OverNight2
「何か、楽しいよな。こう言うのも」
かなりいい具合に酔いが回った状態で、成歩堂は向かいに座る御剣に上機嫌に話し掛けた。
食事中もかなり飲んだのだけど、何だか物足りなくて、部屋に戻った後も二人は何本かビールの缶を空にしていた。
「う、ム…そうだな」
そう答える御剣も、かなり酔っているのだろう。
少し顔が赤いし、さっきからあんまり目を合わせてくれない。
「はぁ、何だか暑いな」
やがて、体中に回ったお酒のせいで何となく蒸し暑さを感じて、成歩堂は綺麗に敷かれた布団の上にごろりと寝そべった。
握り締めていたビールの缶を畳みの上に置いて、リラックスしきった格好になる。
御剣に誘われたときは、本当にどうしてと思ったけれど。
男同士で旅行と言うのも、気兼ねしなくていいのかも知れない。
真宵や春美がいたら、こんなに崩れた格好は出来ないだろう。
のんびりとそんなことを思い巡らしていたら、突然厳しい声に一喝されてしまった。
「…成歩堂。そんなに浴衣を着崩すな」
「は…?何で?」
顔を上げると、何だか物凄く怒っているような御剣の目。
何をそんなに怒る必要があるのだろう。
そもそも、何でそんなこと言われなくちゃいけないのか。
「いいから、襟はきちんと合わせろ」
成歩堂が抗議しようとすると、彼はすぐ側までやって来て、乱れていた襟元をきついくらい乱暴に合わせた。
「え、ちょっ…嫌だよ、きついだろ」
「それから、帯も緩め過ぎだろう」
「な、何するんだよ!苦しいだろ!」
ぎゅーっと締め上げられて、成歩堂は思い切り眉を寄せた。
でも、御剣はこちらの言葉なんて聞いていない。
「それから、足はちゃんと閉じろ」
尚もそんなことを言いながら、浴衣の裾から剥き出しになってだらしなく開いていた足を引っ掴んで、無理矢理閉じさせる。
これはちょっと、流石に…どうなんだ!
「何なんだよ、もう!」
成歩堂は慌てて起き上がって、側で圧し掛かるようにしていた御剣の体を押し退けようとした。
けれど、中途半端に起き上がることしか出来なかったので、バランスを崩してしまった。
「うわっ!」
御剣の体を押し倒すように、一緒に布団の上に倒れ込む。
「……っ」
「ご、ごめん」
成歩堂の分の重さも受け止めたせいで、背中を軽く打ち付けたのか、御剣が小さく呻く。
けれど、何でこんなことになったのかは、明白だ。
「で、でも、お前のせいだからな」
咄嗟に謝った後、成歩堂は御剣の体に圧し掛かったままで、不貞腐れたように口を開いた。
でも、御剣からは何の反応もない。
どうしたんだろう。飲み過ぎたのだろうか。
それとも頭でも打ったのか。
いや、布団の上だし、それは…。
「御剣…?」
探るように名前を呼んだ、直後。
突然、ぎゅっと腕を掴まれて、急激に視界が反転した。
「……?!」
ぐるりと頭の中が回ったのは、酔いのせいではないだろう。
あっと言う間に背中に布団の感触がして、成歩堂の目には部屋の天井がぼんやりと映し出された。
そして、部屋の天井よりずっと近いところに御剣の顔が見える。
彼は先ほどとは逆に、成歩堂の上に圧し掛かって、押さえ込むように腕を布団の上に押し付けていた。
「御、剣…?」
目を上げると、何だか酷く怒っているような、彼の顔。
真っ直ぐに見詰める視線が何だか怖いくらいに真剣で、思わず息を飲む。
「み、つ…」
もう一度名前を呼ぼうと口を開いた途端、彼の顔がぼやけて、視界が真っ黒になった。
(え……)
続いて、温かい人の体温がより側に近付いて、熱い吐息が唇を掠めて。
ぐっと、言葉を奪うようにして口元に押し当てられたもの。
何…?何だ。
瞬きしても、近過ぎて良く見えない。でも、これは…。
「ん、んぅ…?」
尚も強く押し当てられているそれが、御剣のものだと気付いて、目を見開く。
一瞬で、頭の中が真っ白になってしまった。
成歩堂が抵抗を忘れているのを良いことに、その行為は更に続く。
彼の少し長めの前髪が頬に降り掛かっても、濡れた舌先が唇を割って中に入って来ても、何の反応も返すことが出来ない。
やがて、手首を掴んでいた指先に痛いくらいに力が込められて、成歩堂はびくっと肩を揺らした。
そこで、ようやく我に返ってハッとする。
「や、止めろ!御剣!」
正気に戻ると同時に、成歩堂はありったけの力を込めて御剣の体を押し返した。
