Wake Up
トーストとサラダと、スクランブルエッグとベーコン。
どれも簡単なものだけど、朝食には十分だと思う。
三人分のお皿とカップを用意して、王泥喜はテーブルの上を拭いていたみぬきに声を掛けた。
「みぬきちゃん、もうご飯出来るよ。悪いけど、成歩堂さん起こして来てくれるかな」
「はい!解りました。任せて下さい!」
王泥喜の頼みに、みぬきは満面の笑みを浮かべて、はりきって成歩堂の寝ている部屋へと向かった。
この事務所に来てから、食事はいつもみぬきと交代で作っている。
今日は、成歩堂も珍しく朝からいるので一人分多い。
少しだけ早めに起きて用意した甲斐あってか、いつもより美味しそうだ。
冷めないうちに早く食べたい。
そう思って、カップにコーヒーを注ぎつつ、二人が来るのを待っていたのだけど。
幾ら待っても、一向に来る気配がない。
(遅いな…。まだか?)
しかも、彼を起こすみぬきの声も全然聞こえない。
まさか、起こしに行って、一緒に寝てしまったんじゃないだろうか。
少し心配になって、王泥喜は成歩堂が寝ている部屋の扉からちょこんと顔を出して中を覗いてみた。
その途端、両の目に飛び込んで来たのは意外な光景だった。
(え……?)
成歩堂を起こしに行っただけの筈のみぬきは、あろうことか寝ている彼に跨って、その上にすとんと座っていた。
(な、何だ…?)
一体、何をしているのか。
(俺、確か起こして来てって…言っただけだよな)
ただ起こすだけなら、こんな体勢になる必要が…?
声を掛けるタイミングを見失って、王泥喜は呆気に取られたまま、二人の様子を見守っていた。
「パパ、起きて、パパってば」
ややして聞こえて来たのは、本当に小さなみぬきの声。
「パパ…。起きないと、ほっぺにチュウだよ」
(えええ……?!)
王泥喜が目を見開いて見守る中、成歩堂は全く起きる様子もなく、気持ち良さそうに眠っている。
それもその筈。
みぬきは彼を起こさない様に、優しく揺さぶって、小声で呼び掛けているだけなのだから。
そのまま、彼女は成歩堂の寝顔に顔を寄せて、彼の頬にそっとキスをした。
(う……)
何だか、妙に照れ臭くて気まずい。
いや、でも…。
二人は血が繋がっていないと言え、れっきとした親子なのだ。
ほっぺにチュウくらい、別に構わないではないか。
茜のことと言い、春美のことと言い、立て続けにあんなことがあったから、過敏になっているだけなんだ、きっと。
何とかそうやって自分に言い聞かせた王泥喜を余所に、みぬきの楽しそうな声は続く。
「パパってば。まだ起きないなら、みぬき…次はこっちにもしちゃうよ」
あくまで小さく、可愛らしい声でそう囁くと、彼女は再び顔を寄せて、チュッと軽い音を立てて成歩堂の額にもキスを落とした。
(うわ……)
こうも続けられると、何だか妙に意識してしまう。
でも。
親子なのだ、親子なのだから仕方ない。
そうやって、何とか自分を落ち着かせようとしたのだけど。
次に聞えて来たみぬきの台詞に、流石にぎくりとした。
「パパ、もう…しょうがないなぁ…。次は、こっち…」
何だか嬉しそうにそう言いながら、彼女が細い指先ですっとなぞったのは、未だにすやすやと寝息を吐き出している、成歩堂の唇…。
(そ、そこは……!)
いくら何でも、まずいだろう!
(な、成歩堂さん…!頼むからもう起きてくれよ…!)
そう心の中で願っても、通じる気配もない。
待ったを掛けるべきか、掛けないべきか。
掛ければ、覗いていたのがバレてしまう。
でも、このまま二人のキスを目撃してしまったら…。
きっと、明日から意識し過ぎてしまって、まともに顔なんか見れない。
そうして悩んでいる間にも、みぬきの顔はゆっくりと成歩堂に近付いていく。
唇が触れ合うまで、あとほんの数ミリ…。
(ま、迷ってる場合じゃない!)
苦悩の末、大声を吐き出そうとした、直後。
「みぬき」
「……!!」
ドキドキと早鐘のように鳴る王泥喜の心臓とは裏腹に、穏やかで落ち着いた成歩堂の声が聞こえた。
彼はいつの間にか気だるそうな瞳を開いて、優しそうな顔でみぬきをみつめていた。
「おはよう、みぬき」
「パパ!なーんだ、もう起きちゃったの?」
「すまないね…」
頬を膨らませるみぬきを、成歩堂がなだめる。
彼の指先が持ち上がって、何度も優しい仕草でみぬきの髪の毛を撫でると、ようやく機嫌を直したのか。
彼女はいつものように明るい笑顔を浮かべた。
「もう、仕方ないな。でもパパ、今度こそみぬき、上手くやるからね」
「ははは。いつもスリルがあるなぁ、みぬきの起こし方は…」
「えへへ、そうかな?パパ」
「そうだよ、みぬき」
(・・・・・)
無邪気に笑い合う親子を扉の隙間から見詰めて、心の底から深い溜息を吐き出すと。
もう二度と、みぬきに成歩堂を起こすのを頼むのは止めようと、王泥喜は胸中で固く誓った。
END