Mistletoe
突然、周りが騒がしくなって、布団の中で毛布に包まってうとうとしていた成歩堂は目を覚ました。
今は修学旅行中で、他の県にある旅先のホテルに泊まっている。六人一緒の部屋で、他の生徒たちは寝ている者もいれば、起きている者もいるようだ。
さっきまではなかなか寝付けなくて皆で何かと騒いでいたけれど、もう三時だ。流石に眠くなって布団に入ってから、まだ数分しか経っていないだろう。
耳を澄ますと、騒がしいのは部屋の外の廊下のようだ。人の声とバタバタと忙しない足音、それからもっと遠くで聞こえる大人の怒鳴り声。
続いて、バン!と音がして部屋の扉が開くのが解かった。誰かが入って来たのだ。トイレにでも行っていたのだろうか。部屋の中は暗いし、よく見えない。興味もない。
そのまま枕に頭をつけ、寝返りを打った途端。
もぞもぞと何かが毛布の中に潜り込んで来るのが解かった。
「な、何だよ!誰……」
言い掛けた口元が、がばりと塞がれる。人の気配が明らかにして、耳元に熱い吐息が掛かった。
「しっ、静かにしろよ、成歩堂!」
「……!」
声の相手はすぐに解かった。友人の矢張政志だ。
成歩堂が大人しくなったのをみて、手の平はそっと口元から離れた。
「な、何なんだよ!矢張!」
小声で囁くと、彼は焦ったように声を上げた。
「しーっ!先生に見付かったら、まずいだろ」
「……?先生に?何したんだよ」
「いや、こんなときだろ。俺ってばミユキちゃんの部屋に忍び込もうとしたんだけど、間違って先生の部屋の扉開けちまってさ……」
「えええ?」
「それで、追われてるんだよ、匿ってくれよ。な!」
「全く、しょうがないな……。落ち着いたら出てってくれよ」
「解かってるって、任せとけ!」
任せておけの使い方を明らかに間違っている気がするけれど、それについてはもうどうでもいい。
目が暗闇に慣れて来たので、彼がバチっとウインクをしたのが何となく解かった。
もう一度耳を澄ましてみると、成歩堂の泊まっている部屋の前をバタバタと数人が走り抜ける足音が聞こえる。どうやら、この部屋は見逃してくれたらしい。
「もういいかな」
「バカ!通ったってことは、また行って戻って来るだろ、もう暫く、な!」
尤もな言い分に、成歩堂は項垂れながら渋々頷いた。
でも、暫く黙って息を殺していても、何の音沙汰もない。もう行ってしまったのだろうか。でも、もし見つかったら、匿っていた成歩堂だって、とばっちりで怒られるだろう。仕方なく、一つの布団にくっつきあって、時間が過ぎるのを待った。
矢張はもうミユキちゃんとやらのことは諦めたのか、所詮は片思いだったのか、イライラしている様子はない。
ハァ、と深い溜息を吐くと、彼は気付いたようにこちらを見た。
「悪いな、成歩堂」
「いいよ、別に。でも、女の子のために、よくやるよ」
お前の行動力、見習いたいもんだ。ぼそりと呟くと、矢張は急に無言になって、何事か考え込むように首を傾げた。
そして、暫くの間の後、探るような声を上げた。
「なぁ、成歩堂よぉ」
「ん?何?」
「お前さ、キスしたことあんの?」
「……!な、何だよ!急に!」
急にその手の話題を振られても、あまり免疫のない成歩堂にはどう答えて良いか解からない。
「お、お前はどうなんだよ」
咄嗟に話を振ると、彼は何だか嬉しそうな笑みを作った。
「ま、そうなぁ、俺の場合は、それなりに」
「だろうね……」
「で、お前は」
「まだないよ、悪かったな」
何だか虚しいような寂しいような気分にさせられて、成歩堂は不貞腐れたように吐き捨て、枕に顔を埋めた。
もう、いい加減、早く出て行ってくれないかな。
そう思いながらも、密着している体温が心地良くて、成歩堂は少しずつ眠気に引き摺られるのを感じた。
やがて、瞼がゆっくりと閉じて、再びうとうととし始めた、直後。
「そっか、ないのか」
少し遠くなり掛けた意識の片隅で、そんな風に呟く矢張の声が聞こえた。
「……?」
声に反応して目を開けると、いつの間にかこっちを見ていた矢張と目が合った。
じっと視線を向けられて、成歩堂も思わず彼の方を見返した。
いつもなら、何じろじろ見てるんだよ、とか、軽口を叩くに決まっているのに。
寝惚けていて、頭が上手く回らないのかも知れない。
やがて、矢張の気配がぐっと近付くのが解かった。
(……あ)
そのまま、ゆっくりと押し付けられたものに、一瞬……呼吸までもが止まってしまった。
「じゃあ、もう戻るかな」
「うん、おやすみ……」
数分後。
何事もなかったようにそう言う矢張に、成歩堂も大人しく頷いた。
お互い、先ほどのことには一切触れないまま、彼はそっと布団の中から出て行った。
次の日。
矢張は既に可愛い女の子と一緒に仲良く喋っていた。
いつも通りの光景に、何だかホッとする。
でも、やっぱり少し気まずくて、残りの日程で会話を交わすことはなかった。
あれは、矢張のきまぐれなんだろう。それを確かめるつもりはないし、それで良いと思っている。
でも、キスをしたことと、自分が逃げようとすれば逃げられたと言う事実だけは変わらない。
長いような短いような旅行で何よりも頭に残ったのは、あのとき触れた柔らかい感触だった。
終