「な、何やってるんだよ、お前!」
未だに生温い感触の残る濡れた唇を、手の甲でぐいと拭う。
何だか妙に脈拍が早くなって、成歩堂は誤魔化すように声を荒げた。
「酔い過ぎだよ、お前!し、しっかりしろよ!」
声が上ずってしまうのは、仕方ないだろう。
あんな濃厚なキスは、暫く誰ともしていなかったから。
しかも、かなり長い間奪われていたせいで、呼吸は乱れているし、体もさっきより熱い。
一体、どうしてくれるんだ。嫌がらせ、なんだろうか。
顔を覗き込んでも、彼は何も言わない。
広がる沈黙に、空気が重いし胸の中も重くなる。
「み、つるぎ…?」
何とか、言えよ。物凄く気まずい。
心の中で願いながら恐る恐る呼び掛けると…。
少しの間の後。
「…すまなかった」
彼はやたらとバツが悪そうに呟いた。
その、数分後。
成歩堂は乱れていた浴衣をきちんと着直して、足も閉じて、酒の変わりにお茶を用意して畳の上に座っていた。
さっき御剣に言われたからではない。
何となく、こうしておかないといけないような気がして…。
御剣もやっぱり気まずいのか、黙り込んだまま何も喋らない。
このままでは、何と言うか…やり辛い。
もうここは、ぶっちゃけてしまおう。
成歩堂は沈黙を破る為、思い切って口を開いた。
「だ、だからさ、言ったじゃないか。ちゃんと、好きな子と来ればって。酔ってぼくと間違えるなんて、かわいそうじゃないか」
「いや、成歩堂…そう言うことでは…」
「それにしても、お前でもああ言うことがあるんだな。びっくりしたよ」
「…いや、だから」
「まぁ、いいよ。酔った勢いってことで忘れてあげるから」
「……」
満面の笑顔を浮かべてそう言うと、彼は心の底から深い溜息を吐き出して、頭を抱えた。
そして、それっ切り、何も言わなくなってしまった。
結局そのまま、何だか微妙な気分のままで就寝することになった。
柔らかい布団に包まりながら目を閉じると、嫌でもさっきのことを思い出してしまう。
今更だけど、さっきのあれ…。
(所謂、キス、だよな)
しかも、かなり濃い。
御剣は、あんな風に好きな子にキスをするんだ。
見かけによらず、結構激しいと言うか…。
けれど。御剣でも…男でも、唇は柔らかいんだ。
て…、何を考えているのだ、自分は!
こんなことを考えては、親友として彼に失礼だ。
成歩堂は頭に浮かんだ思いを無理矢理打ち消して、それから全て忘れてぐっすりと眠りについた。
翌朝。
爽快な気分で目覚めると、成歩堂は大きく伸びをして隣に寝ていた御剣を見やった。
彼は先に起きていたらしく、成歩堂が起き上がると同時に身を起こした。
「おはよ、御剣」
「ああ、おはよう」
でも、挨拶を返す彼の顔が、何だかおかしい。
「どうしたんだよ、お前。凄いやつれてるみたいだけど」
「ああ…」
「もしかして、眠れなかったとか」
「…まぁ、そんなところだ」
「へぇ…」
楽しくて眠れなかったとか、そんなことだろうか。
修学旅行のときなどは、確かになかなか眠れなかったけど。
彼にもまだ、子供っぽいところが残っていたとは。
御剣の内心も知らず、成歩堂は当ての外れた答えで自分を納得させると、何事もなかったように笑顔を作った。
「じゃあ、朝ご飯食べたら、帰ろうか」
帰ったら、真宵に色々話さなくては。
宿泊券を当てたのは真宵だから。
帰りの電車の中で、のんびりと車窓を眺めながら、そんなことを思う。
御剣は眠れなかったせいか、隣の席で熟睡していた。
『これ、御剣検事にあげてよ。たまにはゆっくりしないとね』
そう言ってくれたのに、逆に疲れさせてしまったようだ。
でも本当は、彼女だって結構行きたがっていたのだ。
けれど、成歩堂と二人で行くとなると春美に悪いし、とか、色々な理由で譲ってくれたのだ。
『どんなところだったか、話聞かせてね』
旅行の前日に言っていた、彼女の台詞が頭を過ぎる。
土産話は色々ある。
(でも、あれだけは話す訳には行かないな)
そう思った途端。
今頃になってまた、ざわざわと胸が騒ぎ出した。
何だと言うのだろう。もう、忘れようと思ったのに。
未だに、唇に彼の感触が生々しく残ってるような気がする。
でも、何故か昨日のようにごしごしと拭う気にはならなくて。
代わりに、成歩堂はそっと自身の指先を唇に押し当てた。
END