「いい加減にしてくれよ、あんた!」
「うん……?」
 本当に突然。堪り兼ねたように声を荒げた響也に、成歩堂はきょとんとした顔を上げた。
 ここは牙琉響也の部屋で、先ほどから成歩堂はその部屋の大きなベッドの柔らかい毛布に包まってうとうとしていた。
 手足には気だるいような心地良い痺れが広がっていて、夢見心地とでも表現したら良いんだろうか。とにかく、心地良かったのだ。
 でも、響也は尚も溜息混じりに続けた。
「うん、じゃないよ、成歩堂龍一」
「フルネームで呼ぶのは止めないかい」
「そんなことはいいから。あのさ、もう三日目なんだけど…。折角の連休に、ぼくはいつまで部屋に籠もってればいいんだい」
 響也の言う通り。
 彼が久し振りに連休を取れたことは知っていた。だから、それに合わせて部屋に上がりこんで、そうしてそのまま猫のようにだらだらと寛ぎつつ居座っているのだけど。
「まだ三日じゃないか、何が不満なんだい」
「まだって……。あんたまさか、ぼくの休日全部、ここに籠もったままで過ごすつもりかい?」
「そのつもりだけど、いけないかい」
「決まってるじゃないか」
「何で……」
「何でって……、三日前から、ずっと、その……」
 お互い、殆どベッドから出てない訳で、何と言うか。
 そこまで言って、響也は言葉を濁らせた。成歩堂は響也の気持ちを察して、口元を緩めて笑った。
「ああ、ちょっとお互い無茶し過ぎたかもね」
「そ、それも、あるけどね……。ぼくはいい加減外に出たいよ」
 響也の言い分は尤もだろう。家でゆっくりするのにも、限度と言うものがある。それに、二人でベッドなんかに潜り込んでいると、ついつい四六時中触れてしまって、リラックスどころじゃない。ベッドにもシーツにも肌にも、お互いの匂いやら感触が自然と移ってしまっているような気がしてならない。いや、寧ろ監禁でもされているような。
「気分転換でもしたいね、切実に」
 だから、そう言ったのはきっと彼にとって当然のことだったのに。事態を少しも理解していないらしい成歩堂は見当違いの台詞を返した。
「ああ、もしかして、外でするのがいいとか」
「ち、違うよ!!」
「確かに刺激はありそうだね。気分転換にはなるかな」
「そう言うことじゃないよ!だいたい、そう言う無神経な行動は理解出来ないな!」
「そんなに怒らなくても……」
 ゴン!と拳を作って壁を叩かれ、成歩堂は仕方なくゆっくりとベッドから身を起こした。
「とにかく、出掛けるよ、成歩堂龍一」
「うん、解かったよ、仕方ないね」
 渋々頷いて、成歩堂は気だるい溜息を吐き出した。

 そんな訳で、成歩堂にとっては不本意極まりなかったのだけど、二人は外出することになった。響也は引退したとは言え、もとスターに違いないから、そんなに目立つところへは行けないけれど。しかも、何でこんなだるそうな格好をした男と二人。目立たない訳ない。まぁ、お互いそんなことはあまり気にしていなかったのだけど。
 久し振りに外の空気を吸いながら、成歩堂は思い切り伸びをした。確かに、響也の言う通り。気分転換は気持ち良い。でも、自分だって出掛けるのが嫌いな訳じゃない。ただ、何だかあの部屋に行くとやたらと和んでしまって、どうしようもないのだ。たまに響也が大音量で聴いているロックも、最初は煩いと思っていたけれど、今はそうでもない。
 それに、別に響也の方は成歩堂に合わせる必要は無いはずだ。でも。成歩堂がベッドでゴロゴロしていると、響也は絶対側に来るし、そうなると何だかつい触ってしまったりで。何と言うか、そうなってしまうのだ。
 でも、まぁ、部屋の主である彼がそう言うのだから、仕方ない。成歩堂は眠そうに目を擦りながらも、そんなことを自分に言い聞かせて気分を切り替えた。
 そのつもり、だったのだけど。
「あのさ、成歩堂さん」
「うん?」
「近いよ」
「……?」
「近いんだって、距離が!」
「え、ああ……」
 そこまで言われて、成歩堂はまるで寄り掛かるみたいに響也に身を寄せていたことに初めて気付いた。
 猫が足元に纏わり着くような感覚だろうか。
「すまないね」
「……い、いや、いいよ」
 謝罪しつつ改めて距離を取ると、響也も気持ちを切り替えるようにぱちんと指を鳴らした。
 でも。それからも、幾度もそんなことが続いてしまった。
 勿論、ただでさえ容姿で目立つ響也が、その度に周りから注目を浴びる羽目になったのは言うまでもなく。
 外に出て僅か数時間で、響也はすっかり疲れ切ってしまった。
「もういいよ、帰ろうか」
「そうしようか」
 やがて、ぐったりとしたように響也がそう言って、成歩堂が頷いて。二人の短い外出はさっさと終ってしまった。

「で、結局はこうなるのかな」
 性懲りもなく、ベッドの上に上がった状態で、響也は成歩堂の顔を見ながら溜息混じりに吐き出した。
 そう言いながらも、彼の指先がこちらへ伸びて、ゆっくりとパーカーのジッパーを引き降ろすのを、黙って受け入れる。続いてそっと手の平が這わされると、成歩堂はその顔に気だるい笑みを浮かべた。
「まぁ、多分……きみがぼくの側にいる限りは」
「何だい、それは、だいたいあんたは……」
「人の上に乗っかってる分際で言うことかな、牙琉検事」
「………。全く、何でこんなことになったん……」
 響也の呟きは、ぐい、と下から襟首を掴んで引き寄せた成歩堂の唇に塞がれて、最後まで口にすることは出来なかった。