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「甘そうですね」
「は?」
 不意に、隣からそんな台詞が聞こえて、月は声の主を見やった。
 モニターに目を釘付けにしたままの竜崎の手元には、これでもかと砂糖が突っ込まれたカップがある。見ているだけで口の中が甘ったるくなってしまいそうで、月はすぐに目を逸らした。
「そんなに入れれば甘いに決まってるだろう?今更何を言っているんだ」
 冷ややかな声でそう返答すと、竜崎は反応するように顔を上げた。

「ああ、そう言う意味じゃありません」
「……?」
 じゃあ、何のことだ。突拍子もない、竜崎の言葉。
 事件の推理をするように、すんなりと彼の思考回路も理解出来る訳ではない。それに、知る必要だってない。
 月は軽く溜息を吐いて、モニターに視線を移した。けれど、次の瞬間、その視線が強制的に竜崎へと向けられる。彼はぐるりと椅子を半分回転させて月に向き直ると、手を伸ばして顎を捉えた。そのまま、指先に力が籠もって顔が竜崎の方へと向けられる。
 目を見開くと、瞳孔の開ききったような彼の双眸が間近にあった。
「な、何だ……?竜崎」
 思わずたじろいで不審そうな眼差しを向けると、彼はじっとこちらを覗き込んだまま、大真面目で呟いた。
「月くんのことですよ」
「え……?」
「月くんは甘そうです」
「……」
 こんなときに、何を暢気な。と言うか、何を訳の解からないことを言っているのか。溜息より先に、月は顎を捉えた竜崎の指先を軽く払い除けた。そのつもりだった。けれど、直後空いた方の手で腕が掴まれ、思わずバランスを崩してしまった。
「何をふざけているんだ、竜崎」
「ふざけている訳じゃありません」
「じゃあ、はっきり言おう。そう言う話はしたくない。だいたい、ぼくは甘くない」
「……食べてもいないのに、何故解かるんです」
「お前……何、言ってるんだ」
 はぁ、と深い吐息を漏らして、月は観念し、竜崎と言う男の気まぐれな会話に付き合うことにした。
 もしかしたら、これは彼なりの気分転換なのかも知れない。そう思うと、謎賭けのようなばからしい会話に付き合うのも、悪くない。
 腕を捕らえられたままで、月は少し挑発するような、余裕を湛えた笑みを口元に浮かべた。
「じゃあ、どうやって確かめるんだ。味見でもするのか?」
「出来るならそうさせて頂きたいですね……」
「残念だけど…ぼくはお前に食われたりしないよ、竜崎」
「それは……残念です。本当に……」
 本当に、心底残念そうに彼は言って、ゆっくりと月から手を離した。
「月くんが大人しく食われてくれれば、少しは月くんのことが解かると思ったのですが」
「……」
 どこまで本気で言っているのだろう。
 そもそも、彼はそう言う趣味があったのか。別に噛み癖だのなんだのについてどうこう言うつもりはないけれど、何と言うか……。
「たまに解らないよ、お前が」
 もうどうでもいいと言う風に投げ遣りな言葉をぶつけると、彼は親指を持ち上げて軽く噛んだ。何か考えているときの仕草だ。
 黙って見詰めていると、ややして彼は顔を上げ、再び不可解なことを口にしてきた。
「月くんも私のことが解からないと言うなら…いっそ食われてみますか、私に」
「は?」
「そうすれば、少しはお互いのことが解るかも知れません」
「……」
 今度こそ、本当に何を言っているのだろう。月はぐっと眉間に皺を寄せて、大袈裟な仕草で腕組みをした。溜息と同時に出る言葉は、ほんの少しの苛立ちを含んでいる。
「曖昧な言い方だな、あまり好きじゃない」
「すみません。でしたら、はっきりいいましょう」
「……え、竜崎……」
 月が目を見開く中、彼は椅子から身を乗り出して、その口元を耳朶に触れそうなほど近くに寄せた。温かい吐息が耳朶を擽り、思わずびくりと肩を揺らす。
 そのまま、彼は直接息を吹き込むように小さな押し殺したような声で囁いた。
「月くん、私と……」
「……!!」
(……?!)
「竜崎っ!!」
 耳元に流れ込んで来た言葉は、月を逆上させるのに十分な内容だった。あまりにも明け透けな言葉に、怒りか羞恥か解からないけれど、頭に血が昇る。思わず声を荒げると、彼は悪びれもせずに耳元から唇を離した。
「月くんが、はっきり言えと……」
「だっ、黙れ……」
 そんな言葉を聞きたかった訳じゃない。らしくなく取り乱してしまい、月は呼吸を整える為に大きく吐息を吐いた。それでも、頬がまだ高潮しているのが自分でも解かる。
「大丈夫ですか?」
 白々しくそんなことを言って顔を覗き込んで来る竜崎を、月はきつい視線で睨み付けた。
「性質の悪い冗談だ、あまり感心出来ないな」
「冗談ではないのですが…まぁ、いいでしょう、今日のところは」
「……」
(今日のところは……って)
 何だか引っ掛かる物言いだったけれど、これ以上このことについて話を続けたくなかったので、月はそのままモニターへと視線を戻した。
 苛立たしげに頬杖を突いて、隣にいる竜崎に顔を見られないように隠す。全く、彼はどうかしている。
「甘いですね、やっぱり」
「……!」
 そんなことを思い巡らしていたら、再び聞こえて来た唐突な言葉にびくりと反応してしまった。反射的に顔を上げてそちらを見やると、彼はもう先ほどのやり取りなど知らぬふりで、あの砂糖を大量に放り込んだカップから紅茶をすすっていた。
 思わず、その手からカップを奪って床に叩き付けたい衝動に駆られて、月はぐっと拳を握り締めた。
 本当に。本当にどうかしている。
 ―月くん、私と……寝てみませんか。
 さっき耳にした台詞みたいに……。いつか、隣にいるこの男に彼が言うまま組み敷かれて、きっと骨まで食い尽くされてしまう。
 そんな予感が頭の中からはなれない、だなんて。
「どうかしましたか、月くん」
「……」
 この期に及んでそんな台詞を吐く竜崎の言葉を、月はその晩ずっと無視し続けた。