだけ…言ってもいいですか?」
「何だい、茜ちゃん…」
(何、じゃないだろ!成歩堂さん…!)
悠長に会話している場合じゃないとだろうに。
一刻も早く、彼女を体の上から退かせるべきではないのか。
なのに、成歩堂は少しも動こうとしない。
いや、彼も…あまりのことに戸惑っているのだろうか。
「あたし、成歩堂さんが…好きなんです…」
「…茜ちゃん」
「だから…一度だけでいいですから…。キスしても、いいですか?」
聞こえて来た言葉に、王泥喜はひっと息を飲んだ。
(こ、これは、非常にまずい!!)
ど、どうしたら良いだろう。
取り敢えず、警察に。
いやいや、そんな馬鹿な。
と言うか、刑事なら目の前にいるし。
「ね、成歩堂さん…」
(…わっ!!)
慌てふためく王泥喜の目の前で、茜はぐっと成歩堂の側に身を屈めて顔を寄せた。
彼女の長い髪が、成歩堂の顔に降り掛かる。
これはもう、まずいとか言うものじゃない。絶対絶命だ。
「茜ちゃん。ちょっと、待ってくれないかな」
ここへ来てようやく成歩堂の待ったが掛かったけれど、茜はめげなかった。
「い、嫌です。いつも成歩堂さんは、そんなことばっかり言って…子供扱いして…」
「茜ちゃん…」
「一度だけでいいんです、お願いします…成歩堂さん」
あまりに必死な彼女の様子に、一瞬魅入ってしまったのか、成歩堂の動きがぴたりと止まる。
その隙を見て、茜は更に側に顔を寄せた。
(うわ……!!!)
思わず咄嗟に王泥喜はぎゅっと目を瞑り。
そうして、あとほんの数ミリで唇が触れ合うと言う、瞬間。
「う……」
「……?」
(ん……?)
突然聞こえて来た呻くような声に、王泥喜はきつく閉じていた目を恐る恐る開けてみた。
目の前広がった光景は、キスシーンではなくて、青褪めた顔で口元を抑えている茜の姿。
「気持ち…悪い。吐き、そう…」
「……!」
「あ、茜さんっ!!」
先ほどまでの雰囲気は何処へやら。
一気に訪れた緊急事態に、王泥喜は慌てて飛び出して、茜を成歩堂から引き離すと、急いでトイレに連れて行った。
何とか事態は落ち着いたものの、どっと疲れてしまった。
おデコに浮き出た汗を拭うと、王泥喜は不審そうな目を成歩堂に向けた。
「あの…成歩堂さん」
「何だい?」
「さっき、どうするつもりだったんですか?」
アクシデントが起こらなかったら、あのまま、キスされていたんだろうか。
春美がいるのに。
「だとしたら、どうなんだい?」
からかうような成歩堂の声に、王泥喜は少し頬を膨らませた。
「し、知りませんよ。また春美ちゃんに殴られても」
「そうだなぁ、それは怖いけど…。でも、きみも黙って見てないで止めてくれれば良かったのに」
「え?!き、気付いてたんですか?!」
「まぁね。だから、きみが何とかするのかな、って」
「な、何で、俺が…っ!」
「だって…。茜ちゃんに嫌われたくないからね、ぼく」
「……」
あっさりと言い放たれて、王泥喜は言葉をなくして黙り込んでしまった。
もう、彼に係わるのはごめんだ。
でも。いちいち自分の目の前で事件が起こるので、そうも行かない。
またいつこんなことに巻き込まれるのかと思うと、王泥喜は深い溜息を吐かずにはいられなかった。
END