josh
幾度か訪れたことのある、きちんと整理された広い部屋。
この場所で、何でこんなことをするようになったのか。理由を考えようとして、成歩堂は途中で思考を停止させた。
代わりにふと顔を上げて、真っ向から自分に覆い被さる相手の肩越しに見える薄暗い天井に視線を移した。
首筋に掛かる吐息が熱くて、ぞくりと肌が粟立つような感覚を覚える。四肢は圧し掛かる相手に押さえ付けられて、びくともしない。さっきから聞こえているのは、少し乱れた一人分の息遣いと、濡れたような音だ。
「……ぅっ」
羞恥から逃れたくて目を閉じようとした瞬間、体の中心に走った痛みに堪らず呻きが上がった。
それはごく小さいものだったけれど、今自分を抱いている相手、御剣怜侍はすぐに気付いたように動きを止めた。
「成歩堂、辛いのか」
探るような声に目を上げると、熱を帯びた視線が絡む。何だか落ち着かなくて、成歩堂はすぐに顔を逸らした。
「……別に。そんなこと、気遣って貰わなくてもいいよ」
「それは失礼」
精一杯の強がりに、くく、と喉の奥で御剣が笑いを漏らす。
その様子に憮然とした顔をしながら、成歩堂は不満そうに口を開いた。
「大体、何でこんな場所でこんなこと……」
何故、彼はこんなことをするのか。場所のことばかりではない。どうして御剣は、成歩堂を抱こうとするのか。それは、ずっと知りたいと思っている疑問だ。でも、バカ正直に尋ねることが出来なくて、こんなときにしか口に出来ない。だから、御剣も本気で答えてはくれない。
「……君の方こそ、何故黙って受け入れているのだ」
「……」
逆に問い掛けられ、成歩堂はますます不服そうに眉根を寄せた。
けれど、確かにこの男の言う通りだ。ここへやって来たのは、紛れもない自分の意思でだ。とは言っても、こんなことするつもりだった訳じゃない。一介の弁護士には、上級検事の執務室なんて滅多に訪れる機会がないけれど、プライベートでの知り合い同士なら、話は少し違って来る。話したいことがあって電話をしたら、ここまで来いと言われただけだ。ただ、その話に乗っただけなのに、ふと気を逸らした瞬間に腕を掴まれ、気付いたらデスクに押し倒されていた。
でも、別に拘束されている訳ではないし、強請されている訳でもないから。逃げ出そうと思えば、今すぐ圧し掛かる肢体を押し退けて、立ち去ってしまえばいい。でも、何故か出来ない。腕に力は入らない。御剣の熱い肢体が近付くと、意図せず体が竦んでしまう。
暫く二人の間に沈黙が流れると、御剣はそれを打ち破るように不意に成歩堂の中を突き上げた。
「……っ!」
体の中心に衝撃が走って、短く息を飲む。それでも、声を上げずに済んだことに、成歩堂は胸を撫で下ろしていた。
みっともないところなんて、見せたくない。ぎゅっと握り締めた手の平には爪の先が食い込んで痕になっていた。
「きみは……思っていることがすぐ顔に出る」
「……」
数秒の間の後、さっきの会話の続きなのだと気付いた。
相変わらず緩く与えられる動きに耐えながら、成歩堂は声が乱れないように細く息を吐きながら返答した。
「それが、何だって言うんだよ?」
「さぁ……どうかな」
「……」
この含みのある話し方が、いつも気に入らない。
何もかも見透かすような彼の視線から逃れるように、成歩堂はそっと目を逸らした。視線だけ逸らしたところで、こんな状態ではどうと言うこともないけれど。代わりに、露になった首筋に歯を立てられ、仰け反った喉がひくりと震えた。彼は戯れでこんな行為を強いておいて、こちらの内面までも赤裸々に暴こうと言うのか。
柔らかい内壁を何度か突き上げられると、無意識に漏れる声が御剣を愉しませるのは知っている。だから、いつもぎりぎりまで声を殺して。けれど、まるでいたぶるように気まぐれに与えられる快楽に翻弄され、徐々に痛みは薄れて行くのも、知っている。
こんなことを繰り返している内にいつか彼に捕まってしまうようで、それが堪らなく不本意だった。
「成歩堂」
「……ん」
執拗にいたぶるような動きを繰り返した後。不意に彼はこちらの耳元に囁くように声を掛けた。すぐには反応出来なくて、涙で潤んだ目を上げる。どうしたのだと視線で訴え掛けると、御剣は淡々とした調子で告げた。
「惜しいが、時間がもうない」
「……え?」
「約束しているのだよ、刑事と。もうあと五分ほどでここに来る」
「なっ、何だって!」
予期していなかった言葉に、冷や水を浴びせられたようにハッとして、引き攣った声が上がった。刑事とは、恐らく糸鋸刑事のことに違いない。
(な、何でイトノコさんが!)
