スイッチ2
ただ、華々しく決心したものの、一つ問題があった。
問題は一つではないのだが、それはこの際どうでもいい。
差し当たって、一体、どうやって彼とそうなるか、と言うこと。
いきなり単刀直入に頼んだりしたら、訴えられるかも知れない。
何しろ、相手は成歩堂と言えど、一応弁護士だ。
(どうしたもんかなぁ)
悩んだ末、矢張は成歩堂を自分の部屋に呼び出すことにした。
忙しいから無理だと言う成歩堂に、泣き喚いたり暴れたり脅したり賺したりして、何とか約束を取り付け。
その期日が来るまでの間、どうやったら成歩堂とそこまで至れるか、真剣に考え始めた。
けれど、散々悩み抜いたものの、結局のところ、あんまり良い知恵は浮かんで来なかった。
初めての経験なのだ、仕方ない。
こうなったらもう、ぶっつけ本番しかない……か。
そんなこんなで。
あっと言う間に約束の日は訪れて。
その晩、何も知らない成歩堂は、のこのこと矢張の部屋にやって来た。
「ぼくはまだ仕事が山積みだったんだけどな」
ソファの上で、隣に腰を下している成歩堂が、ブツブツと愚痴を零している。
その顔をちら、と横目で見やって、矢張は焦る気持ちをぐっと堪えた。
でも、ここからどうしようか。
取り合えず、成歩堂は女の子ではない。
色々段取りを踏んだり、ムードを作ったりなんて、面倒臭い。
付き合いたいと思っている訳でもない。
つまり、一回だけ!それでいい。
だったら簡単だ。思い切り殴って、少しだけ眠って貰って、その間に?
いや、待て。打ち所が悪いと、まずいよな〜。
傷害で捕まった上、被害者が彼だったら、自分の弁護は誰がしてくれるのだ。
じゃあ、何か薬……とか?
「おい、矢張。さっきからどうしたんだよ、お前」
「何だよ!今俺は忙しいんだよ、今世紀最大の作戦で!」
「……」
人を呼び出しておいてその態度……と、今にも言わんばかりに顔を顰めた成歩堂だったが。
ふと、何を思ったのかすぅっと真面目な顔になった。
「……な、何だよ、その目は」
真っ直ぐな彼の目でじっと見詰められると、まるでこっちの姦計が見抜かれているような気になる。
けれど、成歩堂が口にしたのは意外な言葉だった。
「矢張。お前、何か悩みでもあるんじゃないのか?」
「なななな……何でだよ!!」
「その反応……。何でって聞く方が、間違ってると思うけど」
「そんなもの!な、な、な、ないぞ!」
「……怪しいなぁ」
「しつこいぞ、成歩堂!とにかく俺は今絶好調なんだよ!余計な心配するな!」
「まぁ、それならいいんだけどさ。安心したよ、矢張」
そう言って、彼はその顔に満面の笑みを浮かべた。
「……!」
その笑顔に。一瞬、矢張の心臓がドク!と音を立てた。
(成歩堂……)
同時に、胸の中がざわざわとする。
彼は、こんなにも自分を心配してくれて、それなのに、自分は……。
卑怯な手を使って彼を貶めようとしていたのだ。
いつもみたいに悪態でもついていれば、遠慮なく強行出来るのに。
何故、今日に限ってこんなに優しいのか、彼は。
それに、さっきの笑顔。
あの顔が、何らかの理由で曇ったり、傷付いたり。
そんなこと、本当はきっと、許せない。
一度やれば十分なんて、それこそ自分を偽っていたのだ。
(まずいよなぁ……)
今までと明らかに違う。そうだ、これは。
まるで、何かのスイッチが入ったみたいな……。
「俺、本気になっちまったかもよ、成歩堂」
「……ん?」
何が?と、無垢な反応を返す成歩堂に向けて、手を伸ばし。
次の瞬間、矢張は彼をソファの上に思い切り押し倒した。
ドサっと音がして、二人分の重みでソファが沈む。
「や、矢張……?な、何……?」
突然のことに、成歩堂は無防備な声を上げた。
その声を聞いたら、何も解かってない彼に、全てぶちまけてしまいたくなった。
「成歩堂、俺よぉ……」
「……?」
「お前のこと、気になって仕方ないみたいなんだよな」
「……!?」
成歩堂は当然、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
この反応も、堪らない、本当に。
何から何まで、矢張の琴線に触れて止まらない。
もっと、彼の色々な反応を見て、声を聞いて、ぞくぞくしたい。
