egoism2




 乱れてしまった衣服の中に手を差し入れると、成歩堂の体は少しだけ緊張するように強張った。
 けれど、すぐに体からは力が抜け、こちらの動きに翻弄されるように、くい、と喉元が仰け反る。その場所があまりに無防備に見えて、響也はそこに顔を寄せた。
「ん……っ」
 そっと唇を押し付けると、小さく声が漏れ、彼はびくりと身を引き攣らせた。急所に触れる響也の唇に怯えているのか、その逆か。解からないけれど、もう頭で考えることは放棄してしまったから、どうなってもいい。半ばヤケにそんなことを思いながら、響也は彼の肌の上を手の平で辿った。この前から感じていた苛立ちとか、葛藤とか。そんなものを払拭してしまいたい。全部、元凶はこの目の前の男なのだから。思った通り、行為を進めていけばいくほど、少しずつ溜飲が下がるような気がする。
 緩く開いた足の間に体を押し込み、肢体を密着させると、応えるように足が絡み付いて来た。
「あんた、本当にどう言うつもりなんだい」
「……きみこそ、ぼくのこと嫌いなんだよね?」
「……」
 なのに、どうしてだい?
 揶揄するような台詞が頭に思い浮かんで、ぐっと息を詰める。
「嫌いだからさ。嫌がらせだよ」
「へぇ……」
 精一杯の憎まれ口にも、彼は愉しそうに口元を綻ばせただけだった。
 これが、成歩堂龍一。七年前とは、全然違う。
 彼を変えたのは、ずっと側にいた兄だろうか。いや、そうじゃない。きっかけを作ったのは成歩堂自身かも知れないけど、響也も確実に係わっている。
 それに。本当は少し前から気付いていた。彼の気怠るそう見えるだけの二つの目には、以前と少しも変わらない、誰にも屈服なんてさせられない強い意志が隠されているように思う。
 自覚すると同時に、響也の背筋にぞくりと痺れが走った。焦ってはいけない。響也だって、七年前のままじゃない。
「成歩堂龍一」
「……?」
 そっと呼び掛けると、反応してこちらを見上げた彼の唇を、響也は隙間なくぴたりと塞いだ。
 そのまま、下衣に手を掛けようとしたところで。
 不意に、ガタン!と音がして、響也と成歩堂は二人揃ってびくりとした。
 同時に物音のした方を見やる。その上、なにやら楽しげな会話らしきものまで聞こえて来て息を飲んだ。
 まさかと思うが…。
「あれ……?みぬきだ」
「……!」
 成歩堂の言葉で、響也の中の疑惑はあっさり確信に変わってしまった。
「あんた!今日はお嬢ちゃんは遅くなるって言ったじゃないか」
「そうだったんだけど……」
 しかも、聞こえて来る声は、二人分。
「オドロキくんも一緒だね、参ったなぁ……」
「あのね……」
 暢気な成歩堂の言葉に、響也はがっくりと項垂れた。
 全く……。またしても邪魔が…。
二度あることは三度、と言うし。次もまた上手く行かないのだろう。いや、もうこれを機に彼とはすっぱり……。
 そんなことを思いながら、ゆっくりと身を起こした直後。
「こっちへ……!」
「……えっ?!」
 ぐい、と強く腕を引かれ、響也は事務所の奥へと引き摺られた。
 奥にあるバスルーム、そこに成歩堂と二人で押し込まれるのと、成歩堂事務所の扉が開くのとは殆ど同時だった。
「へぇ、バスルームなんてあったんだ」
「うん」
 感心したように小声で囁くと、成歩堂はこくんと首を縦に振った。
 とは言っても、あまり広くはないので、かなり密着して立つ羽目になっている。
「で?どうするんだい?」
「多分、忘れ物とか取りに来ただけだよ。お茶でもしたら又出掛けると思うんだ」
「……」
 彼の言葉に、響也は無言のまま思いを巡らせた。
 先ほど……てっきり、残念だったね、とか。又今度ね、牙琉検事、とか。
 そんな曖昧な言葉で誤魔化されると思っていたのに。彼はそうしなかった。
 この状況を望んでいるのは、自分だけではないと言うことか。
 そう思うと同時に、少しの余裕が生まれた。なめて貰っては、困るのだ。
密着したまま、徐に腰に腕を回すと、彼は少し驚いたように顔を上げた。
「牙琉検事……?」
「続けて、いいかい?さっきの……」
「ここで……?」
「チャンスは最大限に生かさないと……またいつ中断されるか解からないからね」
「……」
 笑みを浮かべながら言うと、成歩堂の目が、困惑するように揺れた。当然かも知れない。少し離れたところでは、みぬきの楽しそうな声が聞こえている。
「あんたでも、あのおじょうさんがいると焦るんだ。まぁ当然か」
「……っ」
 そう言って、首筋に唇を寄せる。先ほどと同じ行為だったけれど、返って来た反応は比べ物にならなかった。
 びく、と肢体が揺れて、彼の肌は刺激を感じ取ったように粟立った。堪らないように小さく吐き出された吐息に、響也の体温も上がったような気がした。

