Smooch




「隙あり!!」
「……?!」

突然上がった、やたらと威勢の良い声。
続いて、勢い良く飛び掛って来た矢張に押されて、成歩堂は座っていた椅子から落っこちて、床にゴツンと頭をぶつけてしまった。
弾みで、手にしていたノートや教科書もバラバラと下に落ちる。

「い、痛い!何するんだよ!」

抗議の声を上げながらも、成歩堂は素早く身を起こして、今いる場所から飛び退いた。
でないと、危機が再び迫ると解かっているから。
案の定、今しがた自分が倒れていた場所に、矢張が突っ込むようにダイブするのが見えた。

「あ〜あ、又失敗か」

勢い余ってぶつけた顔を痛そうにさすりながら、彼は残念そうに呟いている。

「矢張、もういい加減にしろよ!」

突然の攻撃に、何処を開いていたか解からなくなってしまった教科書とノートを拾い上げ、成歩堂は呆れたような声を上げた。



実は最近、成歩堂は親友である矢張政志に物凄く手を焼いていた。
今は放課後で、もう教室に残っている生徒は自分と矢張の二人だけだ。
御剣がクラス委員の仕事で職員室に行っていて、それを待っている自分に、彼も付き合っているのだ。
いつもなら、こんなとき矢張は先に帰ってしまうか、別件で先生に呼び出しを食らっているか、どちらかだったのだが……。
まぁ、それは別に何の問題もない。
なら、何が問題なのかと言うと……。
一体、何がきっかけなのかは解からないけれど、彼があることに興味を抱いてしまって、それがとんでもなく煩わしいのだ。
暫くして、ようやく諦めて自分の席へ戻った矢張を横目で確認して、成歩堂は再び教科書を開いた。
が……その、数分後。

「今度こそっ!」
「……うわっ?!!」

もう諦めたと思っていた矢張に再び飛び掛られ、しかも今度は逃げられないように腕を捕まれて、成歩堂は目を見開いた。
お陰で二人一緒に床に倒れ込んで、体を打ち付ける羽目なる。

「……っ!」

平和な放課後のひと時に、一体彼は何をしてくれるのか。

「へへっ、油断大敵だぞ!成歩堂!」

上に圧し掛かった状態で、矢張が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
身動き取れない状態でのその笑顔は、何だか妙に腹立たしい。

「いい加減にしろって!矢張!」

叫んだ途端、矢張が自分との距離をぐっと縮めようとしたので、成歩堂は彼の顎に手を突っ張ってそれを防いだ。
尚も顔を寄せようとする矢張と、阻止する成歩堂。
力のせめぎ合いが続く中、矢張は苛立ちを押さえきれないように声を荒げた。

「何だよ!いいじゃんか、キスくらい!」
「いい訳ないだろ!嫌だ!」

つまりは……ある時、矢張がキスと言うものをしてみたいと言い出して、それ以来自分がターゲットとして狙われている、ということなのだが……。
いくら相手が親友でも、そんなこと、おいそれと許す訳には行かない。
暫くの間本気で揉み合った末、成歩堂は何とか矢張の下から這い出すことが出来た。
でも……もうへとへとだ。
勘弁して欲しい。
何でこんなことになったんだろう。

「だいたい、そう言うのは女の子にするものだろ!」
「成歩堂、お前!俺にもう一度フミちゃんにビンタされろって言うのかよ!」
「……」

喚く矢張に、成歩堂は言葉もなく溜息を吐いた。
ようするに、一度女の子に頼んでこっぴどく断られたのだろう。
だからって、何故自分に……!
しかも、自分を見詰める矢張の目は、まるで欲しかった玩具を目にしたときのようにキラキラしている。

「今日は絶対諦めないぜ、成歩堂!」
「……しつこいよ、矢張!!」

と言ったところで、聞くような性格じゃないし。
仕方なく、再び臨戦態勢に入った、その時。

「何をしているのだ、きみたちは」
「……?!」

不意に背後から不機嫌そうな声が掛かって、二人は弾かれたように振り向いた。
視線の先には、いつの間にか教室に戻っていたのか、こちらを見て思い切り眉を顰めている御剣の姿があった。

「み、御剣!」

成歩堂は助かったとばかりに顔を輝かせ、矢張は何とも言えない顔になった。
御剣がいる前で、さっきみたいに強行するのはどうかと思ったのだろう。
彼は渋々成歩堂から離れた。

「そう言えば、矢張。先生が呼んでいたぞ」
「ええ、何だよー」
「怒られる前に、早く行きたまえ」
「解かったよ。待っててくれよな!」

御剣の言葉に、あからさまに嫌そうな顔をしつつも、矢張は教室から出て行った。
一まず、これで安心だ。
走り去る矢張の背中を見送って、成歩堂は安堵の溜息を吐いた。
けれど、すぐに安心してばかりいられないことに気付く。

