repentance
ずっと、決着を付けなくてはいけないと思っていた。
自分自身と、美柳ちなみに。
今、その時がやっと来たのだ。
成歩堂龍一は、汗ばんだ拳をぎゅっと握り締めて、そして叫んだ。
「真宵ちゃんの中から出て行って貰おうか!!」
成歩堂の言葉に、彼女は頭を抱えた。
続いて、長い唸り声と、耳を劈くような悲鳴。
―アタシ…マダ…キエタクナイ…。
途切れ途切れに、息苦しさを感じるような声。
そして、法廷中の人々が、ざわめきを上げながら、その最後の言葉を聞いた。
―……。
(…ん…?!)
一部始終を見守っていた成歩堂は、ふと、何かが聞こえた気がして眉を寄せた。
ざわめきのせいで、はっきりしなかったけれど。
今、最後に…。
青い命の火が燃え尽きる瞬間、もう一言、何かが聞こえたような気がした。
今のは、幻聴だったのだろうか。
けれど、この時。
それ以上、そのことを頭の中で追求している暇はなかった。
「なるほどくん。実は…あたしまだ、なるほどくんに言ってないことがあったんだ」
「え?な、何?」
突然、真宵がそんなことを言い出したのは、全てが終ってから、数日が過ぎた頃だった。
何のことか解からずに首を傾げると、彼女はあの日の事件と裁判について語り出した。
「え?ま、まだ何か隠していたの?真宵ちゃん!」
「違うの!あの時は色々あって混乱してたし…実際、全然意味が解からないことだったし…。でも、今になって思い出したことがあるんだ。聞いてくれるかな?美柳ちなみのことなんだけど」
「……!!」
(美柳・・・ちなみ)
又、この名前を聞くことになるとは思わなかった。
でも、今ほど、この名前を冷静に受け止められたことはない。
もう、彼女は自分にとって過去の人物なのだ。
何を聞いても、動揺したりしない。
そう思って、成歩堂はこくんと一つ、首を縦に振った。
「うん、言ってみなよ。その方が真宵ちゃんもすっきりするかも知れないしね」
「うん!じゃあ…話すね、なるほどくん!」
にこっと笑って、それから彼女は何かを思い出すような遠い目になった。
「ええと、あの時…奥の院でのことだけど…」
「ああ、危なかったね、あの時は」
「うん、それでね…美柳ちなみ、あの人…あたしに襲い掛かろうとしたとき、呟いたことがあったの」
「…呟いた?」
「うん。怖かったから、よく覚えてなかったんだけど…」
「そ、それで…?!彼女は何て言ったんだ!?」
「ま、待って、今話すから」
「あ…ご、ごめん」
自分が、思い切り身を乗り出していたことに気付いて、成歩堂はハッとした。
今更、又…何を動揺しているのだろう。
別に、何か聞いたからと言って、何も変わることはない。
全てはもう明らかになったはず、なのだから。
真宵はこほんと一つ咳払いをして、気を取り直すと再び話始めた。
「綾里真宵、覚悟…みたいなことを言って、それから、恨むなら綾里千尋を恨みなさい…、とか、それから…」
「そ、それから?まだあるのかい?」
「そう、えっと…よく聞えなかったんだけど、“あやめに代わって側にいる、自分のことも恨むのね”…って」
「……?」
あやめに代わって側にいる?
どう言う、意味だろうか。
「それでね、思い出したばかりの時は、よく解からなかったけど…今思うと、それ、なるほどくんのことじゃないかなって」
「え…?!ぼく…?!」
予想外の真宵の言葉に、成歩堂は素っ頓狂な声を上げた。
「え、ど、どう言うことかな…」
「うーんと、つまり…まず、あやめさんの代わり、って言うのがどんな意味なのかが重要だよね」
「う、うん」
「あやめさんて五年前、なるほどくんの側にずっといたんでしょ?それで、今、なるほどくんの側にいるのは?」
「え、そりゃ勿論…ま、真宵ちゃんだよな」
(って……)
え……?
「美柳ちなみは、お姉ちゃんの妹であるあたしと、なるほどくんの側にいるあたしのことが、憎かったんじゃないかなって…」
「…それって、どう言うこと、だろう…」
確かに。
大っ嫌いだった、癪に障る男、とは言われた。
でも、そこまで殺意を駆り立てるほど、彼女の憎悪は強かったのだろうか。
そう言うと、真宵は首を横に振った。
「そうじゃないと思うよ。逆、じゃないかな。美柳ちなみにとって、なるほどくんて特別だったんじゃないかって…」
「…?!止めてくれ!!な、何言ってるんだよ!」
気付いたら、バン!と思い切りディスクを両手で叩いていた。
容赦なく叩いた為、掌がひりひりと痛む。
でも、そんなことに構っている余裕はなかった。
「いいかい、真宵ちゃん。ぼくは彼女の口からはっきり言われたんだよ?初めて会った時から大っ嫌いだったって。それに、彼女はぼくを…ぼくを殺そうとしたんだぞ?!」
「でも、美柳ちなみとなるほどくんは二回しか会ったことないんでしょ?それなのに、そこまで言うって、何か、変じゃない?」
「…そんなこと、何とでも説明がつくよ!」
「そう、かも知れない…。でも、あたし…意識が戻ってなるほどくんを見たとき、何だか凄い変な気持ちになったの。今まで体験したことないような」
「そ、それは…あんな怖い思いしたから、安心して…」
「そう言うんじゃないの、上手く言えないけど、何か・・・苦しいくらいに憎くて堪らなくて、でも同じくらい悲しくて、気を付けてないと心がバラバラになってしまいそうで、どうしようもない…みたいな」
「……」
「胸の中がぐちゃぐちゃで、吐き気がしそうだった…」
(それって…どんななんだ)
「暫くしたら、すぐ消えちゃったけど。あたし忘れられないんだ、あの気持ち…」
「でも、霊媒してる時って、意識ないんだよね?だったら、そんなこと、ある訳ないよ」
「そう、なんだけど…」
真宵はまだ何か考え込んでいるようだった。
(心がバラバラになりそうって…一体、どんな気持ちだよ)
ずっとそんな思いを、自分に対して抱いていたと?
