Lovesick




「で、具体的に言うとどうなんです」
「そうね……。何て言うかまず、溜息の数が多いのよ」
「はいはい、溜息の数が」
「それから、よくボーっとしてて怒られるの、上司に」
「なるほど、上司に怒られると」
「極めつけは、気付くと目で追っているのよね」
「目で追ってる……と」
 告げられる茜の言葉を繰り返して、王泥喜はぴたりと言葉を止めた。そんな症状には、何となく心当たりがある。
「茜さん、それって……」
「ええ、恋よ。間違いなく、カガク的に」
「ええ、わずらってますね」
 テーブルに頬杖を突き、ハァと溜息を吐き出す彼女に釣られて、王泥喜も思わず深い溜息を吐いた。
「あの、聞くまでもないと思いますが、相手は成歩堂さんですよね」
「そうよ、他にいるの?!」
 ぎろ、と睨まれて、王泥喜はぶんぶんと首を横に振った。

 相談したいことがあるからと、茜から裁判所のカフェテリアに突然呼び出されて、何だかんだ話を聞いてみると、出て来たのはこれだった。
 彼女が言うには、最近成歩堂龍一への恋心がカガク的に暴走を始め、色々とまずいことになっているらしい。
 結局、以前計画していた遊園地にも一緒に行けなかったようだし、成歩堂はともかく茜は結構忙しくてなかなか会う時間もない。しかも、かなり積極的にアピールしているつもりなのに、彼が鈍くて一つも事態が進展しない。色々考えている内に思いが募ってしまったのだとか。
「あたしだって、刑事だもの。そんなことばっかり考えてる訳じゃないんだけどね」
「は、はい」
「あーあ。一回くらいでいいから、あの人とキスできないかな…」
 切なそうに言う彼女は、どう考えてもそんなことばかりを考えているように見える。このままでは、色々とまずいのだろう。
 何故自分が呼び出されたのか解からないけれど、とにかく見捨てる訳には行かない。
「あの、悩んでばかりじゃよくないですよ。一緒に考えましょう、茜さん!」
 真剣な顔で大声で力説すると、茜は何事か考えた後、覚悟を決めたように顔を上げた。
「そうよね。どうせ諦められないんだから、進むしかないわよね」
「そうですよ!で、進むって……?」
「決まってるでしょ。キスするしかないってことよ」
「えええ!ま、待ったぁ!」
 茜の提案に、王泥喜は慌てて待ったをかけた。
 そ、それはまずい。春美のこともあるし、何よりバレたら成歩堂がどんな目に遭わされるか。勿論、春美に。
 急いでなだめると、彼女は不服そうに頬を膨らませた。
「いいじゃない、キスくらい。あたしこれでもアメリカにいたのよ、キスなんて挨拶みたいなものよ」
「う、うーん、そうは言いますけど」
 まぁ、確かに、彼女の言うことにも一理ある。けれど、問題はそれだけじゃない。
「で、でも、どうやってするんですか」
 ぐっと拳を握り締めて聞くと、茜はずいっとこちらに身を乗り出して来た。
「あんた、どうしたらいいと思う?」
「うーん。そうですね……。ありがちですが、寝込みを襲うとか……」
 勿論冗談だったのだけど、そう言った途端、ありったけのかりんとうを投げつけられて、王泥喜は痛みに呻いた。
「な、何するんですか!」
「駄目に決まってるでしょ、そんなの!キスだけで済まなかったらどうするの!」
「い、いらない心配だと思いますけど……」
 手の平でおでこを撫でながら、王泥喜は改めて考えを巡らせた。
 じゃあ、どうすればいいのだろう。今度は本気で考えて、慎重に口を開いた。
「じゃあ……偶然を装う、とか」
「……?偶然て?」
「例えばですよ…成歩堂さんが歩いて来るのを待ち伏せて」
「ふむふむ、待ち伏せてと…」
 さらさらとメモを取る茜の顔は真剣そのものだ。
「ぶつかる振りをしてキス、とか……」
「……!!それよ!!」
 茜の顔がパッと輝く。
「あんた、いいこと言うじゃない。流石成歩堂さんちの子ね!」
「そ、そうですか?それほどでも……」
 別に特別なことを言った訳ではないのだけど、茜に珍しく褒められて、王泥喜は嬉しくなってしまった。
 その後、二人で視線を合わせてこくりと頷き合うと、延々と計画を立て始めた。

