チケット・ビューロー2
そうして、成歩堂が抵抗を始める前に、響也はさっと顔を離した。
一瞬、物足りないだなんて錯覚を与えるような……。そんな感じだ。
何が起きたのか、まだよく認識出来ない成歩堂に、響也は更に熱っぽい口調で語り掛けて来た。
「それからもう一つ」
「……?」
「キスしたくなるだけじゃなく……。もっとしたくなるね、色々」
「……牙琉、検事……?」
音楽のことを話している時と、同じような口調。
つまり、本気、と言うことなのだろうか。
それに気が付いた直後、軽く肩が押され、成歩堂はバランスを崩して後方に倒れ込んだ。
頭を打ちつけると思った瞬間、彼の腕が首の後ろに回る。
手慣れているんだろう。 それも、かなり。
じゃら、と音がして、彼の付けているチェーンのネックレスが胸元に降り掛かった。
何気なくそれに目をやりながら、他人の重さと体温に、ほんの少し体が緊張するのを感じる。
「……これも、チケットの手数料かい?」
「勘違いしないで欲しいね、そうじゃないよ。ここからはあんた次第。ぼくは無理にするのは好きじゃないんだ」
だから、嫌ならさっさと跳ね除ければいいよ……。
そう言いながら、響也は再び覆い被さって、唇を塞いで来た。
「……ぅ、っん……」
さっきは、あまりにも突然のことで、気が付かなかったけれど。
牙琉響也のキスは、高そうな酒の味と、彼がつけているらしい香水、なんだろうか。
それとも、これが元々の彼の香りなのか。
きつくはないけど、甘ったるい、良い匂いがした。
その唇が、成歩堂の呼吸を奪って、舌を絡めて口内を侵食し出す。
(流石に、上手いなぁ……)
などと、暢気な感想を抱きつつも。
深く貪られている内に、段々とその熱に飲み込まれるまで、そう時間は掛からなかった。
肩を掴んでいた指先が少しずつずれ、衣服の上を探るように滑り出す。
同時に、じわりと体の芯に熱が生まれて、成歩堂は自分の変化に戸惑いを感じた。
何と無く、不味い……。 引き返すなら、今。
それはよく解かっていたのだが。
心地良い刺激の為か、何故か、そうしようとは思わなかった。
その代わりに、成歩堂は先ほどから優しく絡み付いて来る舌に応える為、そっと自分のそれを絡ませた。
突然返って来たこちらの反応に、響也は少し驚いたようだったが、今の彼にとって、それは然したる問題ではないのか。
すぐに深いキスが再開された。
酒の味が舌先に染み込んで唾液と混ざり合う。
鼻先を掠める甘ったるい香りが強くなる。
そうして。
先ほどと打って変わって静かになった部屋には、雫が規則正しく滴るような……濡れた音だけが聞こえていた。
舌先が軽く痺れを切らす頃になって、ようやく、響也は顔を離した。
水に濡れたように潤んだぞんざいな目が、組み敷かれたままの成歩堂を見下ろす。
「いいね、あんた……。成歩堂龍一」
乾いた声が、うわ言のように名前を呟き。
圧し掛かる肢体の温度が、明らかに上昇したのが解かった。
暫くの間の後、響也は無言のまま立ち上がって、成歩堂の上から退いた。
続いて、冷たい床から腕を掴んで引き上げられ、代わりにベッドに放り出される。
ドサっと音がして、柔らかくて高そうなマットに体が沈み込んだ。
こんな時にまでしっかり情緒を気に出来るのは流石、と言ったところか。
又は、彼なりに気を使っているんだろうか。
続いて、ぎしりとベッドが軋む音がして、一瞬だけ視界が塞がれて、心臓の音が一つ、胸の奥で煩く鳴った。
「く……、んぅ……っ」
ベッドに埋もれて、響也が与えてくる刺激に身を捩りながら。
成歩堂は行為に及んだことを、少なからず後悔する羽目になった。
響也は、元々器用なのか、慣れているのかは解からないけれど、間違っても成歩堂の体を傷付けるようなことはしなかった。
けれど、その代わりに快楽ばかりが目まぐるしく与えられて、意識がどっぷりと飲み込まれてしまう。
そもそも、何でこんなことになったんだったか。
一から理由を考えようとして、成歩堂は止めた。
あの男、牙琉霧人。 全て、彼の存在のせいだと、思いたい。
「何を考えてるんだい?」
気を散らしていると、上から響也の声が降って来た。
気分を害した様子はなく、単に好奇心に満ちた声だ。
見上げると、彼の目と視線があった。
「……きみのことを、とは思わないのかな」
「嘘はもっと上手く吐いて欲しいな、成歩堂さん」
「……」
白々しい台詞は一喝されて、言葉に詰まる。
(参ったな……。何か、苦手だ、こう言うの)