理解すると同時に、成歩堂は慌てて御剣の肢体を押し返した。奥深くまで繋がっている状態で、おいそれと離れる訳ではないけれど、一刻も早く退いて欲しかった。
「そう言う訳で、今日はここまで、だ」
「わ、解かってるよ!」
御剣が、この戯れもここまでと言うように頷き、成歩堂は体からゆるりと力を抜いた。
その、直後。
「ぅぁ……?!……っ!」
そのまま、侵入していた場所から出て行くと思っていた御剣が、何を思ったか、再び成歩堂の腰を抱え直した。咄嗟にもがこうとしたけれど、熱い手で抱き抱えられた腰はびくともしない。
「なっ、何をっ」
そうして浅く内壁を抉られ、先ほどとは違う感触に体が強張る。同時に、急激に快感が押し寄せて、成歩堂は引き攣った声を上げた。
「や、止め……?!ぅあ……ッ!」
そこが、男が酷く感じる場所なのだと、成歩堂はまだ知らない。ただ、乱暴なまでに押し寄せる刺激に必死にもがくことしか出来ない。けれど、御剣は成歩堂が逃げるのを許さなかった。
時間がないと、つい今しがた言ったのは、紛れもない彼ではないか!
けれど、今はそんなことを口にする余裕もない。
「み、御剣……、はな、せ……、ぁっ!」
途切れ途切れに上がる声が、自分のものではないようで、成歩堂は耳を覆いたくなった。
そうして……。
「……ん、ぅっ……?!」
(……え?)
続いて、御剣のそれでぴたりと唇が塞がれて、一瞬呼吸が止まる。
何……。何、を。
その行為が、所謂キスと言うものだと気付くまで、相一瞬の間があった。
今まで、何度こう言うことをしても、こうして触れて来る事はなかったのに。
「……んっ!」
彼の舌先が唇を割って口内に侵入し、少しずつ内部を融かすように蠢き出した。
徐々に意識が快楽に飲み込まれて、視界が極端に狭くなる。
頭の奥が熱くなって霞み掛かったようにぼやけて、御剣の体温と、間近で揺れる灰のような色の髪しか目に映らない。
「はぁ……っ、は……っ」
そのまま容赦なく追い詰められ、正に限界ぎりぎりと言う時。
「うぁ……っ!?」
急に、御剣が腰を引き、成歩堂は悲鳴のような掠れた声を上げてしまった。壁と彼に支えられる形で立っていた体が、その場にずるずると崩れ落ちる。
「な、……っ?」
何が起きたのかまだよく解からない頭で、たった今まで繋がっていた相手を見上げると、彼は薄い笑いを浮かべながら口を開いた。
「もう時間だな……。残念だが、行きたまえ」
「―――なっっ!!」
あまりのことに、咄嗟に返答を返すことが出来ない。
御剣の方も、端からこちらの返答など求めていないのか。素早く衣服を整えると、どかりと自分の席に腰を下ろした。息一つ、衣服一つ乱れていない、何事もなかったような顔で。
「御剣、お前……っ!」
焦燥を含んだ声を上げると、何食わぬ顔でこちらを向く。
「きみも早く服を着ろ。糸鋸刑事に見られてもいいのか」
「……っ!」
あくまで何事もなかったように振舞う彼に、成歩堂はぐっと息を詰まらせたけれど、これ以上何か言っても無駄なのだと察して、仕方なく首を縦に振った。
「……解かったよ」
「それでいい」
悔しそうに唇を噛んで、行為の痕が残る体を拭い、衣服を整える。汗の浮き出たシャツが肌に触れて不快極まりないけれど、そんなことにも構わず、成歩堂は荷物を引っ掴んで乱暴に扉を開けようとした。
「ああ、それから」
「……?」
途端、御剣の声が掛かって、動きを止める。
「何だよ、まだ何かあるのか」
恨みがましい視線を向けながら、僅かなお返しとばかりにそんな台詞を述べたけれど、彼はそんな皮肉など少しも効いていないように、相変わらず静かな笑みを浮かべながら口を開いた。
「もし続きがしたければ、夜に私の家にくればいい」
「……!」
「待っている、成歩堂」
「……っ!だ、誰がっ!」
誰が行くか!!
叫びは声にならず、成歩堂は悔しさのあまり歯噛みしながら思い切り扉を閉めた。さっさと立ち去ってしまいたかったけれど、先ほどまでの戯れのせいで、足腰に力が入らない。
(覚えとけよ、あいつ!)
思い切り胸中で叫びながら、成歩堂は今頃勝ち誇ったような笑みを浮かべているであろう男を思って、頭に血を昇らせた。
終