プロポーズ
「ちょっと!聞いたわよ!成歩堂さんが倒れたんですって?!」
「あ、茜さん?」
用があって裁判所に立ち寄っていた王泥喜は、そんな台詞と共に凄い剣幕で迫って来た茜に捕まってしまった。
宝月茜。
彼女がここにいても、確かに可笑しくはないけど。刑事だと言うのに、この白衣。もう慣れたけど、やっぱり考えると少し可笑しい。
まぁ、そんなことはさておき。成歩堂に何かあったと知れば、茜が黙っていられる訳ないのだ。
前も風邪を引いた彼の元へ、甲斐甲斐しくもとびきり美味しいお弁当を持参して来たほどだ。
「大丈夫なの?あたし、心配で……。つい、会議中に検事の顔にハイドロキシアセアニリドホスホモノエステラーゼ溶液を引っ掛けちゃって……」
「えええ?あの恐ろしいと噂の!」
「この際、あんたもどう?」
「い、いえ!結構です!」
妙な巻き添えを食らった牙琉検事に物凄く同情しつつ、王泥喜は焦って首を横に振った。
「まぁ、いいけどね……。そんなことより!どうして成歩堂さんが倒れるなんてことになったのよ!あんたがついていながら!」
「い、いてて!」
徐にかりんとうを顔面に叩き付けられ、王泥喜は痛みに呻きながら慌てて声を上げた。
「た、倒れたって言っても、数日ご飯食べなかったせいで栄養失調になっただけです。事務所にも帰って来なかったから、仕方ないじゃないですか!」
「……栄養失調?本当に……?」
「は、はい……」
王泥喜が頷くと、茜は急にがっくりしたように肩を落とした。
「じゃあ、これはいらないかしら。折角用意したんだけど…」
言いながら、彼女がいつも肩から提げているバッグの中から取り出したものに、王泥喜は思わず、うっと息を詰めてしまった。
「な、何に使おうとしたんですか、これ……」
「決まってるじゃない。付きっ切りで看病してあげようと思って」
「そ、そうですか……」
そんな彼女が得意げに翳してみせたのは、怪しげな薬の入った注射器だとかビーカーだとか(しびんの代わりのつもりなのか?!)とにかく病人を更に悪化させてしまいそうなものばかりだった。
「でも、病気じゃないなら、栄養あるもの摂れば大丈夫かしら。かりんとうとか」
「そ、そうですね……」
王泥喜が呆れつつも適当に相槌を打っていると、茜は急に遠くを見るような目になって、ほうっと吐息を吐き出した。
たまに、彼女はこんな色っぽいと言うか、女の人らしい仕草を見せることがある。成歩堂のことが係わるとそうだ。
(いつも、茜さんは一生懸命なんだよなぁ……)
頑張る方向性は危ない感じだけど。春美のことがなかったら、本当は応援してあげたいのだけど。
そんな王泥喜の胸中にはお構いなく、茜は突然何かを思い立ったように顔を上げると、ぎゅっと両方の拳を握り締めた。
「やっぱり、必要なのよ、あの人には」
「え……?あの人?」
「成歩堂さんに決まってるでしょ!」
「そ、そうですよね。で、何が?」
「だから……、その……、良き妻がよ」
「はぁ、ヨキツマが、そうですね」
そこまで返事をして、王泥喜は目を丸くした。
「えええ?!妻ぁ?!」
「しっ!静かにしてよ!」
「もがっ」
物凄い大声を張り上げた王泥喜は、次の瞬間茜の手の平にがばりと口を塞がれた。
「とにかく、あたしが側にいれば、成歩堂さんを栄養失調で倒れさせたりなんて、絶対しないもの!毎日観察日記をつけて、事細かにデータを取って管理してみせるわ」
「んむむ……」
「と言う訳で、今すぐプロポーズしに行くわよ!」
「むぐぐ……!」
何か反論しようと思ったのだけど、口を塞がれたままなので叶わず。
王泥喜はそのまま引き摺られるように成歩堂事務所へと連れて行かれた。
数十分後。
決死の覚悟を決めた茜と一緒に事務所に飛び込んだのだけど、そこに肝心の成歩堂の姿はなかった。
「成歩堂さん?」
「あ、あれ、いなくなってる」
いつも彼が寝そべっているソファはもぬけの空だ。もしかして、またふらりとどこかへ出掛けてしまったんだろうか。
「ちょっと!成歩堂さんをどこへやったの!」
「い、いてっ!し、知りませんよ!」