嘘を暴くのは好きだけど、暴かれるのは、どうも……。
「う、ぁ……っ!」
性懲りもなくそんなことを思い巡らしていたら、思い切り衝撃が走って、成歩堂の背はベッドから浮き上がった。
そんなに荒っぽい訳でも、激しい訳でもない。
けれど、もどかしく動いていると思ったら、急に敏感なところを突き上げられたり。
自分のペースがすっかり崩されてしまって、成歩堂は慌てた。
「……っ、牙、琉……検事。もう、少し……」
せめてもの悪足掻きと、一応抗議を試みてみたが。
「何だい?異議なら弁護士を通してね」
「……!」
揶揄するような口調で、あっさりと一蹴されてしまった。
(余裕だな、随分……)
内心で呟いても、状況が変わる訳ではない。
せめて、みだりに声を上げるのだけは止めようと、成歩堂はぎゅっと唇を噛んだ。
けれど、ややして、成歩堂が声を殺していることに気付いたのか。
響也はゆっくりと揺さ振っていた動きを止め、屈み込んで顔を寄せると、再び口を塞いで来た。
「ん……んんっ!」
ぐい、と繋がりが深まって、肢体を引き攣らせる成歩堂にお構いなく。
少しの隙間もないほどぴたりと口を塞がれ、急激に酸素が足りなくなった。
「……っ、ぅ……っ」
息苦しさと甘い香りに眩暈がして、唇を噛み締める力が緩む。
その隙を見て入り込んだ舌先が、口内に滑り込み、ぞくっと体が震えた。
ちょっと待て、と言おうとしたが、言葉にならない。
休む間も無く深く突き上げられ、喉が大きく仰け反った。
「く……う、ぁ……っっ!」
下肢に痺れが走る。
動きに合わせて忠実な反応を返してしまい、成歩堂は掠れた声を上げた。
尚も、響也の舌が唇を割って侵入し、蕩けるような動きで口内を蠢く。
(ああ……何だか……)
もう、何がどうなってもいいかも知れない。
何だか視界が狭くなって、霞み掛かったようにぼやけて、間近でさらさらと揺れる金色の髪の毛しか目に映らない。
抵抗してみせるのも億劫だ。
それだけ、彼に触れられるのは気持ちが良い。
腰を引いては又突き上げられ、深く浅く何度も内部を抉られる。
吐き出す息が段々荒くなって、それが一体どっちのものなのか、解からなくなった。
何だかもっと、長い長い夜になりそうだ。
響也の肩越しに高い天井を見上げて、成歩堂はぼんやりと、そんなことを考えた。
そのまま、繰り返される動きに、今度こそ何も考えられなくなって。
成歩堂は眉間に皺を刻んで、きゅっと目を瞑った。
翌朝。
「ええと、その……大丈夫かい?成歩堂龍一」
「……率直に言うと、あんまり大丈夫じゃないよ」
再び大音量のロック音楽が流れる部屋の中。
成歩堂は何とかベッドから身を起こして、下肢に走った痛みに息を詰めた。
「楽になるまでここでゆっくりしてていいよ。楽器関係のものは触らないで欲しいけど、バスルームとかは自由に使っていいからね」
「ありがとう、随分気を利かせてくれるんだね」
「まぁね……」
慣れてる、と言うことだろうか。成歩堂がそんなことを思い巡らしていると、身支度をしていた響也が、ふと気付いたようにこちらを見た。
「ああ、そうだ。チケットのことだけど」
「え……ああ」
返事をして、うっかり本来の目的を忘れ掛けていたことに気付いた。
このまま帰っては、何しに来たのか解からない。
ともかく、牙琉響也は律儀でいい男だった。
にっこりと笑うと、成歩堂の望んでいた答えをちゃんとくれた。
「半額にしてあげるよ、特別待遇ってことでね」
「そうか、ありがとう。きっと、みぬきも王泥喜くんも喜ぶよ」
「……?おデコくん、だって?」
「そうだよ、王泥喜くん。彼にはみぬきと一緒に行って貰おうと思ってね」
「じゃあ、二枚って……」
「ああ、みぬきと、彼」
響也がどうしてこんなに突っ込んで来るのか解からないけれど。
愛娘の喜ぶ顔を思い浮かべて、成歩堂はにこやかに笑ってみせた。
二枚のチケット。
当然響也は、みぬきと成歩堂が来る……と思っていた筈だが、変なところに鈍い成歩堂が、その事実に気付くことはなかった。
数日後。
「パパ!これ、何だろう」
「ガリューウエーブのチケットじゃないかな?牙琉検事が取ってくれたんだろうね」
「わぁ、本当に?!」
成歩堂事務所には、約束通りコンサートのチケットが届いたのだけど。
響也のささやかな当てつけなのか、皮肉なのか。
請求金額は半額ではなく、二割引にしてあるだけだった。
が、封を切ったのはみぬきだったので、成歩堂がそれに気付くことは又してもなかった。
終