歪曲




別に、何か特別な用事があった訳でも、一緒に食事をする約束があった訳でもない。
ただ、一つ。成歩堂の携帯電話が、先ほどから繋がらない。
あの、例のナラズモの部屋に籠もっているだけなのだろうが……。

何だか妙に胸騒ぎがして、霧人はその日、ボルハチへと足を運んだ。
店に入ると、案の定。ピアノの側にも店内の他の場所にも、彼の姿はなかった。
代わりに、彼が娘として可愛がっている少女を見付けて、疑惑は更に深くなる。
もし、ポーカーの勝負をしているなら、彼がみぬきと離れることはない……。

「成歩堂に会えますか?」
「うーん……パパは今、あの部屋には誰もいれるなって言ってたんだけど…」
「急用なんです、責任は私が取りますから……」

にこりと笑ってみぬきを引き下がらせ、霧人は地下の小部屋に向けて足を進めた。
あんな部屋で一体何をしているのか。
考える間も無くその場に辿り着いて。
小窓から様子を伺った霧人は、自分の予感が的中していたことに、舌打ちの一つでもしたい気分になった。
部屋の中には、成歩堂と、そしてもう一人。
当然のことながら、とても、カードゲームを楽しんでいるようには見えなかった。
簡潔に言えば、成歩堂が中央のテーブルの上に派手に押し倒されていて、その上に男が覆い被さっている。
幸か不幸か、まだ事は始まったばかりのようだが…。
その上、男の肩越しにこちらを見た成歩堂と視線が合った。
彼の注意力から言って、こちらの存在に気付かない筈がない。
それなのに、彼は一切抵抗せずに、されるままになっていた。

(成歩堂……!)

苛立たし気に名前を呼んで、霧人は躊躇いなく部屋の扉を思い切り開けた。

「盛り上がっているところを申し訳ないのですが……。ちょっと、中断して頂けませんか?」

霧人の言葉と、勢い良く開いた扉の音に、成歩堂の上に圧し掛かっていた男はとんでもなく驚いたようだった。

「なっ、何だ、お前は?」
「すみませんね、彼に話があるので」
「何だと?い、一体何の権利があって……」
「……中断して頂きたいと、言っているのですよ」

尚も食い下がる男を静かな迫力で圧倒すると、彼は悪態を吐きながら渋々部屋を出て行った。
こんないわくつきの場所で、男相手にこんなことをしようとしていたのだ。
正に後ろ暗いところだらけで、引き下がるしかないだろう。

男を追い出すと、霧人は今頃になってようやく身を起こした成歩堂へ、冷ややかな視線を向けた。

「成歩堂……。きみも……私に気付いたなら、彼に何とか言ってあげれば良かったのでは?」

自分が来たことに、彼は気付いていた。
それなのに、何もしようとせず、ただされるがままになっていた。
その事実が、実に不快だ。
けれど、当の彼は表情一つ変えずに飄々と返答をして来た。

「客に逃げられてしまうのは不本意だったからね」
「……」

白々しい台詞に、又一つ苛立ちが募る。
この自分が、誰かのせいで動揺していること事態、とてつもなく不愉快だと言うのに。
そんなこちらの内心を知ってか知らずか、成歩堂は相変わらず憎らしいほどに落ち着き払った態度で続けた。

「やれやれ……。折角の稼ぎの当てを……どうしてくれるのかな?」
「成歩堂」
「それとも、きみが賠償してくれるのかい?牙琉先生」
「……」

あくまで軽い口調なのに、彼の目は、何処か挑むような光が浮かんでいる。
まさか、挑発しているのだろうか?
そちらがその気なら……。

「お望み通り……そうしてあげましょうか?」

くい、と指先で軽く眼鏡を直す仕草をしてから。
徐に腕を伸ばして成歩堂の肩を掴み、そのままテーブルの上に押し倒した。
やや乱暴だったのかも知れない。
ガツ、と音がして、衝撃に成歩堂は眉を顰めた。

「もう少し……丁重にしてくれるかな」
「場所が場所ですからね、こんなところで情緒も何もない」

あくまで余裕を崩さない彼の上に圧し掛かって、霧人はぐいと体重を乗せた。
不気味なほど静かな寒い部屋に、ぎし、とテーブルが軋む音が響く。
古い割りにしっかりとしたテーブルではあるが、ベッドとして使うには、あまりにもお粗末だ。
本当に、不愉快だ。
でも、勿論顔には出さない。出ない自信もある。
けれど、成歩堂龍一が、こんなところで……あんな客の相手をしているのかと思うと、何故か無性にやり切れない苛立ちを感じた。
既に先ほどの男に乱されて、だらしなく引っ掛かっているだけの上着を掻き分け、手を肌の上に滑らせる。
その間、成歩堂は何の抵抗もせず、すんなりとその行為を受け入れていた。
本当に、何とも思っていないのだろうか、この男は……。
少し戸惑いを感じて動作を止めると、すぐに下から気だるいような声がした。