「一体、何があったのだ、成歩堂」
「う、うん、それがね・・・」

苦虫を噛み潰したような顔の御剣を前に、成歩堂は今までの経緯をぽつぽつと話し始めた。



「て、訳なんだけど……。全くさ、するはずないよ、キスなんて」

全部話し終えると、成歩堂は少し怒ったように頬を膨らませて、同意を求めるように御剣を見やった。
こちらが話している間中、御剣は腕組みをしながら目を閉じて、凡そ子供らしくない仕草でじっと耳を傾けていたのだけど。
ふと顔を上げると、予想もしていなかったことを言い出した。

「成歩堂」
「な、何?御剣」

改まったような呼び方に、無意識に緊張が走る。
何事かと目を見開くと、いつになく真摯な眼差しがこちらに向けられていた。
こんなに真剣な彼の様子は、あまり見たことがない。
一体、何だろう。
ドキドキしながら、成歩堂は続く言葉を待った。

「その、キス……のことだが」
「う、うん……」
「ぼくも、きみとならしてみたい」
「……えええ?!」

あまりに意外過ぎる内容に、驚いて裏返った声が出た。
まさか、御剣までそんなことを言い出すなんて?!
でも、いくら彼が相手でも、それだけは・・・無理と言うものだ。
けれど……。

「だから、してみても……良いだろうか」
「………………うん」

改まって聞かれた直後、気が付いたら思い切り首を縦に振っていた。

「ちょっと待てぇ!」

途端、物凄いタイミングで、物凄い待ったが掛かる。
今度は成歩堂と御剣が弾かれたように振り向くと、全速力で戻って来たらしい矢張が、教室の入り口に息を切らしながら立っていた。

「成歩堂、お前!何で御剣だけいいんだよ!」
「いや、あの……御剣には助けて貰ったし……」
「それを言うなら、俺もだろ!」
「そ、そうだけど……」
「キサマはムリにしようとするからいけないのだ」
「な、何だよ!それ!」
「矢張。きみに、キスなど百年早い。おととい来るがいい」
「お、おととい、来る……?解かんねぇぞ!御剣!」
「ちょ、ちょっと……落ち着いてよ、二人とも」

ぎゃあぎゃあ喚く二人に、成歩堂は焦って声を上げた。
けれど、二人は聞き入れる素振りもない。
やがて、くるりと同時にこちらに向き直ると、何だか妙な迫力を纏って詰め寄ってきた。

「と言う訳だ。ぼくとこの男、どちらとするのか、はっきりして貰おう」
「そうだぞ!成歩堂!はっきりしろよ!」
「う、うう……」

何だか、いつものパターンだ。
嫌な予感がする。
うろたえる成歩堂を尻目に、二人は更に激しく言い合いを始めた。
必死に制止しても、どちらも聞く耳持たずだ。

(ど、どうしよう)

取り敢えず落ち着こう。確か……。
以前こんな事態になった時、こちらが怒った途端に、事態は丸く治まったような……。
そうと決まれば、善は急げだ。
成歩堂はすうっと息を吸い込んで、それから思い切り大きな声を上げた。

「いい加減にしろよ、二人とも!止めないと、ぼくは……他の人とするからな!」
「……!」
「……!」

思いつくまま、一気にそう言い終えた途端。
御剣と矢張は言い合いをぴたりと止め、辺りは一瞬で静かになった。
これで、よし。
そう思って、ホッと胸を撫で下ろした、直後。

「き、きみは……本気で言っているのか、成歩堂!」
「……え?」

御剣がわなわなと声を震わせ、成歩堂は驚いて顔を上げた。

「成歩堂、お前!それは絶対許さないぞ!!」
「え、あ……?」

続いて矢張の怒号が聞こえて、ますます目を見開く。
予定では丸く収まるはずだったのに。
一体、何がいけなかったんだろう。

「誰かって言うなら!俺か御剣か、どっちかにしろ!」
「そうだ、成歩堂!ぼくか矢張か。それ以外は駄目だ!」
「えええ?!」

さっきまでの喧騒が嘘のように、二人は突然一致団結して、成歩堂に詰め寄って来た。
ただならぬ雰囲気に、思わず一歩後ずさりする。

「ええと、その……つまり、そう言うことだから!!」

一体、何がそう言うことなのか、何なのか。
自分でも訳が解からないまま、思い切り踵を返すと、成歩堂は勢い良く教室から飛び出した。

「ちょっと待て!成歩堂!」
「待ちたまえ!成歩堂!」
「だから!どっちか選ぶなんて、無理だって!」

背後から追い掛けて来る声に応えながら、明日から一体どうしたものかと、成歩堂は頭を悩ませた。