Night
「えええ?!ストーカー?!」
「しーっ!声が大きいよ、真宵ちゃん!」
二人で一緒に買い物に出掛けて、その帰り。
不意に会話の途中で真宵が大声を上げて、成歩堂は焦ったように静止の言葉を掛けた。
「あ、ごめんね……つい。でも、本当なの?なるほどくん」
「う、うん……。まだはっきりした訳じゃないんだけどね」
心配そうに覗き込んで来た真宵に、成歩堂は困ったような笑顔を浮かべた。
実は最近、ストーカー……と言うには大袈裟かも知れないけれど、何だか誰かに後を付けられているような気がするのだ。
最初は気のせいだと思っていたけど、どうもそうでもないらしく……。それがここ数日成歩堂を悩ませていた。
「でもなるほどくんも人気者ってことだね、おめでとう」
「い、いやいや、何言ってるんだよ」
「何かあったら、相談したら?イトノコさんとか、御剣検事さんとかに」
「う、うーん、そうだね」
最初の心配そうな様子などはどこへやら。にこにこと笑顔を浮かべながら暢気な台詞を吐く彼女に、成歩堂は複雑な表情で相槌を打った。
御剣や糸鋸刑事に相談する……か。
真宵の言う事は尤もだけど、どうも気が進まない。
御剣には……何となく、言いたくない。きっと、心配するだろうし……。
イトノコに言ったりしたら、多分ことが大きくなるだけだ。
でももし、本当に誰かが後を付けているんだったら、一体誰なんだろう。
思い当たる人物なんていない。裁判で恨みを買っているとか?考えられることは全くない訳じゃないけど、解からない。
成歩堂は腕組みをして首を傾げてみたけれど、何かが解決する訳ではなかった。
その晩。
御剣と仕事が終った後に会う約束をしていたので、成歩堂は真っ直ぐに彼の部屋へと向かった。
御剣とは、何と言うか……少し前から周りには言えないような付き合いをしているのだけど……。
そんな関係である彼と会っていても、どうしてもあのことが頭を過ぎってしまって、成歩堂は何度も首を打ち振った。
いっそ、相談してしまおうか…。
でも、彼は態度が大きい割りに意外と気が小さいところがあるから、心配し過ぎてしまうかも知れない。
だから、はっきりするまでは言わない方がいいだろう。
そんなことを考えて、成歩堂はもやもやとした嫌な感情を無理に頭の隅に追いやった。
そうこうしている内に時間はあっと言う間に流れ、夜中近くになると、成歩堂は時計を見て眉根を寄せた。
「あ、もうこんな時間か、そろそろ帰るよ」
「ム、そうだな……気を付けて帰りたまえ」
「うん、そうするよ」
少し名残惜しそうにそんな会話を交わして、成歩堂は御剣の部屋を後にした。
その、僅か数分後。
(ん……?)
何だか嫌な気配がして、成歩堂はふと後ろを振り返った。先ほどから自分と同じ速度で歩く足音が聞こえた気がしたのだけど。 真っ暗な闇の中に、今のところ人影は見えない。
でも、成歩堂が立ち止まった途端、足音もぴたりと止んだ。気のせいかと思って歩き始めると、再び聞こえる。
これは、まずい。
誰かが、確実に自分の後を付けて来ている。
そう言えば、この気配は、御剣の部屋を出てからずっとだ。成歩堂が足早になると、足音もそれに比例して早くなる。
これはもう、間違いないだろう。
(誰なんだ、一体?!)
別に、女の子と言う訳じゃないから、そんなに怯えることはないのだろうけど。でも、やっぱり結構嫌なものだ。
ぞく、と背筋を走り抜けた悪寒をやり過ごして、成歩堂はごくりと喉を上下させた。
他に人通りもないし、御剣に助けを求めるには今来た道を引き返さなくてはいけない。そうすれば、背後の人物と鉢合わせてしまう。
電話しようにも、こんな静かな夜道じゃ会話が筒抜けだ。
ここはもう、仕方ない。自分の身は自分で守るしかないのだ。
腕っ節には自信がないけれど、不意打ちなら相手も油断しているはずだ。
訴えられて裁判になっても、正当防衛を主張すれば大丈夫なはずだ。多分……だけど。
焦りと恐怖のせいで訳の解からない結論を弾き出すと、成歩堂は電柱の影に隠れて、ぐっと息を詰めた。
相手も、まさか自分の方が待ち伏せされているなんて、夢にも思わないだろう。
その隙に攻撃して、一気に逃げる。それしかない。
そうして、人影が曲がり角から僅かに覗いた、正にその時。
くらえ!と言う大声と共に、成歩堂は渾身の力を込めて拳を滅茶苦茶に突き出した。
次の瞬間。
成歩堂の拳には強い手応えがあり、辺りには、バキ!と言う何だか嫌な音が響き渡った。
「……っ」
同時に、相手からは小さな低い呻き声が上がる。
(ん……?)
