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真宵が里帰りして、既に六日ほどが過ぎていた。
予定では、確か一週間くらい、とのことだったので、そろそろ帰って来るだろう。
彼女がいないと言うだけで、何となく事務所の中は荒れてくる。
トイレだけは綺麗に磨くのだけど、デスクの上は相変わらず散らかり放題だし、この前は相談に来たお客さんにお茶をぶっかけてしまった。

(お茶を出す練習くらい、しておいた方がいいかな)

少し憂鬱になってしまって、成歩堂はデスクに頬杖を突きながら、深い溜息を漏らした。
暫くの間、そうやってぼうっとしていると、不意に携帯電話の着信音が聴こえて来た。

(あれ、真宵ちゃんからだ)

「もしもし」

慌てて電話に手を伸ばして通話ボタンを押すと、聞きなれた可愛い声が聞こえて来た。

『なるほどくん!』
「真宵ちゃん、どうしたの?」
『あのね、実は、ちょっと色々用事が増えちゃって…まだ二、三日は帰れそうもないんだ』
「え…そうなの?」
『ごめんね、なるほどくん。きっと、あたしがいなくて寂しくて泣いているんじゃないかと思って』
「い、いや!な、何を言い出すんだよ!」
『でも大丈夫だからね、ちゃんと、強力な助っ人に行って貰ったから』
「助っ人…?」
『そうだよ!もう凄く張り切っちゃって。“わたくし、立派に代理の勤めを果たしてみせます!”なんて叫んでたからね』
「え、え?何が?」
『もうそろそろ、そっちに着くはずだから。よろしくね、なるほどくん』
「え、ちょっと!真宵ちゃん?」

一方的に用件だけ伝えると、真宵は電話を切ってしまった。

(な、何だったんだ)

確か、助っ人をよこした、とか…。
しかも、先ほどの口調からすると、察するに…思い当たる人物は一人しかいない。
成歩堂の予想はやはり当たったようで…。

「ごめん下さい!なるほどくん、いらっしゃいますでしょうか」

事務所の入り口で、これまた聞き覚えのある人物の声がした。
入り口に顔を出すと、案の定、綾里春美が少し照れたような顔をして立っていた。

「春美ちゃん。真宵ちゃんに聞いたよ。事務所の助っ人に来てくれたんだって?」

成歩堂が声を掛けると、彼女は思い切り気合の入った様子で叫んだ。

「はい、なるほどくん!わたくし、立派に真宵さまの代わりを果たしてみせます!」
「う、うん」
「今日は、わたくしを真宵さまだと思って、思い切り甘えて下さい!」
「よ、よろしくお願いするよ…」
「はい、お任せ下さい」

やたらと張り切っているらしく、春美は元気良く頷いた。
張り切る方向を間違えないといいのだけど…。
少しだけ不安になりつつも、成歩堂はありがたく真宵と春美の好意を受けることにした。
断ると、それこそ平手の一つや二つ飛んできそうだったのもあるが…。

「では、わたくし、早速お掃除を致しますね!」

事務所に入ると、春美は腕捲りをして、一生懸命に散らかった場所を掃除してくれた。

「春美ちゃん、ぼくも手伝うよ」
「よいのです、なるほどくん。殿方はこう言うとき、どっしりと構えて下されば良いのです」
「そ、そう…?」

何となく違うような気もするけれど。
確かに彼女はてきぱきと手際が良いので、任せておいて心配はなさそうだ。
自分だけぼうっとしているのも何となく悪かったので、成歩堂も春美に見付からないように、そっとデスクの上を整理した。



お昼になって…。

「春美ちゃん。そろそろ、お腹空かない?何か食べに行こうか」
「な、な、何を言うのですか、なるほどくん!」
「え、え……?」

何気なく誘うと、いきなりバチンと頬をぶたれてしまった。
成歩堂が呆気に取られていると、彼女は今まで以上に息巻いて、声を荒げた。

「お昼と言えば、愛しい方への愛の籠もった手料理に決まっています!わたくし、作って差し上げます!わたくしは今日真宵様の代わりに来ているのですから、それは真宵様の手料理と一緒なのです…。それとも、なるほどくんは真宵さまの手料理が食べられないとおっしゃるのですか…!」

「え、え…?」

(ま、真宵ちゃんがお昼作ってくれたことなんて、滅多にないんだけど…)

どちらかと言うと、「なるほどくん、ラーメン食べたい」とか「なるほどくん、何か奢って」とか。進んで外食したがるのだが。
でも…逆らうと、もう一発食らいそうだ。

「いや。そ、そんなことないから。ありがたく頂きます」
「では、わたくし、頑張りますね」

渋々頷くと、春美は嬉しそうに笑顔を浮かべた。



それから、訳一時間後。

「なるほどくん、海苔巻きです。かんぴょうの…」

ようやく出来たのか、春美はトレイに乗せて昼食の海苔巻きを運んで来てくれた。
工作が苦手と言っていた割には、結構綺麗に巻けている。
工作と料理は似て非なるものなのか。
成歩堂が変に感心していると、春美は小さく切った海苔巻きを箸でそっと掴んだ。

「ささ、どうぞ召し上がれ」
「う、うん。頂きます」

(……って)

この、状況は。

「はい、なるほどくん。あーん…して下さい」
「……!!!」

(…ううう、やっぱり!!)

