Second Contact





「あの!千尋さん!お願いがあるんです!どうしても!!」
「あなた…なるほどくん!?どうしたの!?突然!」

千尋の元に、あの成歩堂龍一が突然やって来て、とんでもないことを言い出したのは、初めて会ったあの裁判から、まだ1ヶ月も経たない日のことだった。
まだ何が起きたのかもよく解からず、再会を喜ぶ暇もない千尋に、彼は何だか妙に思い詰めた様子で口を開いた。

「あれから、ずっと…ぼく、考えていたんです…」
「……」
「ちぃちゃんに裏切られて…初めて失恋して、それどころか殺されかけたり…」
「な、なるほどくん…」

彼が巻き込まれた事件を思い出して、千尋は眉を顰めた。
そりゃ、そうだろう…。
あれだけのこと、こんな純情そうなただの兄さんには、本当に辛かった筈。
慰める言葉を捜して黙り込んでいると、彼は尚も続けた。

「それで、あの後千尋さん…言いましたよね、オトナになれって」
「……?」
「前大学の友人に言われたんです。キスの一つもしたことがないヤツは、半人前だって…。今までは、一番大人っぽいとか言われてたのに、手の平返したように、言われて…。だから…どうしても…」
「はぁぁ?!!!」

(キ、キス?)

いきなり話がとんでもない方向へずれて、千尋は危うく口に含んだばかりのお茶を噴き出してしまうところだった。

「あ、あのね、なるほどくん…私が言いたかったのは、そう言うことじゃなくて…」

呆れつつも、誤解を解こうと口を開いたが、すぐに成歩堂の大きな声に遮られてしまった。

「お願いします!千尋さん!!ぼくを…大人にしてやって下さい!!」
「……?!!ちょっ!!!ちょっとちょっと!そんなこと大きな声で言わないでよ!!!」

誰かに聞かれて変な噂でも立てられたら、弁護士人生に係わるかも知れない!
バン!と両手で机を叩いてみせると、成歩堂はびくっと身を硬くして、そのまま大人しくなって俯いてしまった。
その姿に、一応ホッとして胸を撫で下ろしつつも、 何だか可哀想になって来る。

「と言うか…あの…あなた、一応付き合ってたんじゃないの?その…例の…ちぃちゃんと」

そりゃ・…色々な裏があってのことだったけど、一応付き合っていたなら、そう言うことになっても可笑しくない筈では…?
増して、単にキスくらいなら…。
千尋が顔を覗き込むと、成歩堂は首を力なく左右に振った。

「ない…です。そんなこと…」
「そ、そう…」

(何て不憫なの…)

本当に利用されていただけ、と言うことなのだろうけど…。
それにしてもちょっと…。
このままじゃあんまりにも気の毒だ。
キスの一つくらいで、この子が納得して自信を持ってくれるなら…それもいいかも知れない。
そんな風に、千尋がほだされている間に、成歩堂も立ち直ったのか、再び顔を上げて詰め寄って来た。

「千尋さん!とにかく…お願いしますっ!!」

バァンっ!!と思い切り両手で机を叩く成歩堂に、軽い頭痛を覚える。

「わ、解かったから、そんなに思い切り机を叩かないの!」

(この子…私に似てきたかも知れないわ…)

きっと、数年経てばいい弁護士になるだろう。

「お願いします…千尋さんにしか…頼めないんですよ…ぼく…」
「うっ……!!」

(そ、そんな…捨てられて死に掛けた子犬のような目で見られても…!)

とどめとばかりに涙目で縋られて、千尋は遂に観念した。
でも。

(本当に、いいのかしら)

了解したものの、やはり抵抗がない訳じゃない。
でも、そうよ。
外国じゃキスなんて挨拶代わりなのだし。
スパっとしてやればいいじゃない。男らしく。
そう思って、千尋は覚悟を決めることにした。
けれど、いざ向かいあって立ってみて。
安請け合いしたことを、すぐに後悔する羽目になってしまった。
顔を上げて、思わずドキっとしてしまったのだ。
彼の表情はいつの間にか一変していた。
いつもは何と無く頼り無さそうな感じなのに…。
裁判の時も局面になると見せていた、真剣そのものと言った顔になっている。
こんなに真っ直ぐで、意思の強い曇りのない目に見詰められて、どぎまぎしない人なんて、そうはいないだろう。
でも!!
ドキドキしている場合じゃない!

(マズい…平常心、よ!)

自分がうろたえていたら、それこそ何だか変な感じだ。

「千尋さん…」

その時。
何とか落ち着こうと、一人ブツブツ呟く千尋にお構いなく、急に成歩堂の手が伸びて、千尋の肩をそっと掴んだ。

(……えっ!!)

「ちょっ、ちょっと…」

実は飛び上がりそうに驚いたのだが、そんなみっともないこと、出来るはずない。
何とか踏み留まったものの、既に内心はパニックだった。
更に、肩に乗った手に、ぎゅっと力が籠められる。

「……!!」

(ちょっ、と…何でこんなに動揺してるの、私!?!)

あの法廷でも言ったけれど…。
何処から見ても、風邪を引いただけの兄さんが、風邪が治って、ただの兄さんになってるだけなのに!

(どうしたって言うの、しっかりしなさい、千尋!!)

目を閉じている一瞬、たったそれで全部終わり。
ヤケになってぎゅっと硬く目を閉じると、成歩堂がすぅっと近付く気配がした。
すぐ側まで顔が寄せられるのが解かって。
あと、ほんのもう少しで触れる…と言うところで…。



「ま…待ったぁっっっ!!!」

気付いたら、思い切りよく叫び声を上げていた。

「は、はいっ?!なななんですか!千尋さん!」

当然、目を開けると、彼は慌てふためいて二、三歩後ろに下がっていた。
こんなに大声を出すつもりではなかったので、自分でもびっくりだ。
でも、やっぱり・・・。

「ご、ごめん…えと、その…悪いんだけど…」

こう言うことは、こんな理由でするものじゃない…!
が…。そう言おうとした千尋の言葉は、又しても大きな成歩堂の声に遮られてしまった。

「い、いいんですよ。大丈夫です!よく、解かりましたから…」
「なるほどく…」
「えと…もしかして、千尋さんも…」
「は……?」
「経験…ないんですね?そうなんですね!?」
「えええ?!」

又、この兄さんは一体何を言い出すのか?!!

(そんな訳ないじゃない!)

「ちょっと!誤解しないで!この私がそんな…」
「ぼくも…何だか安心しました。嬉しいです」
「……」

慌てて否定しようとしたけれど、彼は全然聞いてもいない。

(これは…だ、駄目だわ…)

「これから、一緒に頑張りましょうね、千尋さん」

にこやかな笑みを浮かべて、そんな台詞を吐いて颯爽と去って行った後姿を見送って、どっと脱力する。

(あの子には…出来るだけ関わらない方がいい…かも…)

そう胸中で決心を固めたものの。
彼の真剣な顔とうろたえる自分の姿を思い出して、妙に困惑してしまい。
結局、その日は殆ど仕事にならなかった。



END