flirtation
夕方、みぬきが仕事に出掛けた後。
ボルハチの仕事が休みだった成歩堂は、牙琉弁護士の事務所へと足を運んだ。
行くところは、別に…彼の元でなくても良かったかも知れない。
けれど成歩堂が弁護士を辞めてから、いつの間にか、彼は一番自分の側にいる人間になっていた。
それで、つい…いつも足が向いてしまうのかも知れない。
「牙琉…?」
呼び掛けながら、ガチャと音を立てて豪勢なドアを押し開けると。
「うわっ!」
その途端、ゴン!と音がして、ドアの裏側で悲鳴が上がった。
驚いて事務所の中に入ると、若い男が一人、床にしゃがみこんでいた。
散らばった書類を一生懸命に拾い集めている。
恐らく、成歩堂が開けた扉にぶつかって、撒き散らしてしまったのだろう。
「大丈夫かい?手伝うよ」
「あ、いえ!大丈夫です!!」
声を掛けると、やたらと大きな声で返事が返って来た。
せっせと書類をかき集める姿を思わず見下ろすと、ぴょんぴょんと跳ねる特徴のある前髪に、つるっとしたおでこが見えた。
牙琉霧人の見習い弁護士…だろうか。
その霧人は、どうやら今ここにはいないようだが…。
ぼんやりそんなことを思っている間に、彼は書類を全部拾い上げ、顔を上げると。
「ああぁぁあぁぁ!!」
突然、耳を劈くような声を出した。
「な、何だい?」
最近は何事にも動じなくなった成歩堂も、あまりの大声に流石に驚いて、目を見開く。
彼は一歩引いたこちらにはお構いなく、ずいっと身を乗り出して来た。
「あ、あなたは…もしかして、なるほどう、さん…?」
「……?」
(ぼくを、知っているのか)
「…きみは?」
「あ、俺っ!王泥喜法介って言います!」
「オドロキくんか」
変わった名前だ。
自分のことを棚に上げてそんな感想を漏らしたところで、ふと、あるものに目が留まった。
「きみ、その腕の…」
「……?」
言いながら、オドロキと名乗った彼に手を伸ばした、瞬間。
「成歩堂。来ていたのですか」
「……!牙琉…」
「あ!先生!」
背後から穏やかな声が掛かって、振り向くと、いつの間に戻って来ていたのか、牙琉霧人の姿があった。
「王泥喜くん、その資料、整理は終っているのですか?」
「あ、はい!も、勿論です!ちょっと…落としちゃいましたが」
「…困りますね、ちゃんと順番になっているか確認して下さい」
「は、はい!すみません!」
「牙琉、すまない。ぼくが彼にぶつかってしまったんだ」
フォローを入れると、王泥喜は、頭をちぎれそうなほどぶんぶんと横に振った。
「いえ!違うんです!!成歩堂さんは悪くありません!!」
「き、きみ…」
あまりの慌てぶりに、何か言葉を掛けようとすると、霧人が柔らかく遮った。
「まぁ、とにかく…もう少し待っていて下さいね、成歩堂」
「ああ、そうするよ」
頷いて、彼の言葉通り、成歩堂は大人しく待っていることにした。
それから、一時間くらいしてからだろうか。
いつの間にか、心地良いソファの上で転寝をしていたらしい。
「成歩堂」
「…あ、牙琉、先生…」
不意に肩を叩かれて、目が覚めた。
「ええと、あの彼…は?」
「ついさっき帰りましたよ。おでこがテカテカになるほど焦っていたようですが」
目を擦りながら立ち上がると、霧人の笑顔が見えた。
本当に、いつも…胡散臭いくらい完璧に笑う男だ。
「そうか、何だか悪いことをしたなぁ…」
この笑顔のまま、凍り付くような説教を食らったであろう王泥喜のことを思って、成歩堂は彼に少しばかり同情した。
「ああ…そう言えば…」
「……?」
そこで急に、霧人の声色が変わった。