これは、何だか物凄く恥ずかしい。と言うか照れ臭い。
二人しかいないとは言え、とても…。

「は、春美ちゃん。じ、自分で食べれるから」

無駄と知りつつ、やんわりと抗議を試みたのだが。

「まあ、なるほどくん!そんな思いやりのない発言、許しません!」

パァン!
やはり、渾身の平手を食らうハメになってしまった。
結局…。

「はい、なるほどくん。あーん…ですよ」
「は、はい…あーん…」

(うう……)

恥じらいを捨てて大人しく口を開けると、春美が一口ずつ食べさせてくれた。

「いかがですか、なるほどくん」
「うん、凄く美味しいよ」

恥ずかしいのはともかく、海苔巻きは本当に美味しい。

「春美ちゃんきっと、良いお嫁さんになるね」
「あ、あ、ありがとうございます」

素直に褒めると、春美は照れたように両手で頬を覆って、顔を赤らめた。



そんなこんなで。
夜になって事務所を閉めると、成歩堂は春美と一緒にここに泊まることにした。
春美を一人で泊める訳にはいかない。
幸い、着替えも幾つかあるし、バスルームもある。
ベッドは…二つあるソファを一人一つずつ、言うことになるけれど…。
まぁ、いいだろう。
お互い入浴も済ませて、いざ横になろうと言う時。

「あの、なるほどくん…」

またしても春美がぐいと腕捲りをして、成歩堂の目の前に立ちはだかった。
何となく、嫌な予感がする…。

「な、何?どうしたの、春美ちゃん」
「わたくし、早速、夜のお相手をさせて頂きます!」
「……?!!」

(は……?)

「どうか、遠慮なさらず!真宵様の代わりに、きっちり勤めてみせます!さぁ!」
「……!!!」

(何だってぇぇぇ……?!!)

予想外のとんでもない提案に、思い切り度肝を抜かれて、成歩堂はソファの上からドターンと転げ落ちてしまった。

「い、いやいや!!何言ってるんだよ、春美ちゃん!!」
「あ、あの…わたくしでは、不服でしょうか…」
「そ、そう言う問題じゃなくて、その…とにかく、そう言うのは、駄目だよ!絶対に!」

いつになく厳しく言うと、春美はしゅんと沈み込んで、がっくりと肩を落とした。

「そ、そうですか。それは…残念です」

(意味解ってるのかよ!!この子は!!)

もう色々と、本当に心臓に悪い。
取り敢えずホッと胸を撫で下ろしつつも、成歩堂は額に浮き出た嫌な汗をぐいと拭った。

「ではわたくし、代わりにご本を読んで差し上げますね」
「う、うん、そっちなら…」

それなら、まぁいいだろう。
何となく立場が逆な気もしないではないが。
成歩堂が頷くと、春美はどこからか古めかしい本を持ってきて、小さな膝の上に広げた。

「では…読みますよ、なるほどくん。ええと、わた、わたしは…わたしは…」
「…?春美ちゃん?」

同じところで突っ掛かって、少しも読み進まない春美に首を傾げると、彼女はすまなそうな顔になった。

「申し訳ありません、なるほどくん。わたくし、漢字が読めないものですから…」
「あ、そうか。じゃあ、ぼくが読んであげるよ。貸してごらん」
「す、すみません、すみません」
「い、いいから。ええと…わたしは彼の背中に腕を回すと、ベッドの上に一緒に倒れ込みました」

(ん…?)

「暫く抱き合った後、彼が求めて来たので深く口付けを…」

って、何だよ、コレ!!!
数行読んで、成歩堂は顔から火が出そうになってしまった。

「は、は、春美ちゃん!」
「はい、なんでしょうか」
「何でしょうか、じゃなくて!!ど、ど、どこでこんな本を!」
「はい。こちらは…恐らく、倉院の里に代々伝わる男女の秘話の…」

(どこが!ただの官能小説じゃないか!!)

一体、誰の部屋から持ち出して来たのか。

「も、もういいから!」

成歩堂は真っ赤になったままで、パタンと勢い良く本を閉じた。

「…?何故引き出しの中に隠すのですか」
「い、いや!これは…後でゆっくり、じゃなくて!後できっちり処分しておくから」
「はい、解かりました」

本当に解かっているのかと、今ほど突っ込みたくなったことはない。
成歩堂は深い溜息を吐いて、ドサリと倒れ込むようにソファに横になった。
何だか一気に疲れてしまったように思う。

「もういいから、寝よう。春美ちゃん」
「は、はい」
「今日はありがとう、本当に助かったよ」
「い、いえ。どういたしまして」

同じくらい、酷い目にもあったけれど…。
それは心の中に閉まって、成歩堂は笑顔を作った。

「じゃあ、電気消すよ」
「はい、お休みなさいませ」

電気を消すと、事務所の中は真っ暗になった。



その、数分後。

「あの、なるほどくん」
「……?」

既にまどろみの中へ落ちかけていた成歩堂は、小さく呼ぶ声に起こされて、目を開けた。
声のした方を見ると、春美がクッションを抱えて目の前に立っていた。

「どうしたの、春美ちゃん」
「あ、あの…。わたくしも、そちらで寝ていいでしょうか」
「……え」

もしかしたら、慣れない場所で、ちゃんと寝付けないのだろうか。
かなりしっかりしているようでも、やっぱり春美はまだ子供なのだ。

「うん、いいよ。おいで」
「…!はい!ありがとうございます」

成歩堂が頷くと、春美は満面の笑みを浮かべて、その後少し照れたように顔を伏せた。

「で、では、お邪魔致します」
「うん、どうぞ」

やたらかしこまった挨拶をした後、春美はソファの上によじ登って来た。
ベッドと違って狭いので、彼女が落っこちてしまわないように、そっと腕の中に抱える。
やがて、温かい人の体温にやっと安心したのか…。
すぐに気持ち良さそうな寝息が聞こえ出すのを確認して、成歩堂も静かに目を閉じた。



END