 数十分後。
 計画を立て終えると、思い立ったら何とやらで、二人は早速ターゲットとなる人物、成歩堂龍一を呼び出すことにした。
「でも、そんな都合良く来てくれるかしら」
「大丈夫です!カフェで夕飯を奢ると言えば、かなりの確率で来てくれるはずです」
「なるほど、99%の確率ね、カガク的に……」
 そんな会話の後、王泥喜が成歩堂に電話を掛けると、案の定。すんなりと彼は了承してくれた。

 成歩堂がやって来るまで、王泥喜と茜は曲がり角でひたすら息を潜めていた。
 二、三分後。ようやく姿を見せた彼に、二人の目が輝く。
「今ですよ、茜さん!」
「任せといて!」
 こく、と頷いた茜は、一度深呼吸をして飛び出した。
「あ、あの、こんにちは、成歩堂さん!」
「あれ、茜ちゃん」
 茜に気付いて顔を上げる成歩堂の側に、彼女は一歩一歩足を進める。王泥喜は思わずごくりと喉を鳴らした。
(い、今だ!茜さん!)
 位置と言い、タイミングと言い、申し分ない!
 王泥喜がみぬく能力を盛大に発揮しながら見守る中。
「きゃあ!」
「……!?」
 茜は何もない通路で躓いた振りをして、思い切り成歩堂の方へと倒れ込んだ。
 急にバランスを崩した彼女と成歩堂がぶつかれば、どさくに紛れてキスの一つも出来るかも知れない。そう言う、ごく簡単な寸法だったのだけど。
 茜がスローモーションのように成歩堂へと近付く中、王泥喜はふと、彼の視線が床の方へと向けられているのに気付いた。
(ん、成歩堂さん?茜さんの方を見ていない?)
 そのままみぬく状態で見詰めていると、彼の唇がゆっくりと開いて、とんでもない言葉を紡いだ。
「あ、百円が落ちてる……」
「……!」
(ま、まずい!)
 その直後。
 信じられない素早さで、成歩堂がサッと床にしゃがみ込むのが見えた。当然、茜のことはひらりと華麗にかわす羽目に。
「……えっ!」
 茜は小さく悲鳴を上げ、一瞬にして打ちひしがれた二人だったけど、感傷に浸っている暇はなかった。
(ん……?!)
 次に目の前に現れた光景に、二人揃ってぎょっとする。
(あ、あれは……!)
「牙琉検事……!!」
 全く気が付かなかったのだけど、成歩堂の後ろにはぴたりと重なるように牙琉検事が立っていたらしく。しかも、成歩堂がしゃがみ込んだ為に、茜と彼の間には当然何もなくて。その上フェミニストの響也が倒れ込んで来た女の子を避けるはずもなく。
(わぁぁぁ、見ていられない!)
 王泥喜が思わず顔を手で覆った後、ドサっと音がして、二人が揃って床に倒れ込む音がした。
「んっ!」
「んんっ!?」
 続いて、何だかくぐもったような二人の声。
 嫌な予感がして顔を上げると。
(うわ……っ!?!)
 倒れ込んだ二人が、弾みで思いっ切り唇をくっつけているのが見えた。
「……」
「……」
 痛い沈黙が辺りに広がる中。
 ハッと我に返ったのか、茜は慌てて牙琉検事の上から退いて、声を張り上げた。
「な、な、何するんですか、牙琉検事!」
「え、な、何だい、刑事くん」
「そうですよ、何てことしてくれたんですか、あなたは!」
「お、おデコくんまで、どうかしたのかい」
「そ、そんな……あたし……」
「大丈夫ですよ、茜さん!キスはあくまで挨拶代わりなんですよね?!」
「何言ってるの!あんなのハッタリよ、ハッタリ!」
「えええ!」
「刑事くん、きみの気持ちは嬉しいけど…」
「あなたは黙ってて下さい!」
 激しく取り乱す茜と王泥喜に向け、背後から更に追い討ちが掛かった。
「仲良いねぇ、きみたち」
 一切合切状況を察していない、成歩堂の言葉が。
「……!ちっ、違いますよ、成歩堂さん!これは、これには訳が!」
「そうですよ!ちゃんと大事な理由が!」
「じゃあ、邪魔しちゃ悪いから……ぼくは先にカフェに行って待ってるよ」
「って、ちょっと、聞いてるんですか!?」
「待って下さい、成歩堂さん!」
 二人の叫びなど全く届いていないのか、天然なのか。
 彼は意味有り気な笑みを浮かべて、そのまま行ってしまった。
「な、成歩堂さーん!」
 茜の悲痛な叫びは、裁判所の廊下中にただ空しく木魂するばかりだった。