浴室




「う……、……っ」
 どんなに堪えようと思っても、勝手に漏れてしまう声は、どうしようもない。
「もう……まずいって、御剣……っ」
 途切れ途切れにそんな訴えを上げたけれど、御剣からは何の返事もない。耳元に聞こえて来たのは、シャワーのコックから滴り落ちる水音と、肌が小刻みにぶつかり合う音と、それからもっと違う種の濡れたような音だけだった。
 聴覚を刺激するその音に、たまらない羞恥を感じて耳を覆ってしまいたいのに、そうもいかない。バスルームの壁に縋り付くように置いている手を離せば、やっとのことで体を支えている軸がなくなってしまうからだ。
「っ、ぁ……、あ」
 ずるりと滑り落ちそうになった両手に力をこめて、成歩堂は首だけ動かして背後の男を見やった。抗議の意味を込めて肩越しに睨み付けようとしたのに、視線は既に蕩けて、潤んだような力ない目で見ただけに終った。
「成歩堂」
「うっ、……つ、ん……」
 途端、何故だか知らないけど、煽られたようにぐっと深く貫かれて、掠れた高い声が勝手に口を突いて出た。

 何だかよく解からないけれど。事務所にやって来た御剣に、強引にバスルームに連れ込まれて、こう言うことになっている。
 直前に、誰かの話をしていたような気がするけど、それもよく思い出せない。弾まない会話に気付いて目を上げたら、御剣の整った眉間の間には深い皺が刻まれていた。
 何か、勘に触ることを言ってしまっただろうか。
「あ、御剣、もしかして時間なかった?なら引き止めて悪かったよ」
 そんな風に気を利かせて、帰るきっかけを与えてやろうと思ったのに。いきなり腕を捕まえられて、ぐい、と強い力で引かれた。
「御剣?」
「………」
 呼び掛けても、返答はない。そのまま引き摺られて、事務所の奥にあるバスルームの前にまで来た。
「な、何だよ、い……っ」
 次の瞬間、乱暴に開かれた扉の向こうに無理矢理放り込まれる。
「う……っ!」
 勢い余って壁に背中を突いて、眉を顰める。
 なんだ、なんなんだ。何を怒っているんだ、こいつは。
 でも、何だか漂う雰囲気がただ事じゃなくて、文句も抗議の言葉も出て来なかった。ただ、ごくりと上下した喉元に、御剣の指先が触れる。つつ、となぞるように指が肌の上を辿り、成歩堂は息苦しさに目を細めた。
 やばい、何だか、やばい。
 そう思っているのに、足が動かない。
「成歩堂」
「ん……っ」
 ようやく名前を口にしたと思ったら、彼は強引に襟元を掴んで、深く口を塞いで来た。
「うんっ、ん……っ、う……!」
 首を振ってもがこうとしても、上手く行かない。それに、御剣が手を伸ばし、側にあったシャワーのコックを盛大に捻る。
「わっ!」
 急激に冷えた水が体に降り注ぎ、成歩堂は体を強張らせた。
「つ、つめた……」
 急に湯にはならないから、低い温度の水が体温を奪う。ぞくりと身を震わせたそのとき、御剣の手が伸びて、ぐっと壁に押し付けられた。
「よ、せよ、お前!こんなとこで!」
「真宵くんは、里帰り中なのだろう」
「そ、それはそうだけど、だからって……」
 だからって、こんなところで行為に及ぶ理由になんてならない。
 でも、成歩堂の意志とは関係なく、持ち上がった御剣の手は、水分を含んで肌に張り付いたシャツを掻き分け、直に肌の上を辿りだした。
「あっ……、よ、せって……」
 首を振ってもがくけれど、既に慣らされてしまった体の方が、甘い刺激を感じ取ってじわりと疼きだす。抵抗が弱まったのを見て、御剣が手の平を這わせていた胸元の突起をぎゅっときつく摘んだ。
「いっ、つ……、ん……」
 軽い痛みと共に、走り抜けたのは痺れだった。思わず掠れた声を上げると、首筋に熱い吐息が掛かる。
 そのまま、ぐい、と顎が掴んで持ち上げられ、ゆっくりと唇を塞がれると、完全に抵抗する気なんてなくなってしまった。

 それから、数分。
 ネクタイを引き抜かれ、シャツの前を割られてベルトを外され、こんなことになっている。いつの間にか体を引っ繰り返されて、御剣が背後から体を押さえ付けて来る。彼の顔が見えなくて、何だか不安だ。さっき、怒ったような顔をしていた。そのせい、なんだろうか。目をきつく閉じると、瞼の裏に浮かんだのは、彼の不機嫌な顔だった。今も、あんな顔をしているんだろうか。
「もう、止せって、誰か来たらっ」
「心配ない」
「なんで、そんな、っ!」
 信じられない。御剣がこんなことを言うなんて。
「それより、少し、黙っていろ」
「……っ」
 しかも、何だか冷たい声でそんなことを言われて、成歩堂はぎゅっと唇を噛んだ。
 一端腰を引かれて、ぞくっと鋭いほどの痺れが頭に突き抜ける。がくがくと手足が震えだして、成歩堂は必死に壁に縋り付く手に力を込めた。
「う、あっ」
 途端、ずずっと奥まで侵入されて、声にならない喘ぎが漏れる。
 やがて、腰を打ち付ける速度が増して、中に温かいものが注がれると、成歩堂もそれに引き摺られるように限界に達した。
 ずるりと、中を犯していたものが出て行くと、成歩堂は糸が切れたようにその場にへたり込んだ。

「それで、何だったんだよ」
 衣服を整えた後。と言っても、二人ともずぶ濡れになってしまったので、乾かすまでに酷く時間が掛かってしまったのだけど。
 ようやく落ち着いてから恨みがましい視線を送ると、御剣はまだ少しムッとしたような顔をしていた。
「きみが」
「……?ぼくが……?」
「きみがいけない。自分の胸に聞いてみることだ」
「は……」
 物凄く言い切られてしまって、思わず呆気に取られる。
 成歩堂が呆然としていると、御剣はふっと表情を緩めて、口元に笑みを浮かべた。
「下らない嫉妬だ、大目にみたまえ」
「え、な、なん……」
 まだ、何のことか解からない。
 でも、記憶を辿っていくと、ほんの少しだけ、思い当たることがあった。彼がここを訪れたとき、自分は少し浮かれたような感じで他の人物の話をしていた。
 でも、たったそれだけ?そんなことで。
「そんなことで、ぼくはこんな目に遭ったのかよ」
「まぁ、そう言うことだ」
「な、納得行かないよ!」
「行かなくても良い。仕方がないのだ」
「み、御剣……っ」
 呆れたように吐息を吐き出すと、成歩堂は頭を抱えた。
 ここで怒っても、埒が明かない。それに、何だか馬鹿馬鹿しくなって来た。
 やきもちなんだったら、そう、言ってくれればいいのに。でも、そうも行かないのが彼の性分なんだろう。
「解かったよ、もういいよ、別に」
「成歩堂」
 こちらが折れた途端に、何だか気弱な感じになる呼び声にも、苦い笑いが浮かんで来る。
「でも、お前じゃなかったらぼくだって許さないよ、こんなことさ」
「う、ム……」
 少し困惑したように視線を泳がせ、首を縦に振った御剣を見て、成歩堂もそっと口元を綻ばせた。