再会




容疑者として拘束されるなんて、あの日以来、だろうか…。
薄暗い留置所の中で明日の裁判のことを思い巡らしながら、成歩堂はぼんやりと胸中で呟きを漏らした。
でも、こんな風に考え込んでいても仕方ない。
やるしかないのだ。
以前こうして留置所に囚われたあの時、自分を救い出してくれた千尋を…彼女を、あんな目に遭わせた犯人。
何が何でも、絶対に引きずり出してやる。
決意を新たにしていたその時。
突然、看守から面会だと告げられ、成歩堂は疲労の色が隠せなくなっている顔を上げた。

(面会?)

こんな時間に、一体誰が…。
真宵、ではないだろう。
しかも、連れて行かれた場所は、真宵と話したあの面会室ではなくて、小さな取調べ室のようなところだった。
少し待っていろと言われて、その中に押し込められる。
やがて聞こえて来た声は、成歩堂のよく知った人物のものだった。

「悪いが、彼と二人にして欲しい」
「……!」

扉の向こうから部屋の中まで届いた、落ち着いた感じの声。
一体、この声の主にどのくらいの力があるのか解からないけれど…。
見張りの男は彼の言うままいなくなり、そうして入れ違いに入って来た人物に、成歩堂は大きく目を見開いた。

「…み、御剣…検事」

昼間法廷で見た、彼。
天才検事と謳われて、有罪判決を勝ち取る為ならなんでもする…黒い噂の耐えない、御剣検事その人。
どうして、こんなところに。
彼の意図を測りかねて、成歩堂が眉を寄せていると、彼はふっと鼻で笑った。

「無様だな、成歩堂龍一。こんな場所に身を置いているとは。きみは、弁護士ではなかったのか」
「……!」

嘲るような言葉に、成歩堂は無言できつい視線を返した。

「今のお前と、話すことなんてないよ」

そう強がって吐き捨てはしても…。
自分が置かれている状況がかなり厳しいことは、成歩堂もよく解かっていた。
ずっと頼りにしていた千尋はいなくて、寧ろ、彼女を殺害した罪にこの自分が問われているなんて。
それに明日は、真宵を除いて、法廷中の全ての人間が敵になるかも知れないのだ。
でも、負ける訳には行かない。
千尋の為にも、真宵の為にも。
何より、この目の前の男には、絶対に。
胸中で呟くと、成歩堂の脳裏には、昼間の裁判でのやり取りが浮かび上がった。
白い紙の裏に、血でマヨイと書いたのは…一体誰だったのか、問題になった時のこと。
それが、苦し紛れに自分かも知れないと言ったとき、彼は言ったのだ。
こんな風に、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、嘲るように、素人が、と。
随分昔に、自分は同じ言葉を彼の口から聞いた。
それは自分に向けられた言葉ではなかったにしろ・・・。
その時は、彼の姿が頼もしくて、胸を焦がすように眩しくて、今でも瞼の裏に、鮮明に焼き付いているのに。
それが…今はあの言葉が嘲りにしか聞こえないなんて。

「お前は…変わったよ、御剣」

そう言うと、ふと、御剣の顔から笑顔が消えた。
気のせいか、彼の気配が険しくなったような気がした。
無意識に、冷たい気配を感じ取って、成歩堂はじり、と足を後退させた。

「成歩堂」
「……!」

不意に、無造作に伸びた手に捕らわれ、成歩堂は息を飲んだ。
そのまま、胸元のネクタイを掴まれて、ぐいと乱暴に引き付けられる。

「……ぅっ!」

息が詰まって小さく呻くと、成歩堂のすぐ目の前に、冷たい顔をした御剣がいた。

「私は、手加減などしない。明日も、何としても、有罪を勝ち取る」
「…っ、放せ、御剣…」

その声がぞっとするほど冷たくて、成歩堂は驚いて彼の手を振り払おうとした。
けれど、どのくらい力を込めているのか知らないが、びくともしない。
それに、ネクタイを握り締める彼の手が小刻みに震えているのに気付いて、目を見開いた。
でも、見上げた彼の顔は先ほどと変わりない、無表情な冷たい顔で。

「…きみとは、これで最後になるな」
「……!」

次の瞬間。
発しようとした言葉が飲み込まれて、成歩堂は息を飲んだ。

(え……?)

「み、つ…んっ?!」

何が起きているのか、暫くの間悟ることが出来なかった。
御剣の整った顔がぼやけるほど近くて、彼の閉じた二つの瞼が見える。

「ん、んぅ…?!」

呼吸が上手く出来なくて、彼の唇に自分のを塞がれているのだと、ようやく気付く。

「……!!」

同時に、成歩堂は腕を上げて咄嗟に御剣の体を押し返した。
その、つもりだったが。
逆にその腕が痛いほど掴まれて、側に引き寄せられてしまった。

「は、放せ、御剣…」
「成歩堂…何故きみが、弁護士になど…」
「……っ」

御剣の顔を睨み付けようとして、成歩堂はどきりとした。
先ほどまで、嘲りと余裕に満ちていた彼の顔が、驚くほど陰りを帯びていたから。
その顔があんまりにも悲壮で、成歩堂は逃げるのも忘れて、息を飲んでその場に立ち尽くした。

「どうしてまた…私の前に現れたりしたのだ…」
「……?!」

腹の底から絞り出すような暗い声が聞こえて、御剣の吐息が、成歩堂の首筋に掛かる。
仄かに温かい、他人の体温と、ずっしりと肩に乗った重さ。
足が竦んで、逃げ出すことが出来ない。
そんな中、彼は成歩堂の首筋に顔を埋めたまま、ゆっくりとその場所に唇を寄せた。

「……!」

びく、と肩が揺れる。
生温かい、濡れた感触。
先ほどよりも、御剣の吐き出す吐息は心なしか早い。
訳も解からず、成歩堂は強い恐怖を感じた。
御剣のことが嫌だった訳ではない。
ただ、他人から初めて向けられた剥き出しの欲情に、体が本能的に恐怖を感じたようだった。
そう…。
信じられないことに、今の御剣は、確実に成歩堂に対してその種の欲情を抱いていた。

「や、止めろ…!!」
「……!」

今度こそ、渾身の力を込めて突き飛ばすと、彼はハッと我に返ったようだった。

「…すまないな、弁護人。きみがあんまりにも無防備で世間知らずだったので、からかいたくなってしまったのだ」
「……っ」
「ともかく…明日は、覚悟しておくことだ」

そう言い放った御剣の顔は、またここに入って来たときと変わらない、冷たいものになっていた。

「御剣…」

扉の奥に消えた彼の背中を見送って、名前を呟きながら、成歩堂は放心したように力なくその場に座り込んだ。
何か、きっと何かあるのだ。
彼の心の中にある何か。
それも、一緒に引きずり出してみせる。
自分の命が掛かっているのもあるけれど、ますます、明日は負けられない。
御剣と入れ代りで入って来た看守に腕を取られながら、成歩堂は再び、強く決意を固めた。



END