何気なく顔をそちらに向けると、彼の手が伸びて、成歩堂の手首を不躾に捕まえた。
「…王泥喜くんに何かご用だったのですか」
「ん…?いや…ちょっとね」
言葉を濁すと、霧人は少し眉を寄せたように見えた。
ほんの一瞬だけ、掴まれた部分にぎり、と力が加えられる。
でもそれは本当に一瞬のことで、彼は静かに手首を離すと、尊大な様子で腕を組んだ。
「…王泥喜くんはとても真面目なんです。きみの毒牙に掛けて貰っては困りますね」
「…酷い言い様だなぁ、先生…」
綺麗な顔で吐かれる皮肉に、成歩堂は大袈裟に肩を竦めてみせた。
「折角、わざわざきみに会いに来たのに…」
「私も、きみに会えるのを楽しみにしていましたよ」
「冗談が上手いね…牙琉」
「そうとも…言い切れませんよ…」
言いながら、くい、と霧人の手が持ち上がって眼鏡に触れる。
その仕草と雰囲気に、何故か…ぎくりとした、その直後。
「……!!」
成歩堂が息を飲む間も無く。
不意に肩を捕えられ、ぐいと体が引かれた。
「牙琉……?!」
抵抗する間もなく、成歩堂は隣にある部屋へと押し込まれていた。
続いて、後から入って来た霧人が、カチャ、と音を立てて後ろ手に鍵を閉める。
「……!」
突然の横暴な行為に、成歩堂は慌てふためくでもなく、ほんの少しだけ息を飲んだ。
この部屋…。何度か足を踏み入れたことがある。
そして、ここに入った時に何が起きるのかは、いつも決まっている。
幾度か覚えのある状況に、成歩堂の四肢に緊張が走った。
でも、今日はそんなつもりはない。
一緒に食事に出掛けようとしていた、それだけだ。
切り抜けられるなら切り抜けたい。
冷静を装って、出口に立ち塞がる男に無言のまま向かい合うと、彼はその整った顔に穏やかな笑みを浮かべた。
「私に会いに来たのでしょう?もっと嬉しそうにしてはどうですか」
「ああ、勿論…。嬉しいよ、先生…」
「そうですか…。それは、良かった…」
言いながら、こちらに向かって足を進める霧人に合わせて、少しずつ後ずさる。
「どうしたんだい、牙琉。こんな突然、きみらしくもない…」
「…きみが煽るようなことを言うからです」
「…ぼくが?そんなことを言った覚えはないんだけどね」
そこまで言った時、背中にトン、と壁の感触がした。
追い詰められたことに少し焦りが生まれたが、抵抗を止める訳には行かない。
多少苦し紛れになりながらも、成歩堂は尚も口を開いた。
「それとも…きみの理性は、そんな簡単に切られるものなのかな?」
「…生意気ですねぇ、…成歩堂」
「……」
(…あれ…?)
どうやら、しくじってしまったらしい。
霧人の気配が険しくなって、成歩堂は自分の失言に気付いた。
切り抜けるつもりが更に煽ってしまったらしい。
どうも、やっぱり未だにこう言うのは苦手なようだ。
そんなことを考えている間に、霧人の手が伸びて、思い切り上着の襟元を掴まれた。
「…んっ、ぅ…っ」
ぐいっと引き付けられて、ぶつかるように唇が触れ合う。
そのまま霧人の手が伸びて、成歩堂の衣服を緩め、肌の上を這い出した。
乱暴な訳ではないのに、何故だか、有無を言わさない力がある。
これは…。もう、嫌だと言っても、聞き入れられなそうだ…。
(仕方ない…なぁ)
胸中で呟くと、成歩堂は抵抗をすっぱり諦めて、深く侵入して来た霧人の舌に応えた。
「成歩堂」
ややして、唇を離すと、霧人が静かな声で名前を呼んだ。
見上げると、濡れた唇に彼の指がぴたりと触れる。
指先に促されるように口を開くと、徐にそれが口内へと侵入して来た。
「…ん…っ」
