おまじない




放課後。
家までの帰り道を矢張と並んで歩いていると、彼は急に何かを思い出したように成歩堂に向き直った。

「なァ、成歩堂。そう言えば、明日ってテストだろ」

そして、ぐい、と肩に腕を回して顔を近付けて来る。

「え…。う、うん。そうだね」
「なー、お前…都合よく俺の隣だし」
「……?」
「明日こっそりテスト見せてくれよな!」
「え?!だ、駄目だよ!」

矢張のとんでもない提案に、成歩堂は慌てて声を荒げた。

「カンニングじゃないか、それじゃ」
「カンニ…?いや、そうじゃなくて、ちょっと見せてくれればいいんだけど」
「だ、だからそれじゃ駄目だよ!自分の力でしないと」
「何だよー。つまんねェな」

頬を膨らませて不貞腐れる矢張をなだめるように、成歩堂は笑顔を作った。

「帰ったらぼくが勉強教えてやるよ。少しなら…きっと出来るだろうから」
「お、頼むぜ、成歩堂」

もう機嫌が直ったのか、彼も笑顔で頷くと、上機嫌に鼻歌まで歌い出した。
でも。
成歩堂はと言うと、頭の中で全く別のことを考えていた。
この前の、テストのこと。
皆で集まって事前に勉強をしているとき、成歩堂にはどうしても解からない問題があった。
矢張はとっくに飽きて、ごろごろ転がりながら漫画を読んでいて。
困り果てた自分を横から覗いて、彼はてきぱきとした様子で教えてくれた。

『これは、こうすれば良いのだよ、成歩堂』

彼の言う通りにすると、問題はすぐに解けた。
絶対に解けない問題だと思っていたのに。
自分には、とてもあんな風に出来ない。

「み、つるぎ…」
「……ん?」
「…こんなとき、御剣がいれば」
「成歩堂…」

ぼそりと呟いた言葉に反応して、矢張もぴたりと鼻歌を止めた。
一気に気持ちが沈んでしまった。
他にも楽しいことは沢山あるのに、御剣のことを思い出すと、どうしても気持ちが晴れない。
お別れを言う事も出来なかった。

「お前、本当にあいつのこと好きだったもんなァ」
「……」

改めて言われると、無性に悲しくなって、成歩堂の目には薄っすらと涙が滲んだ。
そのまま無言になって、どれくらい立ち尽くしていたのか。



「なぁ、成歩堂」
「ん?」

不意に名前を呼ばれて、成歩堂は顔を上げた。
すぐ目の前に、矢張の顔がアップであって驚く。
何度かぱちぱちと瞬きをした、その後。

「……?!」

いきなりぐいっと引き寄せられて、次の瞬間には、成歩堂の唇に矢張の唇がくっ付いていた。

「……」

あまりに突然のことで、何が起きたのか解からない。
声を上げるのも忘れて、大きく息を飲んだまま、成歩堂はされるままになっていた。
暫くすると、矢張は唇を離して、満面の笑みを浮かべた。

「な、何するんだよ!矢張!」

キスされていたのだとようやく解かって、成歩堂は焦った声を上げた。
けれど、矢張はあくまで楽しそうに、得意気ににふふんと笑ってみせた。

「どうだ?元気出たろ?」
「え……?」

予想していなかった台詞に、目が丸くなる。
黙り込んだ成歩堂に、彼は更に続けた。

「慰めるおまじないだってさ。普通は女の子にしかやらねぇんだけど、特別だよ、お前」
「矢張…」
「で、どうよ、効いただろ?」
「え、う…ん」

そう言えば。
びっくりし過ぎたせいもあるのかも知れないけど、彼の言う通りだ。
成歩堂がぎこちなく頷くと、矢張はぽんぽんと軽く肩を叩いて来た。

「お前は、元気良くしてた方が好きだな、俺」
「…矢張」

確かに、落ち込んで泣いているばかりなんて、それこそ見っとも無くて彼に合わせる顔がない。

「御剣には…きっと、そのうち会えるだろ」
「うん…。ありがとう、矢張」

彼の気持ちが嬉しかったので、成歩堂はそっと顔を寄せて、先ほどされたように彼の唇に軽くキスをした。

「…?!な、何だよ、成歩堂!」

途端、矢張は目を見開いて、物凄くうろたえた様子で声を荒げた。
されたことを返してみただけなのに。
過剰な反応に、成歩堂も驚いてしまった。

「な、何って…お返しだよ、さっきの」
「おう、そ、そうだな」

きょとんとした顔で言うと、矢張は何だか照れ臭そうに頭を掻いた。
心なしか頬が染まっているようにも見える。

「よし!じゃあ、帰るぞ!成歩堂!」

いつもより大きな声でそう叫ぶと、矢張は成歩堂の手を掴んで、道を先導するように歩き出した。

「ちょっと、早いよ、矢張」
「いいから。お前は俺の言う通りにしてればいいんだって」
「…な、何…」
「知ってたか?さっきのあれ、おまじないの意味もあるけど、愛のあかしってヤツでもあるんだぜ」
「え…?!」
「お前は、俺のものってことだよな、成歩堂!だから、言う事聞けよな」
「や、矢張…!」

強引に先を行く矢張にぐいぐいと手を引かれ、半ば引き摺られるように歩きながら。
御剣がいなくなってから初めて、成歩堂は少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。



END