「やり辛いなら……自分で脱ごうか?」
「……」

直接的な台詞に、あからさまに眉を寄せる。
こんなこと、以前の彼からは到底考えられない。

「変わりましたね、きみは」
「そう……かな?」
「まぁ、いいです……」

別に、彼が誰にどうされていようと、関係ない筈。
敢えて感情の籠もらない声でそう言うと、霧人は彼の下衣に手を掛けて何も言わずに引き摺り下ろした。

「……!」

冷たい空気が直に肌に触れて、一瞬、成歩堂が息を飲み込んだのが解かる。
何か抗議の言葉でも述べようとしたのか、薄く開いた唇を今度は自分のそれで塞ぎ、言葉を奪った。

「ん……ぅ」

ぴたりと唇を合わせて、ゆっくりと隙間から舌を侵入させる。
生温かい、口内。
薄っすらと煙草の味がして、霧人は眉間に皺を刻んだ。
成歩堂は煙草を吸わない。だとすれば、これは……。
勘付くと同時に、絡んだ舌に噛み付いてやりたくなった。
やや強引に二の足を割り、性急にその奥を探り出すと、彼の喉がヒク、と鳴る。
痛みと圧迫感に耐えられなくなったのだろう……が。

「牙琉。ぼくは、あんまり贅沢を言う気はないけれど……もう少し……」

痛みを堪えて、皮肉混じりに抗議の言葉を口にしようとする成歩堂に、牙琉はゆっくりと首を左右に振って見せた。

「残念ですが、あまり好きではないんですよ、こう言う時のお喋りは…」
「……!!くっ、ぅ……!?」

抵抗を許さずに侵入を開始する。
流石に…やせ我慢だけでどうにかるものではなかったようで、初めて痛々しい呻きが上がった。
今まで、力なくテーブルの上に投げ出されていた手が持ち上がって、痛みを堪えるように牙琉の腕にしがみ付く。
その姿に、ほんの少し……優越感のようなものを感じた、その時。

「が、りゅう……」
「……?」

息を殺すように名を呼ばれ、ふとそちらに目をやると、この期に及んで全く余裕をなくしていない、彼の目が見えた。
ここで哀願の言葉でも吐くと言うなら……こんな抱き方は止めてやるつもりだったのに。
彼の口から出て来たのは、霧人の望んでいた言葉とは正反対のものだった。

「もっと、丁寧にやって欲しいな……。でないと、さっきの客の方がまだマシかな」

(……!!)

「成歩堂……!」
「ぅ、ぐっ……!!」

一瞬、怒りに似た激しい感情に、頭の中が真っ白になって。
勢いに任せて加減もなしに突き上げると、成歩堂の喉がびくと背後に仰け反った。

「……っう、く……ぅっ!」

そのまま、有無を言わさずにやや荒っぽい動きを繰り返す。
彼がわざと煽っているのは解かっていたのだが、加減してやるつもりなど、綺麗になくなってしまっていた。



「で……?結局、きみは何しに来たんだい?牙琉……」

長い時間が過ぎて。
だるそうな仕草で乱れた衣服を整えながら、成歩堂が当然の疑問を口にする。
柄にもなく、感情のままに行動してしまったことを少なからず反省しつつも、牙琉は平然と涼しい顔を向けた。

「もう時間も遅いですからね……。又今度、出直すとしますよ……」
「今度は他の客がいない時にして欲しいな」
「……気を付けるとしましょう」
「あ……牙琉」

冷ややかに吐き捨てて、部屋を出ようと身を翻すと、不意に成歩堂に呼び止められた。

「……?何でしょうか」

首だけ動かして振り向くと、何処となく…悪戯っぽい子供のような色を浮かべた目が、じっとこちらを覗き込んでいた。

「言い忘れてたけど……」
「……?」
「さっき、きみが来た時、ぼくが何も言わなかったのは、きみがちゃんと彼を止めてくれると思ったからだよ」
「……!?」
「予想通りだったね、ありがとう……牙琉」

あんな男とは、始めから寝る気何かなかったよ。

「……!」

白々しい台詞に、霧人はぴく、と眉を震わせた。
でもきっと、これは真実。何とも…食えない男だ。
彼に係わると、自分は何故か普通ではいれない気がする。
こんなつもりではなかったのに。

「次からは、見付けても知らないフリをしていましょう」

ずれた眼鏡を直しながら皮肉たっぷりに返すと、成歩堂は軽やかに声を上げて笑った。
もう来ないとは、言わないんだな。
彼の目は今にもそんなことを言い出しそうだった。
相変わらず続いている彼の笑い声を背に受けながら、霧人はそのまま振り返ることなく、足早に部屋を後にした。