その声が耳に飛び込んで来た途端、成歩堂はぴたりと動きを止めた。
(え……、あ……あれ?)
今、一瞬だけど相手から漏れた声。
何だかよく解からないが、確かに聞き覚えがある。
真っ暗なで顔はよく見えないけど、今のは…。まさか。
思わず、ごくっと喉を鳴らしたそのとき。
「い、いきなり何をするのだ、きみは!」
「……?!」
ちょっと驚いたような、恨みがましそうな声が耳元に聞こえた。
(え……)
聞き覚えがあるも何も、この声は……。
「み、御剣?!」
地面にちょっと不恰好に転がっているのは、間違えようもない。ついさっき別れたばかりの、御剣怜侍その人だ。
全く事態が飲み込めず、成歩堂が呆然とする中、御剣は痛そうに頬をさすってからのろのろと起き上がった。どうやら、顔面に入ってしまったらしい。
(何だ何だ、何で御剣が?!)
まさか、彼がストーカー?!
検事局始まって以来の天才ともあろう男が、しがない弁護士である自分のストーカーとは。
い、いやいや、落ち着け。そんなバカな。
「お前、何やってるんだよ……!ストーカーだと思ったじゃないか!」
「う、ム、その……」
混乱する頭を抱えながら、目の前の人物を問い詰めるように距離を詰めると、彼は心底バツの悪そうな顔をして、俯いてしまった。
「この期に及んでしらばっくれても仕方ないだろ!さっさと言ってくれよ!」
ホッとした弾みで気が緩んだのもあって、ついついきつい口調になって更に問い詰めると、御剣は叱られたように小さく肩を竦めた。
そうして、ようやく口を開いて、ぼそりと消え入りそうな声を上げる。
「だから……その……」
「うん?」
「……心配だったのだ、君のことが」
「はぁ……?」
「だからせめて、きみが家にちゃんと着くまで、見届けようと……」
「ええぇぇ?」
「だが、ストーカーに間違われた上にいきなり殴られるとは…私も思っていなかった」
「……そ、そうだったのか。それは、悪かったよ……」
慌てて謝罪したのはいいけれど、ふと思い当たることがあり、今度は探るような目を向ける。
「あのさ、もしかしてこのところずっとぼくの後を付いて来てたのも、お前だったのか?」
「………」
「なぁ、御剣?」
なかなか返答をしない御剣に痺れを切らして、促すように名前を呼ぶと、数秒の沈黙の後。
微妙に頬を染めてこくんと頷いた御剣に、成歩堂は危うく眩暈を起こしそうになってしまった。そう言えば、誰かに付けられていると思ったのは、いつも御剣と別れた後だった。気付かなかった自分も間が抜けているけれど。
「な、なんだよ……。だったら何で言ってくれなかったんだよ」
「すまない、言い出せなかったのだ」
「な、なんでそんな……」
「きみは、以前に車で送ると言ったときも……断っただろう」
「それは……、あんな派手な車……目立つから」
「…まぁ、とにかく…、きみがいけない」
「……ええ?」
いつの間にか自分が責められ、しかも何だか恨みがましい目で見詰められて、成歩堂はがっくりと脱力してしまった。
「解かったよ、もういいよ。ぼくにも悪いとこがあったんだし」
「……ム」
「ぼくこそ…殴って悪かったよ」
「いや、大丈夫だ」
「まだ痛いかな」
そっと歩み寄って顔を覗き込むと、彼はゆっくりと首を横に振った。
「大丈夫だ。しかし、きみが相手を撃退しようとするとは思っていなかった。本当に……いらない心配だったようだな」
「な、何だよ、それ!結構怖かったんだぞ!」
「だから、悪かった」
「……。はぁ〜……」
何度目になるか解からない溜息を漏らして、成歩堂は再びどっと脱力してしまった。
その後。
「成歩堂」
「うん?」
「その、今晩のように遅くなった時は、その……私の部屋に泊まっていくといい」
「え……っ」
「それが一番いいだろう」
「う、うん……、そう、だね」
「へ、変な意味ではない!誤解はするな!」
「し、してないよ!!」
そんな会話を交わしながら、成歩堂はようやく何の懸念もなく夜道を歩けるようになったことに、ホッと胸を撫で下ろした。
終