too hungry
夜遅く、既に暗くなってしまった道路を、王泥喜は事務所へ向かって急いでいた。依頼人に頼まれた仕事をこなしているうちに、すっかり遅くなってしまった。
でも、ともかく、無事に解決出来て良かった。いなくなったペットの捜索なんて弁護士の仕事じゃないような気がするけれど、まぁ、いいだろう。
最近、事務所に寝泊りしていることが多いから、今日もそれでいいかな。
それより何より、お腹が空いた。夕飯はどうしようか。どうせ、成歩堂はまた野良猫のようにどこかへ出かけているのだろうし、みぬきはショーの仕事だと言って申し訳なさそうにしながら行ってしまった。事務所には今誰もいないはずだから、何か適当でいい。
外から窓を見上げると、案の定、中は暗いままだった。
それにしても、一日走り回っていて本当に疲れた。ふらふらになりながら、事務所の扉を開けて中に入る。
ネクタイを緩めて、どさっとソファに腰掛けた、直後。
「遅かったね、オドロキくん」
「わっ!」
背後から何だか恨めしそうな声が聞こえて、王泥喜はソファの上で飛び上がってしまった。振り向くと、そこにはもうよく見慣れた成歩堂龍一の姿がある。
「ど、どうしたんですか、成歩堂さん!電気も点けないで…」
取り敢えず電気を点けながら言うと、彼は拗ねたようにパーカーのポケットに手を突っ込んだ。
「待ってたんだよ、きみのこと」
「え?」
「でも、なかなか帰って来ないから…」
「な、成歩堂さん…」
「だから死にそうだったよ、お腹が空いて」
「……」
(じゃあ、何か食べればいいのに)
そう思ったけれど、どうせ持ち合わせがないとかそんなところだろうと思い、口にするのを止めた。何と言うか、いい大人がちょっと情けない。けれど、大人であると同時に仮にも人の親でもある人が、これでいいんだろうか。
少し悩んだ末、王泥喜は思い切って口を開いた。
「あの、成歩堂さん」
「何だい?」
「一応、俺だって毎日ここに泊まれる訳じゃないですし…その、そう言うときは先に食べてて下さい」
「……え?」
そう言うと、彼は物凄くショックでも受けたように打ちひしがれた顔になった。
「そんな……。酷いよ、オドロキくん」
「あ…、え…っ?」
「ぼくらはもう、家族みたいなものなのに。帰って来ないなんて、酷いね…」
「な、成歩堂さん…」
本当に傷付いたような顔に、王泥喜は一瞬焦ったけれど。
(ん?)
少し考えて、すぐに何かが可笑しいことに気付いた。
そもそも、この人が他の誰かのことをどうこう言える立場なのか。
王泥喜は一度拳でデスクを叩いて気を取り直すと、びしっと人差し指を突きつけた。
「あっ、あなたにそんなこと、言われたくありません!」
「……どう言うことだい?」
「あなただって、しょっちゅうみぬきちゃんをおいていなくなるじゃないですか!!いつもいつもふらふらして、いつ帰るかも解からないじゃないですか!」
尤もな反論に、彼も何も言えなくなると思ったのに。
「ぼくはいいんだよ、でもきみは駄目だ」
「ええっ!!」
想像もしていなかった開き直りぶりに、王泥喜はびっくりして仰け反った後、がくりと肩を落としてしまった。ついでにぴんと立ち上がっていた前髪も力をなくして項垂れる。
(全く、何なんだこの人は…)
こんな大きな体で、しかもこんな気だるげな視線で、妙な色気のようなものを振りまいているくせに、言っていることは我侭な子供みたいな。
でも、たまにドキっとするような鋭いことを言うから、余計混乱する。
けれど、今回のことに限っては、折れる訳に行かない。
(ああもう、付き合っていられるか)
少し投げ遣りな仕草で項垂れた前髪を掻き上げると、王泥喜は溜息混じりに吐き出した。
「とにかく、これからだってこんなことがあるかも知れないんですよ。いつも連絡入れられる訳じゃないですし、俺が遅くなってもちゃんと一人でご飯食べれるようになって下さい!」
「オドロキくん…」
「もう言い訳は聞きませんよ!だいたいあなたは…」
そこまで言い掛けた直後。
急に、口元にぐぐっと何かが押し付けられて、王泥喜は目を見開いた。
「……っ、っ!?」
途中で途切れさせられたからではなく、口元に触れている感触にびっくりして言葉も出ない。
「っ……?!」
目を見開いてみると、 成歩堂の顔がこれ以上ないほどアップになっているのが解かった。
「んっ、ん…!ん??」
そのまま、彼はまるで柔らかく噛み付くようにして、ざわりと背筋を走り抜けた痺れに、王泥喜はようやく我に返って成歩堂の体を思い切り押し返した。
「な、な、何するんですか!!あなたは!!」
ぐい、と唇を拭いながら大声を上げると、彼は何だか物足りなそうな顔をしながら、視線を伏せた。
「あ…、ごめん」
「ご、ごめんて…」
「何だか、美味しそうだったから、つい…」
「……えっ」
美味しそう?!
なんだそれは?!
と言うか、今のって…。
もしかして。いや、もしかしなくても、一応…キス、と言うのだろうか。
そんな疑問が頭の中を駆け巡って、王泥喜が何も言えなくなっていると、成歩堂は視線を上げ、ゆっくりとその唇を開いた。
「どうしてもお腹が空いてさ…、ごめんね…」
「…!な、成歩堂さん…」
「許してくれるかい、オドロキくん」
「は、はい…」
そんなに素直に謝られてしまうと、拍子抜けしてしまう。何だかもやもやしていた胸の中が収まって、逆にきゅっと締め付けられるような気になる。
いや、そんなものじゃない。先ほどの感触が唇から離れなくて、ドキドキして頭の中がどうにかなりそうだ。
そんな中、成歩堂は王泥喜の目の前でふっと唇を緩めて柔らかい笑みを浮かべた。
「と言う訳で、ご飯作ってくれるかい?オドロキくん」
「はい!大丈夫です!!」
今までのいざこざのなど全て忘れて、ぎゅっと拳を握り締めると、王泥喜は思い切り大声で返事をした。
終