Smack Down
「ようやく終わったようね、色々と」
突然背後から掛かった声に、成歩堂は歩んでいた足をぴたりと止めた。
今の声は…まさか。
頭に浮かんだ疑惑を確かめようと、思い切り振り返って、目を見開く。
「…!き、きみは…」
目の前に、威厳溢れる様子で立っている人物。
月日が過ぎているせいで受ける印象は少し違ったけれど、それが彼女だと言うことはすぐに解かった。
「狩魔冥。きみも来ていたのか?」
驚きを隠せない様子でそう言うと、彼女は組んでいた腕を解いて、片手を腰に当てた。
「ちゃんと覚えていたようね、安心したわ」
この立ち姿も、見覚えがある。
何だか、酷く懐かしい光景だ。
あくまで凛とした様子で真っ直ぐに立つ彼女が眩しくて、成歩堂はそっと目を逸らした。
「やっとこの国にも陪審員制度が導入されたと聞いて、視察にやって来たのよ」
「ああ、そっか…」
取り敢えず地下のカフェに一緒に来たものの、それ以上は言葉が続かない。
彼女の存在は、とても懐かしくて何とも言えない気分を呼び起こすものの、思い出話に花を咲かせるような仲ではなかったはずだ。
それに、今自分を取り巻くものはあの頃と全て変わってしまった。
急に、なくしてしまった時間を突きつけられたみたいで、成歩堂は落ち着かない気分になった。
「七年前のことは、聞いたわ」
誰に、とは言わないけれど、多分御剣だろう。
何となくそんな気がする。
いきなり本題を持ち出されて、成歩堂は言葉に詰まった。
「ええと、その…何て言っていいか…」
あっと言う間に七年前に戻ったみたいだ。
目を逸らして口籠もると、途端、肩に物凄い痛みが走った。
「しゃきっとなさい!成歩堂龍一!」
「……っ!」
「何も後ろめたいことがなければ、男は堂々としているものよ」
鞭が空を切る鋭い音と、覚えのある痛み。
未だに鞭を持ち歩いているとは…。
少し感心すると同時に、先ほどの痛みでやっと頭がはっきりした。
「ああ、そうだね」
もう、あの頃のままではないのだ。
しっかりしなくては。
「変わってないね、きみ」
肩を擦りながら曖昧な笑みを浮かべると、彼女は静かに溜息を吐いた。
「あなたも…。変わったのは外見だけね」
「はは。きみも外見は大分変わったよね」
「……」
今口にした通り。
あの頃から美人だったけれど、七年間で大人っぽさや落ち着きが加わって、ますます外見に磨きが掛かった。
褒め言葉のつもりのその台詞が、彼女にどう伝わったのかは解からない。
でも、狩魔検事はそのきつめの目を少しだけ細めて、一瞬だけ無言になった。
そして、暫くの沈黙の後、厳かな感じで口を開いた。
「成歩堂龍一。わたしは、あなたと世間話をしに来た訳ではないの」
「……?」
「一つだけ言いたいことがあって…」
「何だい?狩魔冥」
続きを促すように首を傾げると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「この裁判で、七年前のことが全て白日の下に晒されたわ。だから、七年前のあなたの負けは、なしと言うことになるわね」
「それは…どうかな」
「違うと言うの?」
「一度出た結果は変わらないよ。それに、ぼくは勝ち負けなんて…」
「そうでないと困るわ!」
「……?」
不意に狩魔冥が声を荒げて、成歩堂は短く息を飲んだ。
「だって、あなたを倒すのはこのわたしなのだから…」
「狩魔検事・・・」
「その前に他の誰かに負けるなんて、許せないわ」
そう言うと、彼女は驚く成歩堂の視線から逃れるように顔を伏せ、目を逸らしてしまった。
すぐには返す言葉が見付からなくて、彼女の伏せた長い睫毛を黙って見詰める。
黙っていると、色々な思いが浮かび上がって来た。
この七年間、彼女はどんな気持ちでいたんだろう。
成歩堂がどんな風に感じていたか、彼女には解からないように、こちらにも彼女の気持ちは解からない。
でも、一つ確かなことがある。
「狩魔冥、ぼくはもう弁護士じゃないよ」
「……」
穏やかに言うと、彼女が小さく息を飲む音が聞こえた。
何となく掛ける言葉が見付からなくて、そのまま沈黙が広がった。
けれど、数分後。
「…そうね。そうだったわね…」
どこか吹っ切れた、と言うよりは、何だか諦めに近いような声が聞こえた。
そして、何事か思い立ったように立ち上がったときには、彼女はもういつもの口調に戻っていた。
「じゃあ、もう帰るわ」
「え?もうかい?」
「飛行機の時間があるし、ここへ来たのもただの気まぐれなのよ。それじゃ」
颯爽と背を向け、そのまま足早に進み出した彼女に焦って、成歩堂は声を上げた。
「狩魔冥!」
「何かしら」
「ええと、まだはっきりしないけど…。もう一度、司法試験を受けようと思ってるんだ。もしぼくが又弁護士になったら、法廷で会えるかも知れないね」
「……!!」
途端、狩魔冥は今までで一番大きく息を飲んで、それから徐に持っていた鞭を勢い良く振り上げた。
「その時は、もう二度と這い上がれないように叩き潰してあげるわ。覚悟しておくのね」
「ああ…楽しみにしてるよ」
何だか、物凄く生き生きとしているような気がする。
そんなに嬉しいんだろうか、成歩堂が弁護士になるのが。
いや、きっと、自分を倒すのが。
何だか可笑しくなって、成歩堂は又笑顔を浮かべた。
「また日本に来たら…会いに来てくれるかい」
「…そうね。ついでになら、会ってあげてもいいわ」
「ありがとう。待ってるよ」
END