「んっ、ん……」
 堪えるように漏れる声と、乱れた呼吸の音が重なる。みぬきと王泥喜の声は、もう既に聞こえない気がするけれど。重なる呼吸の音が煩くて、そう思っているだけかも知れない。そう思うと、緊張と興奮のためか、どくどくと鼓動が早くなった。
 成歩堂は、先ほどから声を殺すだけで精一杯なのか、あの皮肉な口調で何か言う余裕もないように見える。微かに堪え気味に漏れる声が聞こえるだけだ。
「ぅ、……っ、……っ!」
 痛みの為か小さく震える唇に、響也は吸い付くように触れた。滑らかな口内に舌を捩じ込んで絡める。彼のものも応えるように蠢いて、お互い夢中になったみたいにキスを続けた。
「ふ、……っ」
 長いキスを終えて、縺れた舌先を引き抜くと、成歩堂は吐息のような声を漏らした。
 そのままゆっくり腰を使うと、彼はぎゅっとしがみ付くように響也の衣服を掴んだ。一端タガが外れてしまうと、随分と脆い。慣れた手つきで弄ばれ体の中まで抉られて、眉根を寄せる姿は響也の胸をぐちゃぐちゃに掻き回した。
 何だって、こんなことになっているのか。自分でも解からない。
 それに、何て言うか……。興奮の為か、ステージの上にいるときみたいに、胸が焦げそうに熱い。
「……っ」
 足を掬い上げて繋がりを深めると、彼の双眸が痛みと衝撃に大きく見開かれた。



「きみ、無茶苦茶だよ」
「……」
 満足に動くことも声を上げることも出来ない不自由な場所で、強引な行為が済むと、彼はそんなことを言って笑った。
釣られて、響也もどことなく苦い笑みを浮かべる。
「あんたにだけは言われたくないよ」
「……そうだね」
 成歩堂は笑みを浮かべながら頷いて、きつくしがみ付いていた指をそっと解いた。
 彼の体温が離れて、響也は無意識にホッと吐息を吐き出した。結構、緊張していたのかも知れない。
 本当に、何でこんなことになるのか。うっかりここへ足を踏み入れたのが間違いだ。何より、以前彼が訪ねて来たときにきっちり追い返していれば。
 でも、そんなことを考えても今はどうにもならない。無視なんて出来ない。七年前からそうだ。
 じゃあ、彼は一体どんなつもりなんだろう。
「あのさ、成歩堂さん」
 気になって呼び掛けると、いつもより輪を掛けて気怠るげな眼差しがこちらを捕らえる。
 薄っすら浮き上がった汗のせいで額についた髪の毛を指先で掬いながら、響也は出来るだけ平静を装って口を開いた。
「今度は真面目に聞きたいね」
「何だい、牙琉検事」
「あんたが、どう言うつもりなのかってことだよ」
「ああ……」
 反応して目を見開いた彼は、何事か考え込んだ後、今まで見たこともないような全開の笑顔を浮かべてみせた。
「それなら、きみと同じだよ。牙琉検事」
「……え」
 見慣れない笑顔に、不覚にも、どく、と心臓の音が跳ねてしまった。
 でも、彼の考えが自分と同じであると言うなら、それは……。
 けれど、そんなことを考えたのはほんの一瞬のことで。
「嫌がらせだよ、決まってるじゃないか」
「………」
 本当に愉しそうに告げられた台詞に、響也はぎし、と硬直してしまった。
「ああ、そうだよね、そうだった」
 やっとのことでそう返したけれど、きっと笑顔は引き攣っていたに違いない。
 成歩堂なりの、七年前のお返しとでも言うのだろうか。簡単に本音など教えてくれそうもない。
「じゃあ、今日はもう帰らせて貰うよ」
「ああ、気を付けてね」
 ひらひらと手を振る成歩堂に忌々しさが募るような気がしながら、響也は衣服を整えてバスルームを出た。みぬきや王泥喜の姿はとっくになかった。今更ながらそれにホッとして、扉へと向かう。
 いつまでもあのエゴイストに振り回されるなんて、本当にごめんだ。今度は、今日みたいなことには……。
「じゃあ又今度ね、牙琉検事」
「……」
 事務所を出る直前に、まるでこちらの内心を読み取ったような言葉を掛けられて、響也は一度動きを止めたけれど。そのまま背後を振り返らず、成歩堂事務所の扉を潜り抜けた。