「お前のこと見てると、どうも普通じゃないんだよな」
「お、お前が普通の状態なんて、殆どないじゃないか!」
(ああ、そうだよなぁ)
「お前の言う通りだぜ、成歩堂」
「・・・・?」
「最近の俺と来たら……お前の顔見る度に、側に寄りたくて堪んねぇとか、こっち向かせて思い切りキスしたいとか、服なんかさっさと脱がせて押し倒したいとか、それで……お前に触って気持ち良くなりたいだとか、お前の中に突っ……」
「ちょっ、ちょっと!!!待ったっっ!!!」
熱っぽい口調で語っていたところで、どの法廷で聞くよりも必死な、成歩堂の待ったが掛かってしまった。
「何だよ!いいところだったのに!」
「いいところ、じゃないだろう?!な、何……何言ってるんだよ、矢張!!」
見下ろすと、成歩堂はもう耳まで真っ赤だ。
男に、面と向かってあんな台詞を吐かれたのだから、彼には堪ったものじゃなかろう。
けれど、ここまで来て、待つことなんて、出来る訳なかった。
待つ代わりに、矢張は組み敷いた成歩堂の手首を取って、ぎゅっとソファに押し付けた。
びく、と驚いたように彼の肩が揺れる。
「俺もそう思うけどなぁ……仕方ないじゃんかよ」
「し、仕方ないって……ぼくは男なんだぞ!」
「バカヤロウ!お前が女の子な訳あるか!それでも、そうなっちまったんだから、仕方ないだろ!」
「な、何だって……」
「俺は、お前が好きなんだよ!!成歩堂!!」
「……!!」
勢いに任せて一気に捲くし立てると、成歩堂は矢張の下で思い切り息を飲んでいた。
ここへ来てようやく、彼ははっきりと事態を把握することが出来たらしい。
「で……でも、ぼ、ぼくに、どうしろって言うんだよ」
暫くの間の後、成歩堂はやっとの思いでそれだけ問い掛けて来た。
「……それはだな」
いよいよ、だ。
いよいよ、目的を果たす時が来た。
覚悟を決めて、矢張は知らず……ごくっと生唾を飲み込んだ。
「な、生唾飲むな!」
「仕方ねェだろ、俺だって緊張してんだよ!成歩堂!お前のこと目の前にして、これ以上正気でいる自信なんて……全然ないんだからな!」
「……!や、矢張……」
少しだけ、怯えに似た色が彼の目に浮かぶ。
怖がらせたい訳じゃないので、ここは率直に、正直に、今の気持ちをぶつけよう。
そうすれば、彼だって、きっと解かってくれるに違いない。
矢張は一度深く息を吸い込むと、次の瞬間真顔になって叫んだ。
「とにかく!!一発ヤらせろ!!成歩堂!!今すぐに!!」
「………!!」
(よし、言った!!)
成歩堂からは、すぐに反応はなかった。
代わりに、何故か一気に辺りの空気が冷え込んだような。
気のせい、だろうか。そうに違いない。
が・・・矢張がそんな結論を下した、その直後。
バキ!バキ!
「……っっ?!!!」
部屋の中には、容赦のない往復パンチの音が響き渡った。
そして……。
「お、お前なんか……最低だ!!!」
続いて、物凄い怒号が矢張に浴びせられた。
「な、成歩……堂……ぐッ!!」
追い縋ろうとすると、とどめとばかりに渾身のキックが顔面に入った。
一体、自分は何処で失敗したのか。
考える間も反省する間も無く、矢張の意識は遠退いて、床にばったりと倒れてしまった。
その後。
「そ、それ以上、ぼくに近付くなよ!」
「何だよ!友達甲斐のないヤツだな!見損なったぞ、成歩堂!!」
「お前は友達にあんなことを言うのか!」
「だからそこは、理由があるんだって!」
成歩堂事務所の前では、そんな不毛な口論が頻繁に繰り広げられていた。
事務所に入ろうとする矢張を、成歩堂が体を張って止めて……。
小柄な真宵にはどうしようもないので、ぎゃあぎゃあと喚く二人に歯止めを掛ける者はいない。
けれど。
「ちょっと、もう!いい加減にしなさい!!」
次の瞬間には、何だか急に色っぽいお姉さんが現れて、矢張は事務所から放り出されてしまった。
今日も、失敗してしまった。
何が悪いんだろう。まぁ、でも……。
(とにかく、俺は諦めないからな!)
たった今叩き出されてしまったけど、彼のいる部屋。
そこを見上げて、矢張は人差し指の代わりに、立てた親指をビシっと突き付けた。
「成歩堂、お前……覚悟しておけよ!!」
終