objection!
「なぁ、聞いてんのか!成歩堂!」
先ほどから、自分の恋の行く先について延々と愚痴を零していた矢張は、相手がとてつもなく上の空なことに気付いて、責めるような視線を向けた。
今は夜中なので、約束もなく部屋に転がり込んで喚いているのは迷惑かも知れない。確かに、こう言うとき、もう一人の幼馴染の御剣だったら、喚く矢張に冷静かつ冷酷な対応を示し、挙句に即追い出してしまうに違いないだろう。けれど、今目の前にいるのは彼ではなく、成歩堂の方だ。彼はなんだかんだ言いながらも、結局は矢張の相手をしてくれていたのに。どうしたんだろう。
「ああ、ごめんな、矢張」
こちらの恨みがましそうな視線に気付いた彼は、ハッとしたように顔を上げて謝罪の言葉を吐いた。
でも、何だかその頬が心なしか赤いように見える。矢張の話に中てられたようにはとても見えない。
「お前、熱でもあんのか?」
流石に心配して顔を覗き込むと、彼は焦ったように首を振った。
「え、い、いや、そうじゃないよ」
「じゃあ、何よ」
「い、いや……、別に、何って訳じゃなく」
珍しく口籠もる彼に、矢張はぴんと来るものがあった。何か、様子が可笑しい。
「何だよ!隠し事かよ!水臭いぞ、成歩堂!」
ぎゅっと拳を握り締めて喚くと、彼は慌てたようになだめて来た。
「大声上げるなよ!隠し事とか、そう言う訳じゃなくて」
「だから、どう言う訳よ?」
「いや、ちょっとさ、悩んでいるんだよね」
そう言って、成歩堂は頬杖を突いて、ふーっと溜息を吐き出した。
(ん?)
その溜息の吐き方に、矢張はまたしても妙な勘が働いた。
仕事とか、お金とかの悩みじゃない。何と言うか、今のは紛れもなく恋に関する溜息だ。自分がいつもそんな溜息ばかり吐いているからよく解かる。
「成歩堂、悩みがあるなら話せよ。この俺様にさ」
「うーん」
自信満々に親指を立てて宣言すると、彼は本当に困り果てたように眉根を寄せた。
何度か溜息を吐いたり考え込む仕草を見せた後、思い切ったように口を開いた。
「……矢張」
「何よ」
「お、お前さ……、キスって、どういうときにする?」
「は……?」
「だから、キスだよ!何度も言わせないでくれよ」
照れ隠しなのかなんなのか、成歩堂は薄っすらと頬を赤らめ、声を荒げた。
成歩堂からそんな言葉を聞くとは。まさか、相手はあの可愛い真宵だろうか。
真宵に、キスの一つでもしようと言うのか。それとも、まさかあの春美の方か。大きくなったらきっと目も覚めるような可愛い女の子になるに違いない。それを見越してなんて、意外とスキのない。何てことだ。
「狡いぞ、成歩堂!お前!俺にもさせろ!」
「な、何だよ!いきなり!」
思い込みが膨らんで勢い余って掴み掛かると、彼は驚いたように目を丸くした。
「だから、真宵ちゃんだろ?それか、春美ちゃん。それとも冥ちゃんか」
「い、いやいや、違うよ」
「じゃあ、誰よ」
「そ、そんなことはどうでもいいだろ!いいから、答えてくれよ!」
彼の必死な様子は、どうも嘘を吐いているように見えない。考えてみれば当然か。成歩堂にそんな甲斐性があるとは思えない。すんなり失礼な理屈で自分を納得させて、矢張は改めて彼の問い掛けを頭の中で反芻した。
キスは、どう言うときにするか。そんなこと、決まっているではないか。
「う、うーん、そうなァ……やっぱ、好きな人に、そうしたいと思ったから、だろ……?」
当然のことを告げると、成歩堂は妙に神妙な顔になって、視線を伏せた。
「そ、そうか、そう……かな」
見ると、頬がますます赤く染まっている。伏せた目も、何だか心なしか潤んでいるようにすら見える。何だ、この妙な色気は。思わずドキッとしてしまった心臓を押さえて、矢張は慌てて首を横に振った。とにかく、この自分を出し抜いて色ボケするなんて。これは、ただごとじゃない。
「何だよ、どうしたんだよ!成歩堂」
「いや、あの……だから、ある人にその……」
「ん?」
「キス、されたんだよ」
「キス……?」
「そ、そう、キス……」
「酔っ払ってたとか?」
「いや、しらふで」
「寝惚けて間違えたとか?」
「いや、そう言う訳じゃ……成歩堂、って言ってたし」
「ふーん」
聞きながら、矢張は何だか胸がむかむかするのを感じていた。
自分で聞いておいてなんだけど、成歩堂の話の内容が、何だか面白くない。いきなりキスして来るような女の子が、彼にはいる。それが、かなり不服だ。親友らしからぬ感情だけど、仕方ない。矢張だって、女の子は大好きなのだから。
だいたい、ずっと一緒にいたけれど、彼のこんな顔はあまり見たことがない。
「随分積極的な女の子よなぁ。で、その子、あんたの何なのさ」
「い、いや……女の子、じゃなくて」
「……女の子じゃないってことは、おばあさんか、やるな、成歩堂!」
「ち、違うって!お、男だよ」
「………………は?」
こいつは今何と言った?
