面影
「お久し振りです、リュウちゃん」
穏やかな笑顔を浮かべてこちらを見つめる彼女、あやめ。
面会の席で、成歩堂は少し久し振りに会う彼女の笑顔がいつもと変らないことに、ホッと胸を撫で下ろした。
「すみません、なかなか顔を出すことが出来なくて」
「大丈夫ですわ、お忙しいのでしょう?リュウちゃんも」
「は、はい…」
にっこりと綺麗な顔で微笑まれて、成歩堂は少し顔を赤らめた。
前回来た時は、真宵や春美も一緒だったため、ゆっくりと話をすることが出来なかった。
と言うのも…成歩堂とあやめの仲を誤解した春美が、すぐに強硬手段に出てしまうからなのだが。
けれど、春美の気持ちも、何となく…解からないでもない。
確かに、今でもこちらを見詰めるあやめの視線は何処となく熱っぽくて、思わず目を逸らしてしまいそうになる。
抱いている好意を少しも隠そうともしない、真っ直ぐな視線。
悪い気はしないものの…それは、少しばかり気恥ずかしいものだった。
「あ、あの・・・本当に大変でしたね、今回は…」
それでつい、いつも事務的な話ばかりしてしまう。
もっと、あの頃の思い出について語っても良いのかも知れないけれど。
彼女の時だけが、あの頃のまま止まっている気がして、そこに触れるのは少し怖かった。
「あなたも…その、随分と辛い思いをされたと思います」
「いいえ、大丈夫ですわ。真宵さまや神乃木さまたちに比べれば…何でもないことです」
「…あやめさん」
型通りの会話を交わしたところで、ふと、あやめが顔を伏せた。
熱の籠もった眼差しから解放されて、代わりに成歩堂が顔を上げる。
「あやめさん…?どうかしたんですか?」
「いえ、あの…こんなことを申し上げるのは、真宵さまたちに申し訳ないのかも知れませんが…」
「……?」
「ずっと思っておりましたの。わたし…霊力がなくて本当に良かったのかも知れません」
「どうして、そう思うんですか?」
尋ねながらも、何となく、予想は付いていた。
綾里家の血を巡って起きた、恐ろしい事件の数々。
真宵も、自分が綾里であることが恐ろしいと、あの裁判の時言っていた。
彼女も、例外ではないのだろう。
けれど、ややしてあやめが口にしたことは、成歩堂が考えていたこととは全く別のことだった。
「わたし…もし霊力があったら、きっと、真っ先にお姉さまをお呼びしているに、違いないですから」
「……?!な、何ですって?!どうして!」
「わたし…霊力は嫌いです。でも、それより…お姉さまとリュウちゃんを、もう一度会わせて差し上げたい…」
「あ、あやめさん…」
成歩堂は暫しの間呆然とした。
まさか、今になっても彼女がそんなことを言い出すとは、思っていなかったのだ。
それに、葉桜院で会ったときは、霊媒など嫌いだと、はっきり言っていたではないか。
けれど、彼女は…。あやめは、ちなみのことが大好きだった。
いや、きっと、今でも。
でも、そんな彼女の感傷に付き合うことは、成歩堂には到底出来そうもなかった。
「どちらにしろ、それは無理なお話です、あやめさん」
「ど、どうして、ですの?」
「そんなことになれば、ぼくはきっと、平常でいることなんて出来ませんから…」
「そう…ですわね…」
きっぱりと言い放つと、あやめは再び俯いて、力のない声を発した。
「でも……」
けれど、何事か考え込んだ後に顔を上げ、今度は真っ向からこちらを見詰めて来た。
「でも、きっと…それがわたしの望みなのかも知れません」
「え……?」
「リュウちゃんが平常心でいれない限り…それは、お姉さまを忘れていない証拠ですもの」
「…あ、あやめさん…」
「わたし…リュウちゃんにお姉さまを忘れて欲しくないんです。勝手なことを言っているのは解かっておりますの…。勿論、お姉さまが重ねられた罪のことも…許されないとは解かっております」
「……」
すぐには声が出なかった。
でも、その時点で、もう解かっていたのかも知れない。
ややして、成歩堂はゆっくりと首を横に振った。
「多分…それは、ご心配には及びません…」
「え……?」
「きっと、ぼくは…」
「…リュウちゃん?」
「あ…。いえ…何でも、ありません」
無意識に何事か言い掛けて、成歩堂は口を噤んだ。
いつも、彼女に会う度に何処か居心地が悪いのは、何もあやめの視線のせいだけじゃない。
きっと、彼女の上にちなみを重ねてしまうからだ。
つまり、ただこうしているだけで、あやめの願いは、既に叶えられているのだ。
彼女が、そうと知ることなく。
そう思うと、何だかそれ以上…顔を上げることが出来なかった。
END