Shocking Pink




「うう、暑い」
「本当ですね、なるほどくん」

これ以上ないほどぐったりしながら、成歩堂と春美はお互い顔を見合わせて頷きあった。事務所のクーラーの調子がこのところ良くなくて、部屋の中は蒸し風呂状態だ。窓を開けても、あまり風は入って来ない。真宵は何か冷たいものを買いに行くと言って、さっき出掛けてしまった。
デスクの上に力なく項垂れながら、成歩堂は再び春美の方を見やった。

「春美ちゃんは、暑いの苦手?」
「はい、少し。倉院の里の夏はもっと涼しいです」
「ああ、あそこは山奥だからなぁ」

それに、彼女や真宵の着ている和装も、かなり暑そうだ。成歩堂は、ネクタイを緩めてシャツの袖を捲くり上げれば少しましだ。
そんなことをぼんやりと思い浮かべていると、春美から打って変わって弾んだ声が上がった。

「暑いと言えば、夏は海ですね!なるほどくん」

顔を上げると、先ほどまで暑さの為朦朧としていた彼女の顔は、嬉しそうにきらきらと輝いている。

「ああ、そう言えば…矢張から、今年も海の家でバイトしてるから来いって、メールが来てたっけ」
「海の家で食べるかき氷は、何故かとても美味しいですね」
「うん、そうだね」

そんな会話の後。春美は急に何事か考え込むような仕草をみせて、それからしゅんとして肩を落とした。

「でも、わたくし…少し心配です」
「え…?何が?」
「前回、真宵さまと二人でなるほどくんの水着を買って差し上げたのに…なるほどくんはあまり嬉しそうではありませんでした」
「あ、ああ…」

そう言われて、成歩堂の脳裏にはど派手なショッキングピンクのビキニパンツが浮かび上がった。
あれは、忘れもしない。前に皆で海に行ったときだ。真宵に渡されて、無理矢理穿かされる羽目になった。成り行きで穿いてしまったとは言え、あまりのことにショックを受けて青ざめながら、ずっと砂浜のパラソルの下で蹲っていた。春美や真宵が楽しそうにはしゃいでいる姿を見て、少し羨ましかったものだ。
けれど、それが何故今年になっても心配なのか。

「春美ちゃん、どう言うこと?」

首を傾げて尋ねると、春美はぐい、と和服の袖を捲くり上げて声を荒げた。

「実は、今年も同じようなびきにぱんつと言うものを買おうと、真宵さまとお話していたものですから!」
「えっ?!」

思いがけない言葉に思わず暑さも吹っ飛んで、成歩堂はぎょっとしたように顔を引き攣らせた。
まさか、今年もあれを穿かされるのか!?
成歩堂が青褪めていると、春美はたちまち悲しそうな顔になって俯いてしまった。

「やはり、お嫌なのですね…。去年も、一生懸命選んだのですが」
「ご、ごめんね、春美ちゃん」
「そう、ですか。残念です」

ますます俯いた春美を慰めようと、成歩堂は彼女を慰める言葉を必死に探した。

「ま、まぁ、春美ちゃん。そんなにがっかりしないで。とにかく、今度の休みにまた浮き輪とか買いに行こうか」
「まぁ、本当ですか!わたくし、とても嬉しいです」

目を輝かせた春美を見て、成歩堂はホッと胸を撫で下ろした。



その、数日後。
言った通りに沢山の買物を皆でして、それから海へ出掛けた。車は勿論御剣に出して貰って、何故かアメリカにいるはずの狩魔冥まで付いて来て、結構大人数になってしまった。でも、皆楽しそうで何よりだ。
そんなことを考えて満足していた成歩堂だけど…。

「はい、なるほどくん!これ、新しいビキニ」
「え……」

海に着いた途端。真宵から差し出された目の前の物体に、一瞬で蒼白になってしまった。

「これ、って…」

どう見ても、ビキニパンツだ。確か、その話は流れたはずでは?
思わず物凄く嫌そうな顔になると、春美にパァンと頬を叩かれてしまった。

「なるほどくん!折角真宵さまが買っていらしたのですよ!それにわたくし、お聞きしました。殿方と言えばビキニ、ビキニと言えば殿方なのだと…」
「え、…いやそれ…誰に…」

って、そんなの真宵しかいない。
彼女の顔を見ると、物凄く楽しそうに生き生きと可愛い笑顔を浮かべている。
参った。本当に完全に遊ばれている。いや、真宵のことだから、本当に似合うと思って買ってくれたのかも知れない。
どちらにしろ、このまま躊躇していては頬が腫れ上がってしまうので、成歩堂は仕方なく真宵の手からビキニパンツを受け取った。
しかも、またしてもショッキングピンクだ。

(うう…嫌だなぁ…)

砂浜にいるのすら居た堪れなくなって、成歩堂はこそこそと人気のない岩場の方へと移動した。

それから、寂しい場所に蹲ること数十分。
少し遠くには眩しい白い砂浜と青い海が広がっていて、とても皆楽しそうなのに。これでは去年と変わらない。それに、今回はパラソルの下じゃないから結構暑くて辛い。
後で矢張にからかわれるのも目に見えているから嫌だけど、仕方ない、もう戻ろう。
そんなことを思って、よろよろと立ち上がったとき。

「なるほどくん!」
「……?」

背後から春美の声がして、成歩堂は驚いて振り向いた。
目の前には、ぜぃぜぃと息を切らした春美が、勢い良くこちらに走って来るのが見えている。

「は、春美ちゃん?」

こんな足場の悪い場所で、転んだりしたら大変だ。急いで春美の側に駆け寄ると、成歩堂は彼女の小さな手を取った。

「どうしたの?そんなに慌てて」

尋ねると、春美はほっとしたように笑顔を浮かべて、それから何だか照れたように俯いた。

「わたくし、なるほどくんのお姿が先ほどから見当たらなかったので、心配で…」
「え…?」
「それで、ずっとお探ししていたのです」
「そ、そうだったんだ…」

こんな場所まで必死に探してくれた春美のことを思うと、ありがたいけれど申し訳ない。

「ごめんね、春美ちゃん。でも、よくこんな離れたところまで来れたね」

それに、真宵たちと一緒に海で遊んでいるほうが楽しいだろうに。
成歩堂が言うと、春美は何度か目にしたことのある、うっとりとした表情になって、じっとこちらを見詰めて来た。

「はい…。わたくし、なるほどくんのことでしたら、どんなに遠くからでも見つけることが出来ます」
「え……?」
「こんなに沢山人がいらしても、なるほどくんは…特別です」
「は、春美ちゃん…」

何だか意外な台詞に、少し意表を突かれて息を飲む。
でも、その直後。春美の視線の先に気付いて、成歩堂はハッとした。

「ええと、春美ちゃん」
「はい、なるほどくん」
「それって……やっぱり、この色のせいかな」
「ええ、勿論ですとも!そのようなキバツな色を穿いてらっしゃる殿方はなるほどくんだけです」
「……」

確かに。こんな派手な、しかもビキニパンツ。あんまりいない。

(ま、いいけどね)

がっくりと肩を落とした成歩堂だけど、すぐに気を取り直して明るい声を上げた。

「じゃあ、みんなのとこに行こうか」
「はい、なるほどくん」

頷いた春美の手を取って、二人は皆が待つ砂浜まで一緒に歩いた。