凄い勢いでかりんとうをぶちまけられて、王泥喜はひりひりするおデコを手の平で擦った。
とにかく、いくら意気込んでいても、本人がいなければどうしようもない。
「でも、茜さん、成歩堂さんに何て言うつもりなんですか」
一先ずソファに腰掛けて、当然の疑問を口にすると、茜は何だかハッとしたような顔になった。
「そ、そうね……、どうしようかな……」
「ええ……?き、決めてなかったんですか!」
「悪かったわね、何だか焦っちゃって……」
「考えておいた方がいいんじゃないですか?」
「そ、そうね。ここはじっくりカガク的に考えておいた方がいいわよね」
お互いに顔を見合わせて頷き合うと、茜もソファにすとんと腰を下ろした。
そして、早速こちらを真剣な眼差しで見詰めて来る。
「あんた、どう言う風に言えばいいと思う?」
「そう、ですね。成歩堂さんの鈍さを考えると、ここははっきりと言った方がいいですね」
「あたしと、カガク反応して下さい!って言うのね?!」
「い、いえいえ!違いますよ!意味が解かりません!普通に結婚して下さいでいいんじゃないですか」
「……!そ、そうね……」
生々しい台詞に、茜がごくりと喉を上下させる。
「じゃあ、あんたちょっとお手本見せてよ」
「ええ?何で俺が!」
「いいじゃない、協力してよ、かりんとうあげるから」
「は、はい……。解かりました」
別にかりんとうが欲しかった訳ではないけれど、先ほど彼女に協力してあげたいと思ったばかりだ。色々複雑なことには変わりないけれど、今は全て忘れて、茜に親身になってあげたい。
王泥喜は腹を括ると、すくっと立ち上がって声を張り上げた。
「成歩堂さん……。俺と……、その……、俺と結婚して下さい」
物凄く照れ臭いと言うかあり得ない台詞だけど、茜の為だから仕方ない。
けれど。
羞恥を押し殺して必死に言い放った王泥喜に、茜は深い溜息を漏らした。
「駄目よ、全然。心が籠もってないわ」
「えええ?!」
「もう一度言ってみて、心を込めて!」
「い、いや、無理ですよ、そんな……」
そう言いつつも、ぎろ、と視線を向けられて、仕方なく息を吸い込む。
心を込めて、必死に。
成歩堂龍一に伝えるのだ!
「成歩堂さん!!俺と、結婚して下さい!!」
ビシっと人差し指を突きつけながら、そこら中に響き渡る大声で言い放ち、これで完璧だと思ったのだけど。
ふぅ、とおデコの汗を拭いながら顔を上げた瞬間。
「……?!」
自分が突き出した指の先にいる物体に気付いて、王泥喜は思わず息を飲んだ。
(え……、あ……)
「な、成歩堂さん?!」
「成歩堂さん?!」
「………」
茜と王泥喜は二人揃って引っ繰り返った声を上げた。
一体いつの間に戻って来たのか解からないが、そこいるのは紛れもなく成歩堂龍一その人だ。
(な、何でこのタイミングで!)
「あ、い、今のは……」
咄嗟に弁解しようとしたけれど、言葉が出て来ない。
「オドロキくん、きみ……」
しかも、彼は少し見開いていた目をすぅっと細めると、口元をふっと緩め、意味有り気な笑みを浮かべた。
「きみの気持ちはよく解かったよ」
「な、成歩堂さん!ち、違うんです、今のは!」
「悪いけど、少し考えさせてくれないかな、ぼくにも立場ってものが、ね……」
「い、いやいやいや!あの、だから……!」
必死に追い縋る王泥喜にもお構いなく、彼は再び事務所を出て、どこかへと消えてしまった。
(な、何でこうなるんだ!!)
ショックのあまり放心している茜と二人残されて、当然だけど物凄く気まずい。
「あ、あの、茜さん……」
恐る恐る声を掛けると、突然怒りのオーラが辺りに漂い出した。
「………あんた、よくも」
「……!」
ま、まずい!
これは、いつものパターンだ!
早く逃げなくては!
そう思っているのに、初めてしてしまったプロポーズの余韻と、漂う殺気に圧倒されてか、上手く足が動かない。
そうして。
「よくも、あたしの成歩堂さんに!」
「うわぁっ!」
そんな茜の声と共に、牙琉検事同様、王泥喜は顔面にハイドロキシアセアニリドホスホモノエステラーゼ溶液を引っ掛けられてしまった。
終