男……?
相手は男だと……?
「成歩堂お前……」
「だ、だから悩んでるんだよ!」
思わずまじまじと顔を覗き込むと、成歩堂はむきになったように声を荒げた。
「そ、そうなのか」
「そうだよ。ぼくだって訳解かんないよ」
そう言って、不貞腐れたように言い捨てて、彼はそっぽを向いてしまった。
その横顔を見ながら、矢張は不可解な感情を感じて首を傾げた。
ともかく、相手は女の子じゃない。可愛い女の子じゃないってことが解かった。
それなのに、何故かすっきりしない。それどころか、先ほどより胸がむかむかしている。
何が面白くないのだろう、自分は。
「……成歩堂、あのさ」
「うん」
「試してみれば解かるんじゃねぇの?」
「……?」
気付いたら、そんな台詞が勝手に口を突いて出ていた。
突然の台詞に、成歩堂の目が何のことだと言うように見開かれる。
「……何をだよ」
「キスされて悩んでるんなら、誰にされても悩むのか、試せばいいだろ」
「矢張……?どう言う……」
どう言うことだと、問い掛けた成歩堂の顔をいきなり両手で引っ掴んで、矢張はぐいっと思い切りこちらに引いた。
「んぅ!?」
痛いほどに唇がぶつかる感触と同時に、くぐもったような声が、成歩堂の口から上がった。構わずに、尚も強く唇を押し付けると、彼が驚愕したように息を飲む気配がした。
何年も前から親友の彼だけど、当然、こんなことするのは初めてだ。ふざけてじゃれあったりしたことはあるけれど、それだけだった。
キスくらい、他の誰かと何度もしたことがあるけれど、何だか、初めてするような感覚に襲われて、矢張自身も困惑してしまった。
「んんっ、んっ」
成歩堂はまだ何が起きているのかよく解かっていないのか、言葉にならない声を上げるだけで、抵抗しようとしない。それを良いことに、矢張はもっと強く柔らかい感触を味わおうと唇に軽く吸い付いた。
柔らかくて、温かい。男なんて、と思っていたけれど、意外に心地良い。
でも。この感触を、少し前に味わった誰かがいる。そう思うと、何故か少し腹が立った。その怒りに任せて、矢張は強引に唇を割って舌を捩じ込んだ。
「っ!」
その途端、ようやく我に返ったのか、ドン!と胸板を思い切り押された。
「何すんだよ!成歩堂!」
「こっちの台詞だろ!お前こそ、何するんだよ!!」
「何だよぉぉ。折角確かめてやろうと思ったのによぉ」
「だ、だからって、し、舌まで入れることないだろ!」
「うーん、ま、そうよなぁ」
それも尤もだ。自分だって、そこまでするつもりはなかったからだ。でも、何となくそう言う気分になってしまったのだから、仕方ない。
気が抜けたように同意しつつも、矢張は真っ赤になったり青褪めたりと忙しい成歩堂の様子をじっと見詰めた。
この、反応は。もしかして、その相手とやらとは、そう言うキスまではしなかったと言うことだろうか。
そう思うと、妙に胸がすっとした。してやったり、と言う気分だった。
「とにかく!もうお前には絶対に相談しないよ」
「そう言うなよ!親友だろ!」
「そう、だけどさ。相談したぼくがバカだったよ」
「ま、気にするなよ、成歩堂。男はでっかくな」
「訳解かんないよ、お前」
ハァ、と溜息を吐いて、成歩堂は頭を抱えた。
その後、成歩堂とはそれ切りで別れて、矢張もすぐに新しい恋を追うのに夢中になってしまった。だから、彼がその後、例の相手とどうなったかは解からない。
ただ、一つだけ。何となくだけど、もう一人の親友からの風当たりが妙に強くなったような気がする矢張だった。
終