repentance2




同じ場所に、二人の少女が向かい合って立っていた。
二人とも全く同じ美しい顔、同じ髪型。
けれど、その二人は殊更対照的で。
一人は威圧的な態度に満ち、一人は萎縮して、酷く気落ちしたように項垂れていた。

「まだ、取り返せないの?」
「は、はい。ごめんなさい…お姉さま」
「そう…。相変わらず、どうしようもなくトロいのね」
「ごめんなさい…」

姉のちなみがにっこりと微笑んで毒言を吐くと、妹のあやめはますます萎縮した。
妹の態度には、毎度苛々する。
不愉快なのでそのまま立ち去りたかったが、ちなみには、もう一つだけ彼女に聞いておきたいことがあった。
目の前で俯いたままのあやめが、ちゃんと自分の身代わりを果たせているのか、一度確かめに行ったことがある。
その時、大学の構内で見かけたのは、仲の良さそうな一組のカップル。
男の物凄い服装の趣味に絶句したものだったが…。
そんなことより、もっと気に掛かることがあった。

「ところで…。最近…何だか随分楽しそうね、あやめ」
「えっ…!?」
「リュウちゃんとの生活は…そんなに楽しいのかしら?」
「い、いえ、そんなことは…」

図星だったのだろう。
語尾を濁すと、あやめはカァッと頬を朱に染めて、黙り込んでしまった。

「……」

その様子に、日傘を握るちなみの細い手が、怒りで小さく震えた。

許さない。
裏切り者のこの子が幸せになるなんて、絶対に。
あの男。
ペンダントを取り返すだけじゃ足りない。
この世から、消えてもらう・・・。

その時、あやめの幸せの対象に対して、そんな殺意が芽生えた。



裁判になって、ちなみ…いや、あやめのことを信じきっている成歩堂龍一の姿を見て、もっともっと苛々した。
有罪判決でも何でも受けて、刑務所の中に入ってようやく裏切りに気付いて、独りで絶望すればいい。
そして、あやめもそれを一生悔やんで生きていけばいい。
でも、邪魔な弁護士のせいで、ちなみの思惑は大きく外れてしまった。
そうして、その後の裁判でちなみが有罪判決を受けた後も。
あの、最後までこちらを見詰めていた彼の目が、いつまでも癇に障って、どうしても頭の隅から離れなかった。
だから、面会に来たあやめに、ちなみは開口一番にそのことを口にした。

「あれから、会いに行ったりはしていないでしょうね?リュウちゃんに」
「も、もちろんです…わたしにはそんな資格、ありませんから」

妹から返って来た答えは、ちなみにとって満足の行くものだった。

「その通りね、あやめ。リュウちゃんを救いたいなら、本当のことは一生黙っておくことね」
「はい…お姉さま」



そうして、数年後。
ちなみは、母のキミ子の口から、懐かしい名前を聞くことになった。

「成歩堂、龍一…」

彼が、綾里真宵の近くにいると言う。
考えられない事態ではなかった。
あの時、成歩堂を救ったのは、弁護士の綾里千尋。
そして、彼もまた、弁護士を目指していた。
そして、真宵は千尋の妹。

「…綾里、真宵…」

名前を呟いた時、ちなみの中に、明確な憎悪が生まれた。
勿論、千尋の妹だからと言うこともある。
けれど、もう一つ。
それは、あやめに代わって…今、成歩堂龍一の隣にいると言う人物への、殺意だったのかも知れない。
何故だろう。
彼の隣にいると言うことが、一体どうしてこんなに許せないのだろう。
それは、きっと…。
明確過ぎる答えを出す前に、ちなみは思考を停止させた。
そして、先ほど感じた憎悪の方へとそれを切り替えた。

(許さない、綾里…真宵…)

五年前に感じた殺意は、いつの間にか、他の人物への憎悪へと摩り替わってしまったようだった。



そうして、遂に待ちに待った日が来て。
大分計画は狂ってしまったけれど、あやめを修験道に閉じ込めて、彼女と入れ代った。
そこで、ちなみは彼に出会った。
成歩堂龍一。一目で解かった。

ああ…。
何て、懐かしい。

そんな風に感じた自分に、ちなみは少し驚いた。

「美柳ちなみ…お姉さんから、その学生について、何か聞いていませんか?」

そして。
あの事件について彼にそう聞かれたとき、咄嗟に、あの時のあやめの幸せそうな顔が脳裏に浮かんだ。
あそこで、成歩堂の隣で、心の底から幸せだとでも言うように無邪気に笑って。
そうか…。
成歩堂の隣にいると、幸せになれる。
何も考えないで、底抜けの笑顔をいつでも浮かべていれる。
あやめの顔があんまり印象的で、いつの間にかそう思い込んでいたのかも知れない。
だからあんなに、綾里真宵が憎いと思った。
そして、今も…そうだ。
何て…下らない。
誰かに幸せにして貰おうなんて、馬鹿げている…。
それに、この彼の質問も、同じように下らない。
一体、何を期待しているのだろう。
未だにあやめのことを信じている、とでも言うのだろうか。
彼は、確かに逞しくなった。でも、根本的に変わっていない。
人を信じるしか出来ない、癪に障る男。
そう思うと、勝手に唇が動いていた。

「おっしゃっていましたわ。一言だけ…。鬱陶しいやつ、と」
「そう…ですか…」

傷付いた顔でも見せるかと思ったけれど、成歩堂の顔色は変わらなかった。
ただ、静かに頷いて、何事か思い巡らしているように見えた。

彼の中の、美柳ちなみ…。
つまり、実質的にあやめのことは…、完全に憎んで見限って、そうやって生きて行って欲しい。
本当は、後々のことを考えるなら、彼に美柳ちなみの悪い印象を与えることは、避けるべきだったのかも知れない。

―本当はずっと心を痛めて、彼のことを思っておりました。

そんな台詞を吐けば、彼はあっさりと騙されて、又ちなみを信じたかも知れない。
でも、何故かそれは出来なかった。
背を向けた後ろ姿を、黙って見送る。
その姿が見えなくなると、ちなみは自分の手が小さく震えていることに気付いた。

(リュウちゃん)

名前を呼ぶと、憎しみと憐れみのような気持ちが、二つ同時に溢れんばかりに込み上げて、酷い吐き気がした。
ずっと昔。
自分のことを天使だと呼んだ男が、自分から命を絶ったときも、義理の姉を刺したときも。
弁護士のコーヒーに毒を盛ったときも、付き合ったことのある男を手にかけたときも。
何も感じなかった。
全て、ちなみにとっては、何も心を揺るがすものではなかった。
でも。成歩堂龍一。
もし、もう一度彼を手に掛けようなどとすれば…。
自分は狂喜に震えるのか、虚無を感じて溜息を漏らすのか。
それは解からないけれど。
きっと、正気ではいれない。それだけは確かな気がした。
その気持ちを一体何と呼ぶのかは、永久に解かりたくないし、誰にも知られたくないと…思ったけれど。



END