小さな嘘




みぬきが成歩堂の家族になってから、初めての二月。

「ねぇ、パパ!お願いがあるの」

突然、みぬきがきらきらと目を輝かせながら話し掛けて来た。

「何?みぬきちゃん」

お願いがあるだなんて、彼女が言うのはとても珍しい。出来るだけ聞いてあげたいけれど、とんでもないお願いじゃなければいいな、などと思いながら、成歩堂は笑顔を作った。
みぬきは小走りで成歩堂の側まで来ると、きゅっと小さな手の平で成歩堂の衣服を掴んだ。

「バレンタインの日、一日だけでいいから、みぬきの恋人になって欲しいの」
「え……?」
「それでね、一日デートして欲しいんだ」
「デート……」

彼女の申し出は、ちょっと意外と言うか…予想もしていなかった内容だった。

(こ、恋人……かぁ)

すぐにはうんと言えなくて、思わず眉根を寄せる。

「そ、それは…うーん」

成歩堂が言い淀むのを見て、みぬきはサッと表情を曇らせてしまった。

「駄目なの?パパ」
「いや、駄目って言うか…」
「そんな…。前のパパは、いいって言ってくれたのに…」
「……え?!ザ、ザックさんが?」

それは、更に意外な事実だ。
みぬきと、彼女の実の父親ザック。恋人同士みたいにデートしている様子を想像して、成歩堂のぎざぎざの眉は更に歪んだ。
でも、今までのパパがしてあげていたことなら、自分もしてあげたい。それに、無理難題を突き付けられている訳じゃない。一日デートだなんて、可愛いものだ。すぐにそう思い直して、成歩堂は笑顔を浮かべた。

「いいよ、みぬきちゃん。じゃあ、14日はデートだね」
「本当に?!」
「うん、本当だよ」
「ありがとう!パパ!大好き!!」

全開の笑顔になったみぬきを見て、成歩堂も釣られるように更に笑顔になった。



そして、バレンタインデーの当日。
みぬきと成歩堂は仲良く遊園地に遊びに来ていた。
彼女はこの日の為におしゃれしたと張り切っていたけれど、どう見てもいつもと変わらない衣装だ。まぁ、それはさておき、凄く楽しそうだからよしとしよう。
けれど、一緒に手を繋いで歩いていると、やがてみぬきがとんでもないことを言い出した。

「ねぇ、パパ。あれに乗りたい」
「え……?」

遊園地と聞いて、ある程度は予想していたけれど。彼女が無邪気に指差しているものを見て、思わず血の気が引く。

「あれ、観覧車って言うのかな。パパと一緒に乗りたい」
「う……」

思わず、ひく、と頬が引き攣ってしまった。
高いところは大の苦手なのだ。どうしたものか。でも、この笑顔を曇らせたくない。

「わ、解かったよ、乗ろうか」

既に血の気が引いた顔を見られないようにしながら、成歩堂は覚悟を決めて観覧車に乗り込んだ。

けれど、数分後。
当然のことながら、すぐに足はがたがたと震え出し、顔はミドリ色になってしまった。

「ど、どうしたの?パパ!」

流石に気付いたみぬきが心配そうに顔を覗き込んで来る。

「ご、ごめん、ちょっと、気持ち…悪くて…」
「もしかして、怖いの…?」
「う、うん、まぁ、…そう言うことになるかな…」
「もう!苦手なら言ってくれればいいのに!パパが無理してたって、みぬきは楽しくないよ」
「ご、ごめんね、みぬきちゃん…」
「いいよ、でも次からはちゃんと言ってね」

そう言うと、みぬきは繋いでいるのとは逆の手も差し出して、笑顔を作った。

「はい。捕まっててもいいよ」
「あ、ありがとう」

娘に慰められてしまった。落ち込む成歩堂を見て、みぬきが可愛らしい笑顔を作る。

「今日は恋人同士だからね、特別だよ」
「はは……」

ゆっくりと差し出された手を取りながら、この子には敵わないな、なんてことを思って、成歩堂は笑みを浮かべた。

それから、高くて怖いアトラクション以外のものに乗って、遊園地を存分に満喫することが出来た。外は少し寒かったけれど、あまり感じなかった。夢中で遊んでいる内に、辺りはもう暗くなっていた。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか。楽しかった?」
「うん、とっても!」
「そっか、良かった」

こんなことで楽しんでくれるなら、毎年この日だけは、彼女の恋人になってあげてもいいかも知れない。
そんなことを思いながら、歩き疲れた彼女を両手で抱え上げて、二人で仲良く帰路に着いた。



その途中。
やたらと満足そうにしている成歩堂を見詰めて、みぬきはそっと笑顔を浮かべた。

本当は、パパが…本当のパパが毎年恋人になってくれたなんて、嘘なんだけど…。嘘って言うか、ハッタリだから、弁護士だったこのパパなら、きっと許してくれるはず。どうしても、このパパとデートしてみたかったから。後で謝れば、きっと大丈夫。だから。

「だから、ごめんね、パパ」

みぬきが小さな声でそう囁く声に、成歩堂が気付くことはなかった。