そんなこと、想像も出来ない。解からない。
暫くして、真宵は顔を上げると、重い沈黙を破って再び口を開いた。
「これは予想なんだけど…」
「…う、うん」
(何だか、聞くのが怖いな…)
成歩堂の予想通り、真宵が告げたことは、先ほど自分が考えたこととほぼ一緒だった。
「美柳ちなみは、ずっと…なるほどくんのこと忘れられなかったんじゃないのかな。五年間、ずっと」
「……」
そんなことが…。
ある訳ない。馬鹿げてる。
彼女は言ったんだ、ちゃんと。
『大っ嫌いだったわ。初めて会った時から。甘ったれで、人を信じることしか出来ない…』
最初から、真実なんか、なかった。
その最後の瞬間まで、彼女には…。
「……?」
あ……。
最後の瞬間。
その言葉を思い巡らした直後。
本当に唐突に、成歩堂の頭の中に、この前の裁判の光景が鮮明に脳裏に甦った。
「真宵ちゃんの中から出て行ってもらおうか!!」
夢中で叫んだ自分の声と、耳を劈くような、彼女の悲鳴。
そして、彼女の最後の言葉。
『アタシ…マダ…キエタクナイ…』
そうだ、この時。
自分は何かを聞いたのだ、確かに。
あれは…。
アタシ…マダ…キエタクナイ…。
キエタクナイ…。
…リュウチャン…!!
「……っっ!!!」
心臓が止まるかと思った。
咄嗟に頭を両手で抱えて蹲った成歩堂に、真宵が慌てて駆け寄って来た。
「なるほどくん!だ、大丈夫?!」
そんな、訳…。
そんな訳、ない!!
(彼女が、ぼくの名前を呼んだなんて、そんな…)
「なるほどくん?どうか、した・・・?」
顔を上げると、心配そうに自分を覗き込んでいる真宵と目が合った。
「い、いや…何でもない」
今更、何を動揺しているんだろう。
(しっかり、しろ…)
この、真宵の命を奪おうとした彼女。
真宵が無事だったことの方が、もっともっと重要なことだ。
それに、そんなことはもう、どうでもいいことなんだ。
「ごめんね、あたしが変なこと言ったから…」
「もういいよ、真宵ちゃん。これは終ったことなんだから」
「でも、なるほどくん…」
「いいんだって、もう…」
俯く真宵に、成歩堂は静かに首を振って、彼女を励ますようにそっと笑みを浮かべた。
けれど。
昼間、そんな話をしていたからだろう。
その晩、やたらとリアルな、彼女…ちなみの夢をみた。
夢の中の彼女は、あの愛くるしい天使のような顔で、にっこりと笑っていた。
「だから言ったじゃない、相変わらずマヌケなのね、って」
「ちなみ…さん…」
「お人よしのリュウちゃん、あんたには解からない、あたしのことは一生…」
「教えてくれ、きみは、本当は何を考えていたんだ?」
「もういいじゃない、そんなこと。今更知って、どうするの?」
「……」
「…でも、そうね…。あたしは、あんたには…あんたにだけは、会わなければ良かったのかも知れない」
「ちなみ、さん…」
「でも、言ったでしょう?もう、どうでもいい…」
そう言うと、彼女は白い華奢な手をこちらに伸ばして、成歩堂の頬をそっと撫でた。
「だから、さよなら、リュウちゃん」
それだけ言って、美柳ちなみは成歩堂にくるりと背を向けた。
その姿が段々と薄れて行く。
「ちょっと…!待ってくれよ!」
呼び掛けに反応はない。
成歩堂は知らず、拳をきつく握り締めて叫んだ。
「待ってくれよ、ちなみさん!ちいちゃん……!」
一度だけ、大声でそう呼んだけど。
勿論、彼女はそのまま成歩堂の元へ戻ることなく消えてしまった。
「……あ」
目が覚めて、酷く空虚な気持ちだった。
しかも、夢の内容もしっかりと覚えている。
頬に触れた、ひやりとした手の感触まで、克明に。
だとしても…。
解かっている。今のは、ただの夢だ。
それに、彼女が成歩堂のことをどう考えていたとしても、彼女の罪が消えた訳じゃない。
彼女を許せる訳じゃない。
けれど。
何故か、成歩堂の瞼の奥は火傷でもしたように、とても熱くなった。
―美柳ちなみ…。
胸中で名前を呟くと、まるで栓が抜けたように、両目からぼたぼたと涙が零れ落ちて来た。
その夜。
実に五年ぶりに、成歩堂は彼女のことだけを思って、止まらない涙を流した。
END