押し込められた指が、ゆっくりと粘膜の上を辿って、奥へと進められ。
無抵抗な舌の上、その手触りを楽しむように、霧人の指が這い回る。
「ぅ…っ!ん…っ」
無意識に追い返そうとする舌が逆に押し返されて、口内を犯す指先が乱暴に蠢き出した。
何度もそんな動きを繰り返して、指先が十分唾液で潤うと、霧人は口内から指を引き抜いた。
「…っ、…は…」
呼吸を整える暇もなく腰を抱えられ、衣服を掻き分けて奥へと進んで来た彼の指が、そのまま後孔へと潜り込んで来た。
「う、ぁ…ぁっ!」
びく!と引き攣る痛みに四肢が強張る。
けれど、これが一時的なものだと言うことは、もう解かっていた。
暫く、繰り返される戯弄を黙って受けた後。
とっくに乱れてしまった衣服を脱ぎ捨てて、ソファに腰掛けた霧人に跨って乗り掛かる。
ふぅっと短く息を吐き出すと、成歩堂は声が漏れないように唇を噛み締めた。
「ん…っ、く…!」
少しずつ、腰を落として彼を中に招き入れる。
その行為は、痛みと共に腹の底から湧き上るような興奮を生み、成歩堂は意識が飲み込まれそうになるのに耐えた。
「あまり焦っては、傷が付いてしまいますよ」
言いながら、霧人の指先が入り口をなぞる。
「は…っ、ぅ…」
びく、と四肢を引き攣らせると、彼の目が下から成歩堂を捉えた。
何も言わない筈のその目が、まるで誘ったのはこちらだとでも言わんばかりで、何だか居心地が悪い。
それから逃げるように、成歩堂は目の前の行為だけに没頭した。
彼を受け入れる度に疼くのは、痛みなのか快楽なのか、判別出来なくなる。
それでもようやく、時間を掛けて最後まで身を沈めると、痛みを逃がすように大きく息を吐き出した。
「く……っ!?」
途端、いきなり下から突き上げられて、喉が大きく仰け反る。
「ぁ…無茶、を…っ」
「きみが望んでいることでしょう?」
「っ、だ…誰が…っ」
痛みの為か小さく震える唇に、霧人が吸い付くように触れる。
「く…ぅ、は…っっ」
霧人の動きは敏感な場所ばかりを刺激し、成歩堂は彼の上で身を捩って喘ぎを上げた。
その動きが無意識に内壁を収縮させて、更に快楽を齎す。
ぎゅっと下肢に力が入って、次の瞬間には欲望が弾けていた。
内股を伝った体液がぽたぽたと滴り落ちる。
「はぁ…、は…」
どっと力の抜けた肢体が、霧人に寄り掛かるように崩れ落ちる。
けれど、これで終わりではない。
「成歩堂…ちゃんと捕まっていて下さいね」
「…!!うぅっ…っ!」
呼吸を整える間も無く、霧人が成歩堂の腰を両手で掴み、下からゆっくりと揺さ振り出した。
「はっ…、ぁ…っ」
敏感になった体に、鞭打つような刺激は辛い以外の何者でもない。
何か抗議の言葉でも言おうとしたけれど、全て途切れてしまって、彼に聞き入れられることはなかった。
「成歩堂」
高そうなソファに体を投げ出したまま、ぐったりして動かない成歩堂に、霧人が声を掛けて来る。
「成歩堂…?」
返事をせずにいると、催促するように顔を覗き込まれ、顎を掴まれた。
「そろそろ事務所を閉めますからね、起きて下さい。それに、食事に行く為に来たのでしょう?何処へ行きますか?」
「……」
「聞いてますか、成歩堂」
「牙琉…」
「何でしょう」
「…だるい」
「……」
「ぼくの事務所に…連れてってくれないかな…」
「…成歩堂、きみねぇ…」
「頼むよ、牙琉先生…」
「……」
返事を待たずに重い瞼を閉じると、霧人から長い溜息が吐き出された。
が…暫くの間の後。
「仕方がありませんね…」
呟いた彼の腕に抱き上げられるのを感じながら。
成歩堂は少しだけ、口元を綻ばせた。
END